「しわ」さんが、ヲシテ研究について語って下さいました。

「ヲシテ(文字)と言われますが、ホツマ文字じゃだめなの?」 「そういえば、昔は伊予文字って言ったと思うけど?」 「……秀真伝とも、違うんだってよ?」 「ヲシテ文献って呼ぶのは、なぜ?」 続きを読む
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しわ@非公開 @ShiwaBrewing

ヲシテとは、江戸時代中期に最古の写本が残る幾つかの文献を記している特殊な文字で、その形は自然世界の理(ことわり)を表している。母音の図象は自然世界を構成要素を表し、子音の図象は自然世界の活動する様を表している。

2012-05-23 21:47:45
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

古くは、伊予文字、近代に再発見されてからは秀真(ホツマ)文字として知られるが、文献中には伊予文字、秀真(ホツマ)文字という記載はなく、ヲシテとのみ呼ばれている。故に、この文字の正式名称はヲシテである。正しい名がある限り、名を歪めてはならない。

2012-05-23 21:49:41
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

ヲシテで綴られた文献であるゆえ、これらの文献は総じてヲシテ文献と呼ばれている。ヲシテ文献の研究は江戸時代の最古の写本を観る限り、その頃から行われていたことが明らかである。その研究手法は、ヲシテを漢字仮名に翻訳し、その内容を追うことに主眼が置かれていた。

2012-05-23 21:53:15
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

この研究手法は近代に再発見されてからも継承され、現在に至っており、多くの研究者が漢字仮名に翻訳(変換)してヲシテ文献の解読を試みている。この研究により、様々な古伝承、あるいは神社伝承との符号など、様々な発見があったことは確かであるが、この研究手法は根本的な問題を抱えていた。

2012-05-23 21:55:38
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

梵字で書かれた文献は、梵字の意味を知らなければ本当の意味は分からない。ヲシテも同様である。文献中に、文字の形についての言及が豊富に観られるにも関わらず、このことは長い間、研究者の中で強く取り上げられることはなかった。

2012-05-23 21:57:56
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

したがって安易な漢字仮名訳は、文献に内在する膨大な情報を欠落してしまうこととなる。例えば文献中に「カミ」という言葉がある。これを前後の文脈をから演繹して、単純に「神」と漢字に訳してしまうと、間違いなのである。ヲシテの文字の形から、その意味を探らなければならないのである。

2012-05-23 22:02:58
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

この研究は、日本ヲシテ研究所の平岡憲人氏が労を惜しまず構築したヲシテ文献のデジタルデータベースによって、飛躍的に進むこととなった。データベース上では、文献記載の任意の語彙を自在に検索することが出来る。このデータベースの構築なしには、ヲシテ文献研究の進捗は今よりも大分遅れただろう。

2012-05-23 22:11:21
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

そして、このデータベースを元にし、語彙の整理が始まった。これに基づいて出版されたのが、「よみがえる日本語ーことばのみなもとヲシテー」(明治書院)である。ヲシテをヲシテで解読するための入門書であり、ヲシテという文字が大和言葉の文法に影響を与えていることの証明を試みる書籍である。

2012-05-23 22:12:24
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

この書籍は、日本書紀、古事記、ヲシテ文献の三書を並列させ、一字一句比較検討を行った池田満氏が監修している。なお、内容のヲシテ文法論の理論構築の殆ど全てが、青木純雄氏によって行われた。私は、ヲシテの図象の持つ意味合いの解読に携わり、全体のアドバイザーとして参加させていただいた。

2012-05-23 22:17:04
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

このように、漢字仮名で翻訳する研究から今まさに一歩、歩みを進めた状態であるのがヲシテ文献の研究である。その全容は、未だ明らかではない。したがって、ネットなどで散見できる漢字仮名混じりの翻訳については、その上澄みを抽出しているに過ぎないと思って差し支えないだろう。

2012-05-23 22:19:48
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

未だなお、その語彙(言葉)が本来的に備えている意味が、そして哲学の持つ本当の意味が明らかにされないまま、幾つも眠っている状況なのである。語彙(言葉)の解明なくして、その内容を追うことなど出来まい。そのためには、文字の持つ意味合いの解明が必要なのである。研究には謙虚さが求められる。

2012-05-23 22:25:02
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

前述したとおり、ヲシテという文字は、自然世界の理(ことわり)を形にして表したものである。したがって、ヲシテが成立した当時の自然世界からヲシテの創造者が感得した、その自然観が反映されているものである。それは、実に素朴であり、素直な目と心で自然を捉えた感覚的なものであった。

2012-05-23 22:29:25
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

即ち、ヲシテ文献の理解には、感覚的なもの、感性が重要である。しかし、江戸時代における自然観と近代における自然観には既に大きな隔たりがあるように、近代人の多くが自然と隔絶されてしまっていることは疑いようのない事実である。先ず、この事実は事実として受け止めねばならない。

2012-05-23 22:34:17
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

近代人と古代人の感性に大きな隔たりがあることを認めた上でその感性を探り古代の人々に近づける方法は、身体的には土など自然に積極的に触れることや、整体やヨガなどによって心身の調律を試みることであり、知識的には万葉集などの古典(特に原典)に触れることであろうか。

2012-05-23 22:38:55
しわ@非公開 @ShiwaBrewing

とは言うものの、私は、土いじりや身体操作の探求が好きだからやっているだけで、研究の為にやっているわけではありません。でも、机に齧り付いて文献と格闘するだけでは、この文献に限っては解読が不能であることは間違いないと思っている。

2012-05-23 22:51:28