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よしこの芽 @yoshikonome
ブログを更新しました。 『主語がない世界が、怖かった。』 http://t.co/l2C0aJdq
よしこの芽 @yoshikonome
こんなとんでもないタイトルの本が出版されてたんだ・・・直接読んでいないけど、主語は要るか要らないかじゃなくて、そこにあるものだと思います。 金谷武洋『日本語に主語はいらない』http://t.co/7D3ojCKO
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei
@yoshikonome 日本語に「主語+述語」を適用するのは間違いだ、というのは、言語学の通説だと思います。
よしこの芽 @yoshikonome
えええええええ!?!?5W1Hとしての動作主体が!?!?衝撃が凄過ぎます。 @anmintei 日本語に「主語+述語」を適用するのは間違いだ、というのは、言語学の通説だと思います。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei
@yoshikonome 本居宣長が日本語を分析して、動かない「体言」と動く「用言」とに分けて、古代においては用言が中心で、体言は少なかったものが、徐々に体言が増えていった、と指摘しています。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei
@yoshikonome 日本語は、用言を中心とした対話が基本。「食べる」という用言の「主語」には、「私<が>食べる」と「私<は>食べる」があって、前者は「誰が食べる?」の、後者は「あなたは何するの?」に対する返事と理解するのが正しくて「主語+述語」で主語が二種類と見るのは変。
よしこの芽 @yoshikonome
@anmintei 言語以前に、動作主体がある現象については、動作主体が存在しますが、言語において、日本語に英語の「主語+動詞」の形をぴったり当てはめるのは無理がある、と思います。
よしこの芽 @yoshikonome
@anmintei すみません、主語が二種類という意味がわかりません。前者と後者は、主題の違い、ではないのですか?
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei
@yoshikonome 「<去る主体>が去る」ということが、どうして成立しうるのであろうか。<去ること>なしには<去る主体>は成立しないのに。(龍樹『中論』2−9)
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei
@yoshikonome 「私は」と「私が」とは、根本的に違うので、両方を「主語」と呼ぶことに意味がありません。
よしこの芽 @yoshikonome
主語に動詞を付けて主語=<去る主体>と呼ぶのに違和感があります。<去ること>は動作主体無しには起こりえないからです。 @anmintei 「<去る主体>が去る」ということが、どうして成立しうるのであろうか。<去ること>なしには<去る主体>は成立しないのに。(龍樹『中論』2−9)
よしこの芽 @yoshikonome
「私」=主語、「は」「が」=助詞、と理解しています。 @anmintei 「私は」と「私が」とは、根本的に違うので、両方を「主語」と呼ぶことに意味がありません。
よしこの芽 @yoshikonome
@anmintei 安冨先生は、「私は」と「私が」を主語と呼ぶことに違和感を感じますか?日本人の大多数は感じないのだとしたら、とても大きなことです。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei
@yoshikonome 「私+は、が」も、「食べる」に対する色々な意味の限定のひとつ、としか思えません。「おいしく食べる」「ご飯を食べる」「私が食べる」「私は食べる」「あなたと食べる」「みんなで食べる」「木陰で食べる」など。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei
@yoshikonome 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」主語どれ?
よしこの芽 @yoshikonome
「自分の魂」が主語になる場合も、ですか? @anmintei 「私+は、が」も、「食べる」に対する色々な意味の限定のひとつ、としか思えません。「おいしく食べる」「ご飯を食べる」「私が食べる」「私は食べる」「あなたと食べる」「みんなで食べる」「木陰で食べる」など。
よしこの芽 @yoshikonome
主語は「流れ」。用言の名詞形が主語になっている点が興味深いです。 @anmintei 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」主語どれ?
