暗黙知の概念について

暗黙知の概念は非常に難しいので、後で考えるためにまとめてみた。
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木下秀明 @khideaki

暗黙知①暗黙知の概念の難しさは、それが過程を表すものであることが大きいのではないかと感じる。過程というのはいわば動画に当たるようなものだ。そこには時間の流れを含めて認識する必要がある。写真的な静止画はじっと眺めていればそこに幾つかの特徴を見出すことが出来る。概念化は易しい。

2012-05-26 09:37:07
木下秀明 @khideaki

暗黙知②暗黙知も、意識の上に昇ってこない知識があると理解するとそれは静止画的な理解になる。そのような概念は、無意識の概念と結びつけて理解することが出来る。内田樹さんが語る「抑圧」された知識などはそれに当たるだろう。だが安冨さんは、暗黙知とはそのようなものではなく過程だと説明する。

2012-05-26 09:45:04
木下秀明 @khideaki

暗黙知③暗黙知という過程は、すべての「知る」という行為に伴って現れる過程なのだという理解だ。我々が何かしらないものを知ると言うとき、知らない状態と知ってしまったあとの状態には断絶がある。この二つの階層をつなぐ過程には暗黙知が見出せる。だが暗黙知そのものははっきり見ることができない

2012-05-26 09:47:51
木下秀明 @khideaki

暗黙知④暗黙知の過程を見ることができたら、それは暗黙知ではなくなってしまう。見えないから暗黙知と呼ばれるこの過程をどう概念化するか。ここに暗黙知の概念の難しさの本質があるように感じる。過程という動画的なものを概念化したものの連想から暗黙知のイメージを考えてみようと思う。

2012-05-26 09:50:22
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑤数学で動画的な過程を表すものと言えば関数が考えられる。しかし関数は変化という過程を表現すると考えられているが、その表現はグラフにしても静止画的なものとして表される。グラフから変化を読み取るのは人間の頭であって、グラフそのものに変化が表現されているのではない。

2012-05-26 09:52:25
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑥グラフが表現しているのは曲線あるいは直線の型であり、その方から変化の様子を読み取る。それはある場合は左か右に順を追って眺めることで時間の経過を想像する。数学そのものの表現は形式論理なので、それは静止画的にしか表現できない。動的なものはそのままでは表現できないのが数学だ。

2012-05-26 09:55:43
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑦関数においては極限というものが問題になるがこれは日常語で表現すれば「限りなく近づく」という運動を示している。数学ではこれを無理矢理静止画にして表現する。ある任意の微小な範囲を切り取ったときその瞬間という静止画ではそこにあらゆる値が入り込むものが見えるということで表現される

2012-05-26 09:58:23
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑧極限は、ある値に近づくのではなく、ある瞬間には注目している値がすべて微小な範囲にあるのが見えるという静止画で表現する。こう表現しないと数学では形式論理が使えない。「近づく」という運動を表す表現をしてしまうとそこに矛盾が生じてしまう。「0であって0でない」という矛盾が。

2012-05-26 10:00:47
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑨極限は、無限の彼方では到達点と一致して違いは0になる。しかし有限の範囲では近づくだけで一致はしないので違いは0にならない。運動の持つ矛盾はこれと本質は同じだ。だからこそニュートン力学という運動を解析する数学には極限が使われる。  この過程を表す概念の獲得は難しい。

2012-05-26 10:03:07
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑩安冨さんは、暗黙知を合理的に理解することが難しいとも語っている。合理的に理解すると言うことは形式論理として理解することでもある。数学の極限のような理解が果たして出来るだろうか。動画を静止画的に扱う工夫が出来るか。無知が知に転化する瞬間を極限のように見ることができるか?

2012-05-26 10:06:45
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑪過程的な概念という点では弁証法的な視点もそれを教える。三浦つとむさんは言語を過程として理解する視点を提出していた。普通の感覚では、言語というのは表現された物質的対象を示しているように感じる。音声であったり文字であったりするものを言語と呼んでいる。この静止画の理解は容易い。

2012-05-26 10:09:27
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑫そのような理解に対して、三浦さんは言語の概念の中に、言語を発する人間の認識と、その認識が発生した現実の対象を含めた。そして順番として、対象が存在しそれを認識する人間がいて、その表現として言語が発生するという過程そのものを言語と呼んで「言語過程説」と名付けた。

2012-05-26 10:12:10
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑬言語を過程だという視点で見ると、形式としては言語に見えるが実質は言語ではないと判断できるものが見えてくる。オウムが語る言葉などに、オウムの認識が読み取れれば言語だが、単に音を真似ているだけなら言語とは判断しない。概念というのは、対象がそれであるかの判断に関わってくる。

