https://t.co/ilOeKXv4 https://t.co/esSiNTrT https://t.co/aBEvxjK0 流石によく解っていらっしゃる。葬式は断じて故人以外の人の為のもので、故人のものではないし、遺族のものですらない。みんなのもの。
2012-05-23 00:48:25手前が「家族葬ってなんだよ」と思うのは、死者の死を家族だけのものにしている、という点で、死者の友人や家族が把握しきれない縁の人々を蔑ろにしてる。これは死者の生きた時間を否定していることにもなる。
2012-05-23 00:50:21勿論、死に方は自分のものなので、好きに死んだらよろしい。どう死のうが本人の勝手だ。だが本人が死んだ後、死者は死の所有権を失う。だって死んでるんだから。
2012-05-23 00:54:44死んだ後まで死を所有し続けようとか、所有者がない死を自分たちだけのものにしようとか、幾ら何でも欲が深すぎる。というかセコい。
2012-05-23 00:56:49正味、坊主を呼ばないでもいいし、葬儀屋を介さなくてもいいが、きちんと「故人がお世話になりました」と挨拶する場は設けなければならないし、死者の友人知人が死者とお別れ出来るようにしなければならない。それに際して友人知人に気を遣わせてはならない。そんなもんは礼儀であって儀式以前だ。
2012-05-23 00:58:55それに死者を死ぬまで生かしてきた有形無形の縁、恩に対しても何らかのお返しをせねばなるまい。その為の布施で、それを坊主にするのがイヤだったら、赤十字にでも国境なき医師団にでもユニセフにでもアムネスティにでも、もうシーシェパでもグリンピースでもいいから寄附しろ寄附、何処ぞに寄附しろ。
2012-05-23 01:01:49現代の葬式の問題は「急いで決めることが多すぎる」「それを遺族だけで決定しなければならない」という二点にあって、昔は慣れた近所のオッサンオバハンが全部半自動的にやってくれたんである。
2012-05-23 01:10:01だから現代の葬式に求められているのは簡素化ではなく冗長化。遺族が急いで遺族だけで決めなくてもいいよう、猶予を設けなければならない。手前はもし仏式でやるにしても、引導は出来るだけ早くするとしても、戒名授与、告別式は三十五日、四十九日でいいと考えている。
2012-05-23 01:16:03きっとこれらのことに文句が出るのは、坊主と葬儀屋にとって日常的な葬儀が、遺族にとっては異常なことだからだろうな。坊主にとっても葬儀屋にとっても当り前だが死は当り前だから慣れちゃってる。
2012-05-23 01:21:12もしかすると一葬儀三万円程度で請負う「葬儀コンサルタント」や「葬儀マネージャー」というものが必要な時代なのかも知れんな。昔は近所のオッサンオバハンが取仕切ってたことを銭出してやってもらうの。
2012-05-23 01:25:22現代の葬式がこの形になったのがつい最近、実はこの三十年くらいのことだから、人によっては「毎回毎回葬式の作法が違う」ということがあるんだ。坊主がやることは大して変ってないんだが、社会の様式の変化に葬儀社が合わして変化してる。
2012-05-23 01:27:14だから昔ながらの葬式なんてものは、現実には出来ない。変化はせざるを得ない。どっこい、素人さんは変化させるポイントを間違う。
2012-05-23 01:29:29マジな話、江戸時代になっても、大概の人は葬式なんてしないでそこら辺に棄てたり、まぁやっと埋めるくらいのことしかしてなかったんだからね。全員が葬式するようになったのなんてつい最近なんだ。
2012-05-23 01:31:10「昔ながらの葬式」と云われても、実はそんなに様式が固まってたわけでなくて、引導作法なんぞは江戸時代にやっとカッチリ固まったんだけど、坊主が関わらない辺りのことは、ずっと変化し続けてるんだわ。
2012-05-23 01:34:12かも知れないし、霊柩車が使われるようになったからかも。RT:@kono_chiha 昔はお棺を「早桶」といって、仏を寝かせる式じゃなくて体育座りさせるようにしてましたよね。いつから寝かせる式になったのでしょうか。あれも西洋からの輸入?
2012-05-23 01:36:52それでも葬式には決ったフォーマットがあるにはある。そのフォーマットを勝手に変えちゃいかんのだが、素人はフォーマットを変えたがる。それを変えちゃ葬式じゃなくなるんだって、という辺りを変えたがる。
2012-05-23 01:38:43葬式の目的は故人を知る者が故人を死者にする儀式ですからね。その為に名を変える必要が"かつては"あった。名を変える、というのは魔術だもんで、名を変えれば存在が変ったんですよ。その為の戒名です。仏教はあんま関係ないが、仏教にだって名を変える習慣があるんだから、無関係なわけではない。
2012-05-23 01:42:10まぁ兎も角、葬式の目的は故人を知る者が故人を死者にすること。要は故人が死者になれればいいわけですよ。その基本さえ外さなければ、変更することは可能。ただ、どうも葬式がどうの、という奴ほど、故人を死者にしたがらない。生者のままにしたがる。
2012-05-23 01:47:47古代人なんかは故人を死者にする作法がしっかりなかったもんで、いつ生き返ってくるか解らんで怖いから石乗せたり手足縛ったりしてたんだから。西洋では杭を心臓に打ったり首許に鎌を置いたり。
2012-05-23 01:51:34葬式をつとめないと成仏しない、というと意味がぼやけるが、要は葬式をキッチリ勤めないと死人がキッチリ死んでくれないのだ。で、時折生者のようにフラフラする。だからキッチリする為に定番の葬式というのが求められてきた。
2012-05-23 01:54:57だから定番の葬式を勤めると死人はキッチリ死んでくれる。定番だからこそ「ああ、これで死んだんだな」と解る。餘りに珍奇な「えっ、これ葬式なの?」というような葬式だと、キッチリ死んでくれない。フラフラ出て来て悪さするかも知れない。
2012-05-23 01:57:26だから逆に云えば「これは葬式だ」と誰の目にも明らかな様式を考えられるなら、別に坊主を呼ばなくても何をしなくてもいいわけだが、誰の目にも明らか、となると、無個性にならざるを得ない。葬式とは思えない葬式は葬式じゃないからな。
2012-05-23 01:59:48