よしこの芽 @yoshikonome
その感覚でいると、先生の魂が救われない気がします。体言や用言に貴賤はないです。 @anmintei 「私+は、が」も、「食べる」に対する色々な意味の限定のひとつ、としか思えません。「おいしく食べる」「ご飯を食べる」「私が食べる」「私は食べる」「あなたと食べる」「みんなで食べる」
よしこの芽 @yoshikonome
江戸時代までは基本的に身分と役とで人の属性や生き方が規定されたが、それが明治以降に無くなっていく現象の中で、夏目漱石に見られるような、近代的自我に対する苦悩が生まれた。身分や役に代わる主体/主語がわからなかったのだと、私は考える。
よしこの芽 @yoshikonome
→自我や自己を社会的なもの、作られたものと言う説があるけれど、私は、それは生まれた時から、赤ちゃんが自分と他人の区別がつく前から存在すると思う。区別がつかない状態から、識別出来るようになるだけで。→
よしこの芽 @yoshikonome
→言葉で受け取った内容は立体的な枠組みみたいなところに収納していて、チャート式の図解が好き、あと脳の音の受け取り方が人と違うんじゃないかと思うことがいくつかある。話があちこち飛んですいません。誰か私の頭の中を医学的に解説してください。。。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei
「流れ」が主語だと、「もとの水にあらず」と繋がらないのでは? @yoshikonome 主語は「流れ」。
よしこの芽 @yoshikonome
流れはもとの水にあらず、流れは常にもとの水ではない、かと。 RT @anmintei: 「流れ」が主語だと、「もとの水にあらず」と繋がらないのでは? @yoshikonome 主語は「流れ」。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei
@yoshikonome 「流れは・・・水ではない」って意味不明。
よしこの芽 @yoshikonome
もとの水、を伴って意味を為します。河の流れは絶えることがなくて、しかも、もとの水ではない、留まる水ではなく、常に新しい水が流れてゆく。 RT @anmintei: @yoshikonome 「流れは・・・水ではない」って意味不明。
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コメント

愚慫 @gushou 2012年5月28日
言語体系には「行為する主体」を軸に組み立てられるものと「観察する主体」が軸のものとがあるような。主語+述語の言語の場合には前者。日本語は後者。「行為する主体」からみれば観察は行為である一方、「観察する主体」からみれば、主体である「私」自身も観察対象でしかない。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月28日
「主体」という考え自体が、問題なのだと思います。「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」の「主体」は誰でしょうか。
愚慫 @gushou 2012年5月28日
他に適切な言葉が浮かばなかったので「主体」としましたが。「行為する主体」は「自我」に相当すると言えそうですが、「観察する主体」は何なのか、よくわかりません。
愚慫 @gushou 2012年5月28日
『徒然草』冒頭の一文における「主体」は、その文章を綴っている吉田兼好を観察・モニターしている「もの」とでもいえばいいでしょうか。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月28日
よしなしごと、が心に勝手にうつりゆくので、徒然草を書いてしまうと、その場である私は、物狂ほしくなってゆく、という感覚がすばらしいです。私もそういう感じで、本を書きます。
愚慫 @gushou 2012年5月28日
@anmintei こんなおもしろいことがある、こんなすごいことがある、だから俺の話を聞いてくれ!  「物狂ほしい」とは、こんな感じでしょうか?
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月28日
世界の森羅万象が、私という場に繋がって流れこみ、流れ出ていくような感覚が、「あやしうこそ物狂ほしけれ」と言わざるをえないです。
Sirius☆彡 共謀中一般人 祈ります @sitesirius 2012年5月28日
anmintei 主体は表紙に書いてある「吉田兼好」。硯・に・向かひて、書き・付く・る、そして物狂ほしいのは、兼行本人ではないか、と。
_ @pajamadama 2012年5月28日
誰も言葉にしなかった普遍的な身体感覚を言葉にした。そのとき共有する人間全てが主体、ということでしょうか。
田村淳彦 @AtsuTam 2012年5月28日
私という「場」・・・林という「場」に、木々が立ち、野いちごが居て。風が吹き込み、陽光が降り注ぎ。葉がきらめいたり、草いきれが匂い立つように。なるほど!
