不時ッコさんによる食品偽装の歴史

以前自分がツイートをまとめられた 大英帝国ブリテン・メシマズのルーツ http://togetter.com/li/124938 自分が作った 続きを読む
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古代の食品偽装

@bukrd405

《食品偽装の歴史》古代ギリシア人とローマ人はワインの壺に頌歌を捧げ、「葡萄酒色の海」に呼びかけたけれども、ひどく劣悪なワインを作った。古代のワイン造りの職人は、自分たちの望んだ味を出すためのさまざまな工程を調整する能力が、現代の職人よりずっと劣っていた。

2012-05-24 11:43:54
@bukrd405

もしもすべての条件が整えば――葡萄が当たり年で、正しく発酵すれば――古代のワインは旨かっただろう。しかし、ワインの出来が悪く、できてから「調整」する必要がある場合が多かった。

2012-05-24 11:46:41
@bukrd405

そのためアフリカでは、渋いワインは石膏で、「わが国のある地方では、石灰で」味を和らげられねばならない、とプリニウスはいった。一方ギリシア人は、ワインの渋味よりも淡白さを恐れていた。「彼らはワインのぼやけた味を陶土、大理石の粉、塩、海水などでピリッとしたものにする。

2012-05-24 11:47:58
@bukrd405

一方、イタリアのいくつかの地方では、その目的のために樹脂を蒸留したピッチを使う。そして、これらの地方とその近隣の土地では、葡萄汁に樹脂で味付けをする。またあるところでは、味付けに古いワインの澱か酢を使う」

2012-05-24 11:50:00
@bukrd405

1726年、ロンドンにはジンを売る場所が6287あった。そのジンの多くは、テレピンと硫酸で荒々しい味になっていた。蒸留酒の歴史においては、混ぜ物工作は原則であって例外ではなかった。混ぜ物屋は蕪(かぶら)でブランデーを造ったり、緑礬で蒸留酒を「改良」したりした。

2012-05-24 12:03:55

ヴィクトリア朝時代のイギリスでの食品偽装と
食品偽装が横行した当時の政治的な要因

@bukrd405

1840年代のイギリスでは、労働者は土曜日の夜に買い物をした。魚売りは「雑魚」を土曜日の夜までとっておき、黒ずんだ嫌な臭いのするサバを蝋燭の光で新鮮で新しいものに見せた。イングランド北部では、何人かの行商人は魚のえらに赤ペンキを塗りさえした。赤いえらは新鮮である印だったからだ。

2012-05-24 13:04:38
@bukrd405

傷んだ肉とチーズに関しては、「磨き」として知られた手の込んだテクニックが使われた。腐敗した表面を新鮮なもので覆ったのだ。古い肉は新鮮は脂肪の層で、古いチーズのカットした表面は新鮮なスイート・バター(新鮮なクリームで作る無塩バター)で磨かれた。

2012-05-24 13:13:34
@bukrd405

当時の英国政府は、砂糖、紅茶、コーヒーの場合のように大蔵省の歳入に影響を与えるのでなければ、食べ物の販売に介入するのは自分たちの仕事ではないとみなしていた。大蔵省はチコリー、コーヒー、カシア桂皮、シナモン、野生よび栽培されたナツメグに施されたさまざまな混ぜ物工作は許容したが、

2012-05-24 13:46:18
@bukrd405

(承前)紅茶、煙草、嗅ぎ煙草その他重い税がかかっているものに施された混ぜ物工作には、義憤めいた強い怒りを向けた。また、自由放任経済の支持者たちは(英国にはその支持者の数は多かった)、何もしないのが最善だと思い込んでいた。

2012-05-24 13:51:14
@bukrd405

市場は神で、ある魔術的な均衡作用によって、市場は必要なものを人に与えると多くの者は信じていた。19世紀初頭、古い専売権と関税の多くは進歩の名において廃止された。1822年、「パンおよびエールに関する法規」が時代遅れだとして、ついに撤廃された。