2012-05-26 10:15:24
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑭暗黙知の概念も、考えている対象が暗黙知になるかどうかの判断が出来れば概念として受け止めていると考えられるだろうか。しかし暗黙知の場合には、自分でそれの判断が出来ないとも安冨さんは語っていた。暗黙知独自の難しさがここにはある。同じような過程の理解の難しさだけでないものがある

2012-05-26 10:18:15
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑮暗黙知は、自分自身の知の獲得過程への反省ではそれが見出せない。それでは他者の知の獲得過程の中にはそれが見出せるだろうか。安冨さんは、鍼灸師が患部を発見する過程を暗黙知の例として語っている。どこが患部か分からない状態から、患部を発見するという知の過程に暗黙知を見ている。

2012-05-26 10:21:43
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑯他者の理解の過程を見るという点では教師という職業はその例に満ちている。これが暗記教育だけに携わっているのでは暗黙知は見えてこないだろう。記憶のコピーを作るのに暗黙知はいらないからだ。そこには本物の知は存在しないので知を獲得する過程で発生する暗黙知も発生しない。

2012-05-26 10:24:19
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑰僕は今正負の数を教えているが、それを計算するだけなら知識(公式)を記憶するだけで足りる。暗黙知はいらない。だがその計算が整合性を持っているという理解をするためには知の過程である暗黙知が必要に感じる。その暗黙知はどのような形で現れるのか。明確に語れれば概念を獲得できる。

2012-05-26 10:28:03
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑱暗黙知概念の理解の難しさは、それが過程であること、自分では自覚できないこと、それが本物の知の獲得過程にしか現れないことという3つがあるのではないか。暗記学習しか知らない人間は暗黙知の概念に到達できないのではないかと感じる。逆に言えば暗黙知が本物の学習を教えるのではないか。

2012-05-26 10:31:57
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑲暗黙知に関して、それは「勘」に似ているのではないかという感じがした。勘が働くとき、自分にはどうしてその勘が生まれてきたのか分からないのに、かなりの高い確率でそれが当たる。僕が最も勘を感じたのは、数学のテストにおける計算のミスに関してだった。

2012-05-30 00:23:17
木下秀明 @khideaki

暗黙知⑳計算というのはたくさんやれば幾つかはミスをするものだ。練習の時はこのミスに気づくことは少ない。だがテストの時はミスが命取りになるのでかなりの緊張感がこの勘を働かせるのに役立つ。その感じは「何か変だな」という違和感だ。それを感じたときにもう一度計算し直すとミスが見つかる。

2012-05-30 00:26:21
木下秀明 @khideaki

暗黙知21:この違和感はちょっとした感じなのだが、計算ミスをしたところにだけ感じる。この勘が良く当たるのは、意識の上ではミスを認識していないのに、暗黙知の段階でミスを発見しているようにも感じる。このセンスを何とか教えられないかと思って試してみたのだが、勘は教育できないようだ。

2012-05-30 00:29:24
木下秀明 @khideaki

暗黙知22:ラジオから流れてきた詩の朗読を聞いた瞬間に詩の美しさが「分かった」という感じがしたときもあった。なにが分かったのか自覚はなかったが、とにかくそれ以来詩が好きになったという経験をした。それまでは詩を頭で理解しようとしていたのだが、詩は耳で理解するものだというのを感じた。

2012-05-30 00:32:23
木下秀明 @khideaki

暗黙知23:内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』を読んで、僕は構造主義が分かったという思いを抱いた。その理解は、今までだって同じような理解が出来たはずなのにそれが出来なかった。なぜ内田さんの言葉だけがその理解をもたらしたのだろうか。分かってしまえばそれはさほど難しく感じないのに

2012-05-30 09:50:52
木下秀明 @khideaki

暗黙知24:仮説実験授業研究会の牧衷さんは、慣性の法則が分かったとたんにすべての力学現象を見通すことが出来て分かったという感覚を持ったという。僕は、極限の理論で「収束」と「一様収束」の違いが分かった瞬間にその理論が分かったという気になった。物事の理解は一点突破ということがある。

2012-05-30 09:53:03
木下秀明 @khideaki

暗黙知25:構造主義の理解において僕は「構造」という言葉の概念にこだわっていた。構造を捉えることが出来ればその「主義」も分かるというふうに。しかし構造をいくら考えても「構造主義」に到達できなかった。数学的な構造は分かるのに「構造主義」の概念はつかめなかった。

2012-05-30 09:55:26