bra-ketくん @mac_wac 2012年5月28日
日本語には主語が必須ではないとするのは、まあそりゃそうだけど、だからといって「私が食べる」と「私は食べる」を根本的に別物とするのは暴論としか。
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
まとめを更新しました。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
「私が食べる」と「私は食べる」とは根本的に別物。「象は鼻が長い」という有名な例文で明らか。
tachibana jin @jin00001 2012年5月29日
「象鼻」以外にも、「兎は目が赤い」「彼は帽子が似合う」などの例文がありますね。ところで、小中学校の国文法の授業で便宜上「主語」を習い、高校以降に「実は、主語の正体は修飾語」だと知って衝撃を受けるというのは一種の通過儀礼です。
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
jin00001 えっ!?主語でないということは、もしかしてと思っておりましたが、高校では修飾語と教えるのですか。通過儀礼を受けたかどうか、覚えていない不束者です。主語ではなく修飾語として日本語を読んでみると人間や生き物が曖昧模糊に漠然としていて不気味に感じるのは、私の脳の第一母国語が英語だからかもしれません。
kaz hagiwara(萩原 一彦) @reservologic 2012年5月29日
ふむ。西洋人がごく最近発見して emergence と名付けた概念なんて、日本では「なる」だから普通にわかるんだけど、「する」じゃないと分からない西洋人にはけっこう難解な概念なんだよね。
kaz hagiwara(萩原 一彦) @reservologic 2012年5月29日
日本語の「好き」が動詞じゃなくて形容詞であることとか、「わかる」が他動詞じゃなくて自動詞であるというあたりがその emergence なんだけど、たぶん、話題を表す取り立て助詞の「は」も同じコンセプトの延長線上にある。
Sirius☆彡 共謀中一般人 祈ります @sitesirius 2012年5月29日
春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて。象は鼻。鼻は長い。
_ @pajamadama 2012年5月29日
主述のハッキリした論理的文章は、説得の機能を持っていて、結論を他者に強いることがありますね。そしてその結論はディベート的言葉遊びによって如何様にもなり得る。確かに日本語には馴染まない構造ですね。
Sirius☆彡 共謀中一般人 祈ります @sitesirius 2012年5月29日
鎌倉時代には、「が」は軽侮、嫌悪、憎悪等の感情を表す場合、「の」は敬意を表わす場合に用いられる、と。その後、区別が薄くなってゆく。→ http://t.co/ANOY6R0q
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
「切符<の>切れていない方は、お知らせ下さい」と昔の車掌さんは言っていた。
Sirius☆彡 共謀中一般人 祈ります @sitesirius 2012年5月29日
「私が言いたいのは…」「私の言いたいのは…」
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
pajamadama 主語ー述語構造の文章には本来、そうした働きはありません。そういう意図で用いる場合にのみそう働きます。主語を正しく使えば何を言っているのか捉えやすく、それに対して自分の判断をすることができます。主語があるのに明確にしていない文章は、何を話しているのか分りにくくなり、何が正しいのか分らなくなります。
_ @pajamadama 2012年5月29日
yoshikonome と僕も思っていたのですが、最近はどうやら緻密な論理というのは本来的に強制力というか暴力性を帯びるものではないかと最近思っています。それを双方が駆使できれば議論によって止揚できることもありますが、片方向だと支配-服従の関係に至るような。日本語はそういう丁々発止に向いていないので、勢い、議論になりにくく、発言者の権威が優先されてしまう。釈迦に説法で恐縮ですが、逆に米語でも日常会話では主語省略がままありますよね? 僕が聞き取れていないだけかもしれませんが(汗
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
pajamadama ああ、だから私がちょっと強気で話すと権威的に受け止められてしまうのですね。そんな現象はキライなので、出来るだけ発生しないようにしています。しかし、主語は支配するものではありません。誰が〜する/〜であるのかを明確にしているだけで、むしろ、主語という感覚が不明瞭のまま受け取ると暴力性を帯びるのだと思います。その意味では、「主語」と呼ばれているものの「名を正す」必要があるでしょう。
