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.@azumamiko こんにちは,本日は興味深い勉強会をありがとうございます! 議論に貢献できませんで失礼いたしました.質問なのですが,「キャラクター」が「成長する」とはどういうことのことなんでしょうか? レジュメからすると,「他者」と「関係性をも」つことかと思ったのですが.
2010-06-21 23:52:56@pubkugyo さてわたしはキャラクター性というものは成熟の不可能性が前提になって成立するある種貧しい概念だと述べました。わたしの興味は、では作家達はどのような錯角を利用してキャラクターが成長しているように見せかけるのか、ということにあります。
2010-06-22 00:19:29@pubkugyo それで米澤は成熟の不可能ということを強調しつつ、キャラクター性や関係性を曖昧にしていくというようなことをやっています。今回の最大の失態はわたし自身それは単なる技法、錯角なのか、それともそれこそが成長の契機なのか、整理がついていないことにあったように思います。
2010-06-22 00:24:23.@azumamiko お返事ありがとうございます.すると,「キャラクター」には,なにものか(現実の人間? 理想の近代的個人とか?)によっては可能であるはずの「成長」「成熟」ができない,ということですね.そういう「成長」ってどうなることを指すのかが,よくわからないのです.
2010-06-22 01:02:45.@azumamiko 「成熟」を,例えばごく簡単に“卓越した状態に到達すること”と捉えることもできるでしょう.でもそうだとすると,特に西尾維新の「キャラクター」などは“成熟しきってる”ことになりかねません(伊藤亜紗の論筋もむしろそっちだったのでは?).
2010-06-22 01:08:03.@azumamiko 「成熟」については,たしか江藤淳や宇野常寛などの批評家が議論していましたが,そのあたりは私よりお詳しいかと思いますので,教えていただきたいところです.今回はいちおうレジュメに沿って質問いたします.
2010-06-22 01:11:33.@azumamiko 「成熟」の内実に触れた箇所は主に3つ:「精神的、心理的、または社会的な発展や精神形成」,「互いに関係性をも」つこと,「作者と読者の認識」の「想定の範囲」を越えて動くこと,だと思います.このうち3つめは,前2者と異なることを述べており,興味深く思えます.
2010-06-22 01:15:40.@azumamiko もし作者が何らかの“錯覚の技法”を用いて,_キャラクターの_「成長」のまやかしを見せているとするなら,それはどんな「成長」なのでしょうか? また,その技法が作品に持ち込まれることで,ありえないはずの「キャラクター」の「成長」が起きることがあるのでしょうか?
2010-06-22 01:20:25.@azumamiko お話から抱いた疑問は前述の2つでした.ところで,作者が「キャラクター」を利用して,読者のほうにこそ「成長」を促したいのなら,話は簡単に思えます.“キャラクターは成長しないためひどい目にあった.おまえら、成長しろ”と運べばよい.米澤作品はそうも読めます.
2010-06-22 01:25:45.@azumamiko だからやはり,“錯覚の技法”が読者に「成長」を促す,という論運びよりは,“錯覚の技法”の持ちこみが「キャラクター」にありえない「成長」を起こす,という論運びのほうが,個人的には興味のあるところですね.
2010-06-22 01:27:17「成熟」で思い出すのは『カードキャプターさくら』.暴れるクロウカードを(さくらカードへと)「成熟」させる中で自らも「成熟」する女性の物語に思える.“大人びた”友人たち,“子供らしさを備えた大人”という「成熟」モデルに従う大人たち.最後に小狼とくっついたとき,息苦しさが残った.
2010-06-22 01:36:18@pubkugyo つまりこういう言い方をすればいいのかもしれません。キャラクターはシミュレーションに過ぎないので、揺らぎがない(成長しない、不変、、完成系)。しかし物語は不可避に揺らぎを要請する。この時、どのようにキャラクターの揺らぎや関係性を捏造するか、ということですね
2010-06-22 08:01:32@pubkugyo キャラクターの成長の捏造の技法の代表的なものは、ループとメタフィクションだと思っています。これらは論理的に考えると錯角に過ぎないのですが、感情的には強い説得力を持ちます。何故なら読者の強力な自己言及性に訴えるものだからです。
2010-06-22 08:10:04@pubkugyo 簡単に言えばループやメタフィクションを使って、読者の感情や視点、認識をズラすことによって、ありえない成長は起きるわけです。さて米澤は、ループやメタフィクションを強く意識してるのに、そこには転ばない(転べない)という意味でアンビバレントな作家なんですね。
2010-06-22 08:18:26@pubkugyo だから米澤の態度は単なる先祖帰りにも読めなくない(読者が成長しろ)面もあれば、何処か新しい成長の契機を感じさせるものがあります。ここでわたしの論理は完全にブレてしまったわけですが、まさにそのアンビバレントな感覚というものはミステリの相対主義的な手つきであって、
2010-06-22 08:24:39@pubkugyo (続き)米澤はそんな読者の揺らぎに「直接」訴えかける作品を紡ぎだそうとしているのかもしれません。最後になりましたが、ご質問、疑問、大変参考になりました。自分の中で考えるが深まったのとともに、どのような手順で説明すればベターか、ということが見えた気がします。
2010-06-22 08:29:29