2012-05-24 13:53:20
@bukrd405

古いギルド組織がなくなったので、古い法規を執行することが不可能になったのである。しかし、それをもっと現代的な形の規制にかえるかわりに、議会は何もしないのが一番いいと決めた。消費者とパン屋の間で起こることは国の関わることではなくなった。自由取引が最善だということになったのである。

2012-05-24 13:55:27
@bukrd405

しかしながら法規の撤廃は、パン屋を当時のもっとも不景気で、過密で、利益の少ない商売の一つに変えてしまうことになった。1851年、パリのパン屋の数は601に限定されていた。それは、パリのパン屋はたくさんのパンを売って一定の威厳を享受し、

2012-05-24 13:58:10
@bukrd405

(承前)見事な製品を作り出して正当な額の儲けを得ることを意味したが、それに反し英国では何の制約もなかったので、ロンドンのパン屋の公式の数は2286軒に増えた(非公式の数は約五万軒にのぼったかもしれない)。

2012-05-24 14:00:36
@bukrd405

そうしたパン屋が買い手を見つけることのできるくらいの値段で売れるパンを造るには、成分の質をできるだけ落とさねばならなかった。そんな条件のもとでは、正直は自殺行為だった。彼らはまず公衆を騙し、次に職人を1日12時間労働のところ18時間分働かせて、やっと生活していた。

2012-05-24 14:02:14
@bukrd405

フランスでは市民の消費者を粗悪な食べ物から守るギルドの役割を、国家が担い続けた。ナポレオン民法典は、「パリの警視総監の許可なしにはいかなる者もパン屋を開くことはできない」と規定している。フランスにおいては、良質の食べ物を造る責任は生産者側にあった。

2012-05-24 14:28:17
@bukrd405

国家は生産者の活動を監視し、生産者は不正をすれば、市民の利益を蔑ろにした廉で罰せられた。それと対照的に、英国政府は―極端な場合を除き―責任の大部分を個人の消費者に負わせた。金を稼ぐ店主の権利に干渉するのは不公平で、自由の原則に反すると考えたのだ。

2012-05-24 14:30:17
@bukrd405

ぼろ太さんに影響されて食品偽装の歴史について調べてみたが、やはり自由放任をしいていた英国のメシマズ度第一位は揺らがないようである。薄利多売を究極まで推し進めるとこうなるという見本。プロイセンでさえ食品偽装を取り締まる法律があったというのにな・・・

2012-05-24 14:36:09
@bukrd405

こちらのまとめも参考にしてください。http://t.co/yMcMtrc9 大英帝国ブリテン・メシマズのルーツ

2012-05-24 14:39:56
@bukrd405

「偉大なる菱形飴の製造人」 1858年の『パンチ』の漫画で、同年に20人が死んだ有毒菱形飴スキャンダルを風刺したもの。そのスキャンダルが起こった結果、英国政府は1860年、混ぜ物工作禁止条例をついに作った。http://t.co/MFfbTqEK (画像)

2012-05-24 14:47:01
@bukrd405

食品偽装についてはこちらも参考に。http://t.co/kagpeemL 19世紀のイギリスのご飯とかの話

2012-05-24 14:52:07

同じ頃のアメリカでの食品偽装と、ソーセージ向上の労働環境

@bukrd405

米国では、都市人口がそれほど過密ではなかった19世紀前半には、都市の牛乳はたいてい都市の中の草を食んだ牛によって供給された。しかし家が建てこみ、牧草地が減ると、ニューヨークは牛乳を調達する新しい手段を見つけなければならなかった。

2012-05-24 15:57:20
@bukrd405

いくらかの新鮮な牛乳は、オレンジ郡のような農村部から毎日鉄道で運ばれてきた。しかし都市の大部分の牛乳は、いわゆる「残滓牛乳」、「汚水牛乳」―醸造業者や蒸留酒製造業者が所有してい酪農場で飼われている牛の乳―だった。そうした牛は暗い広大な牛舎で飼われていて、

2012-05-24 15:58:54