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
pajamadama 私は釈迦ではございませんが、米語でも主語省略はありますね。私はここにある、ちゃんと私がいる、不条理に侵さないでくれ、という感覚が強く、それを日本人は自己主張が激しいと受け取るのかもしれません。
Sirius☆彡 共謀中一般人 祈ります @sitesirius 2012年5月29日
"言語の発達・複雑化は階級社会をとおして行われてきたことである。そこに伝達の二つの形式、支配者の用いたpush伝達と、民衆が用いてきたpull伝達が存在している。…" http://t.co/y8JqCaxH
Sirius☆彡 共謀中一般人 祈ります @sitesirius 2012年5月29日
"…push伝達とは明確な意思の元に多くの民衆にむけて行われる発話である。一方pull伝達は神への祈りをルーツにもつ注意喚起のための伝達である。…" http://bit.ly/KYp2Xj
Sirius☆彡 共謀中一般人 祈ります @sitesirius 2012年5月29日
"…例えば日本語の命令文句は体言止と已然形に分裂しているが前者がofficialであり、支配者の命令形で、後者は民衆に伝わる形である。" http://bit.ly/KYp2Xj
_ @pajamadama 2012年5月29日
yoshikonome そうなんです、僕もよく日本の大学で「偉そうに、何様のつもりだ」と友人に叱責されたり、教官からは奇異の目でみられたりしました。言外に「立場をわきまえろ」という圧力を感じたんです。「主語」の「名を正す」ことには大賛成です。自らを大きな流れの中の一部と感得し、言葉を自分の中を通り過ぎる自然の流れに過ぎない、と捉えると、立場や権威といった夾雑物は削ぎ落とされて、本来的な「主語」に立ち戻り、そうなると省略もまた当たり前のことなのかな、と愚考したり。
Sirius☆彡 共謀中一般人 祈ります @sitesirius 2012年5月29日
独白 monologue と、対話 dialogue の差かな?と感じました。→主語は必要か。
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
pajamadama 同感共感です。これですよ、これ!すっきりした明瞭な表現をありがとうございます。→”「主語」の「名を正す」ことには大賛成です。自らを大きな流れの中の一部と感得し、言葉を自分の中を通り過ぎる自然の流れに過ぎない、と捉えると、立場や権威といった夾雑物は削ぎ落とされて、本来的な「主語」に立ち戻り”。私も小中学校時代、全く同じ状況に遭遇しました。子供だったので、何が何だかわからず本当に大変でした。
_ @pajamadama 2012年5月29日
yoshikonome 主語無しで乱暴な一般論を振り回すことの危うさには注意深く距離をとってきたつもりなんですが、19で決別するまで親に解ってもらえなかったのが一番しんどかったですね。「偉そうに!」は母親「が」よく使う言葉でした(悪意の「が」です)。
こいけた七味 @k15m 2012年5月29日
面白いですね〜♪ 私は単純に、感覚として「が」は強すぎる気もするので、「の」を好んで使う傾向にあるのですが、そんな背景というか成り立ちのあることは知りませんでした。ありがとうございます☆ 象の鼻は長く、切符の切れていない方は申し出て、あなたの行く場所へ……面白い♪
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
pajamadama 親の無理解は、決別出来るまで逃げられなくて、さぞ辛かったことでしょうね。決別おめでとうございます、と言って良いのでしょうか。私は基本的に家の外で理解されませんでしたが、今思うと家の中でも・・・あります。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
「私は象さんが好き。」「私は象さんを好き。」「私が象さんを好き。」「私が象さんは好き。」「象さんが私は好き。」「象さんを私が好き。」「象さんを私は好き。」「象さんは私が好き。」
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
「私は象さんが好き。」<私>という場について言うなら、そこでは<好き>という現象が発生しており、その現象の向っている対象が<象さん>である。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
徒然草・序「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」安冨訳「物思いにふけるままに、終日、硯にむかって、心にわけもなく続々と現れる考えを、際限もなく書きつづっていけば、それはまったく妖しく、物狂おしいことだ。」私はこれではじめて納得したけど、間違ってるかな?
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
「尾上八郎解題、山崎麓校訂(校註日本文學大系3 國民圖書株式會社 1924.7.23) 」だと、「つれ\〃/なるまゝに〔退屈なので〕、日ぐらし〔終日〕硯に向ひて、心に移り行くよしなしごと〔つまらぬ事、らちもない事〕を、そこはかとなく〔とりとめもなく〕書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ〔妙に變な気持がする〕。」だそうで、確かそう習ったけど、なんか、納得できない。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
どうして「つまらぬ事、らちもない事」を書いたくらいで、「妙に変な気持ちがする」のか、まったくわからない。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
宮沢賢治「春と修羅・序」「わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといっしょに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち、その電燈は失はれ) 」
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
これは明らかに、縁起を描いている。主語はない。
kg @kurogi2010 2012年5月29日
@anmintei 「わたくしといふ現象」が主語で問題はない筈。「わたくしといふ現象」は、~ひとつの青い照明のような物だと言っている。作者は、「わたくしといふ現象」と、~ひとつの青い照明のような物~という認識を重ねてイメージしている。主語が無いと言われるならその説明が必要でしょう。
kg @kurogi2010 2012年5月29日
@anmintei徒然草・序に対する安冨訳への私の評価。私は、このような訳というより認識では不十分だと考えます。安冨訳に主語として、言外に「私は」、「私たち人間というものは」という追加して認識します。尚且つ、①それを一現象と考え、②法則性と考えます。
_ @pajamadama 2012年5月29日
anmintei 徒然草は安冨先生訳のほうがしっくり来ますね。書き始めに突如自我の壁が溶けて、世界と一体化するようなトランス状態は、作家なら経験しているはず。作家の方は、「神おろしを待っている」などと言いますね。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
「主語」と「評価」とは関係ありそうだな。
愚慫 @gushou 2012年5月29日
“評価したい”という動機が先にあって、そのために「評価基準」が要請され、そこに「主語」が付随してくる...という感じかな。
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
よしこの芽訳「心の趣くままに、日が暮れるまで(=終日)硯に向かって、心に映ってゆくたわいもないことを目的も何もなく書き付けていると、なんとも尋常ならぬ気が狂いそうな心地になることよ。」
愚慫 @gushou 2012年5月29日
「主語」が付随してくるという消極的な形ではなく、「評価基準」に適合する「主語」が積極的に選択されるのか? 都合良く評価したい⇒都合良く評価基準を選ぶ⇒都合の良い主語を選ぶ となって、ヘンテコな「主語」が跋扈するようになる?
愚慫 @gushou 2012年5月29日
この考えが当たっているなら、やはり日本語は「述語」が軸で「主語」は付随的ということになるか。「主語」が軸ならば、「主語」を都合良く選択するなどという芸当は不可能なはず。
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
創作や文筆を愉しみつつ過ごし、いつの間にか日暮れ時が迫ってくると、日暮れの気配と、一日中創造的に漂っていた心の残滓とで、なんとも言えない気が狂わんばかりになる。という感じです。「日暮らし」は必ずしも夕暮れでなくても、いつの間にか時間が経っていて、ふと現実世界に触れたときに気が狂ふれ(ふれ)たような感じを覚える。
_ @pajamadama 2012年5月29日
gushou 小論文や論述筆記で「私たち日本人は」というヘンテコな主語を多用することで、僕は大学受験に成功しました。「都合の良い評価基準」を選ぶことの能力を弁別するシステムでした。
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
つれづれなるままに 日ぐらし <硯に向ひて> 心にうつりゆく よしなし(ごとを) そこはかとなく <書き付くれば> あやしうこそ物狂ほしけれ ←冒頭から、気の向くままずーっとぼんやり何となく、が硯に向かう、書くという動作を包み、最後に 普通ではない気が狂いそうな感じ、に落としている。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
gushou ああ、用言主体の言語に、無理に主語を持ち込むと、適当に主語をねつ造できるので、とんでもない欺瞞言語ができるわけだ。なるほどな〜。賢くなった。
愚慫 @gushou 2012年5月29日
そういえば、私自身も文章を書くとき、「わたしたち」とか「われわれ日本人」とかいう主語を使うなぁ。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
なので原子力関係者は「我が国は」と論文を書くのだな。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
yoshikonome 「落とす」というのは私の嫌いな操作のひとつ。「落とし込む」という言葉が好きな連中は特に嫌いだ。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
pajamadama うわ。原発関係者要請試験かよ。やはり主語の「選択」と「評価基準設定」とが、関係している。そして、主語中心でない言語でそれをすることが、巧妙な卑怯者をつくりだす。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
主体(主語)が「選択」するなら、まぁ、百歩譲って許してやってもいいが、「主語を選択」するなんて、言語道断だ。
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月29日
anmintei あ、嫌われた。。。なるほど、主語があると無意識にこういう書き方が出て来るわけですね。それか、東大話法が出てしまった。突然はっと次の展開が来る、という意味で使おうとしました。落とし処を決めてかかる議論とかキライで、使うの意識的に避けようとしてたのに、やっちゃった。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年5月29日
「落ちる」のはもちろん、問題なし。「落とす」のはよくない。「落とし込む」のは最悪。
kg @kurogi2010 2012年5月29日
@anmintei 主語が、個別概念と一般概念の間で揺れる(あるいは両方を一度に持つ)。個別か一般かが曖昧にされ、時には都合よく選択される。当然、主語に影響を受けるその文全体も、①個別②一般③個別、一般の両方があり得る。「主語を選択するなんて、言語道断」と言われるが、認識において、日本人はそれを当たり前にやっている。
kaz hagiwara(萩原 一彦) @reservologic 2012年5月29日
話者としての日本人が「主語を選択」しているというよりも、日本語で何か言おうとすると、日本語の言語構造が勝手に主語を文中のある場所に配置する(あるいはどこにも配置しない)と言ったほうがいいかも。「いやあ、親父に死なれちゃってねえ。」で省略されているはずのものは、主語というより話題ですが、日本語はそこに「主語」を置くことを許さない。
bra-ketくん @mac_wac 2012年5月30日
象鼻文がどうして「私が食べる」と「私は食べる」を根本的に別物とする根拠になるのか意味不明。「私は食べる」は「私が食べる」の主題を明示したものであると関連付けるべきだろう。「ジュースを飲む」「ジュースは飲む」や「学校に行く」「学校には行く」の関係と同等。
愚慫 @gushou 2012年5月30日
日本語の言語構造が勝手に主語を文中に配置することは問題ではない。それはそのようなものだとして受け入れる以外はない。問題は何ごとかを隠蔽しようとしたときに、日本語の言語構造がそれを容易に許し助長するというところにある。
愚慫 @gushou 2012年5月30日
とはいえ、そうした隠蔽は隠しおおせるわけではない。日本語の構造に沿っているがゆえに、その隠蔽の証拠は「主語(とされるもの)」に現われる。ここで行なわれているのはそうした考察だろう。そして、「主語」に現われるということが明らかになれば、隠蔽のあるなしは「主語」をみれば判定できるということなる。
愚慫 @gushou 2012年5月30日
もう少し言うと、コンテキストと「主語」の整合性。私が書く文章の主語が「私」であるのは当然だが、それが「我々」になったときに、そうなる必然性があるのかどうか。ないのなら、そこに何らかの隠蔽がある、ということになる。隠蔽への強迫観念から「我々」が要請された、と見ることが出来る。
kaz hagiwara(萩原 一彦) @reservologic 2012年5月30日
所詮言語は記号なのだから、人間が関わる限りどんな言語でも一意対応にはなりません。その意味で日本語は特殊じゃない。一意対応じゃないってことは言外にいくらでも意味を込めることができるってことです。じゃなければそもそも文学は成立しない。ところが、英語だってドイツ語だってサンスクリット語でさえ文学が成立している。英語で作る俳句だってある。それは言語の使い手のスキルにかかわることであり、「隠蔽」のしやすさ云々とは関係のないことかと。
セルフ執事 @SF_yomi 2012年5月30日
教育文法関連の話題が出てないのは、意図的なの? 
よしこの芽 @yoshikonome 2012年5月30日
まとめを更新しました。抜けているところなどありましたら、ご連絡くださいな。はう、結局休憩のがした。。。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年6月1日
SF_yomi 実のところ、文法の話をしているのではないのです。
セルフ執事 @SF_yomi 2012年6月1日
了解です。てか二行目に紹介「金谷武洋『日本語に主語はいらない』」されてましたね。最初読んだ時はトンデモ扱いされていたので、リンク先を確かめなかったのです。すいません。anmintei
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