お菓子っ子さんによる古代中国の共通語事情

日本においても別地方で方言が通じないことはよくあること。 古代中国でも方言の違いがあり、当時の知識人や武人は別の土地に行くとき難渋したのではないか? もしかして筆談でもして意思疎通したのか? そんな疑問へのお菓子っ子さんのつぶやき
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お菓子っ子 @sweets_street

あちこちで「中国は方言がきついから、昔の文人や武将は他の土地の人と話す時は筆談で話してた」という意見を見かけるのですが、春秋時代成立の論語に「詩経や尚書は雅言で伝えてるよ。儀礼を執り行う時も雅言を使うよ」とあります。当時に於いては、詩経や尚書などの経典は口頭で伝承します(続く)

2012-06-01 10:08:09
お菓子っ子 @sweets_street

(承前)詩経や尚書は周代から各地で口頭伝承されてきた詩や記録をまとめたもの。つまり、各地の伝承を同じ言葉で伝えるための共通語が広く話されていたということ。これらの経典がテキスト化されてからも、文章の暗誦は必須とされているので、経典を学ぶ人は皆雅言を使うわけです(続く)

2012-06-01 10:17:26
お菓子っ子 @sweets_street

(承前)春秋戦国時代のインテリは、自分の学派以外の学問も学ぶのが当たり前だったので、儒家の学者以外も当然雅言を使えます。儒家は当時の有力学派なので、儒家のテキストを肯定・批判問わず引用して議論できないと何かと不便なのです。もしかしたら、雅言は儒家だけではなく、(続く)

2012-06-01 10:23:48
お菓子っ子 @sweets_street

(承前)当時のインテリの共通語だったのかもしれないですね。魏(河南省)の人が斉(山東省)で勉強して、楚(安徽省)で遊説して、秦(陝西省)の大臣になるという例は枚挙に暇がない時代。諸国をめぐって金持ちの食客(スタッフ)になるインテリも多くいました。ボーダーレスな時代でした(続く)

2012-06-01 10:32:26
お菓子っ子 @sweets_street

(承前)インテリがボーダーレスであるというのは、秦や漢を経ても変わりありません。むしろ、統一帝国ができたおかげで往来が容易になります。また、全国規模の行政機構ができたため、インテリが各地から集まって中国全土の政治を分担する官僚になりました。共通語がますます必要になりますね(続く)

2012-06-01 10:35:42
断筆しました @Snow_CandyFace

@sweets_street それまでは人口の移動が少なかったってことですかね

2012-06-01 10:37:45
お菓子っ子 @sweets_street

@Snow_CandyFace あったけれど、さらに活発になったということです。春秋戦国時代までの中国は、ヨーロッパみたいに言語や文化が違う国がひしめいて、インテリたちが国境を超えて活動してたのですが、それが全部ひとつの国になって、国内ということになったんです

2012-06-01 10:57:47
お菓子っ子 @sweets_street

(承前)雅言は漢代に入って「通語」と呼ばれる秦(陝西省)や晋(山西省)の方言に共通語としての地位を奪われたと、漢代の学者揚雄は語っています。その後、さまざまな言葉の影響を受けながら明代に公用語の「官話」となりました。インテリは方言を話さないわけではなくて、(続く)

2012-06-01 10:43:37
お菓子っ子 @sweets_street

(承前)方言同士での意思疎通は難しかったのですが、意思疎通に適した官話の表現を使えば、強い訛りがあっても意味は通じたのです。現代の英語みたいなものですね。漢代以降のインテリは必ず儒教のテキストを頭に叩き込んで暗誦したので、インテリなら誰でも(続く)

2012-06-01 10:47:54
お菓子っ子 @sweets_street

(承前)儒教のテキストの単語や文法を使って会話できたのです。そういうわけで、「河北出身の劉備と、山東出身の諸葛亮は初対面の時は筆談したのではないか」などという説は誤りです。二人とも儒教のテキストを学んだインテリなので、訛りがあるにせよ当時の共通語である通語を操れるのですね

2012-06-01 10:52:43
Stella @Stella_NF

@sweets_street むしろ張飛がやばい、という話ですか。関羽は左伝読みだから通語が操れるでしょうが、張飛にその手の素養があったとは聞いたことがない。

2012-06-01 10:59:35
お菓子っ子 @sweets_street

@Stella_NF 張飛は荊州や益州の郡太守や司隷校尉(首都圏警察長官)といった士大夫ですら務めるのが容易でない高官ポストを歴任しているので、通語を操れる程度の教養はあったのではないかと思っています

2012-06-01 11:03:45
Stella @Stella_NF

@sweets_street ただの暴れん坊じゃなかったんですね。というか地位が上がるに連れその手の教養を身につけなければならなかったからかもしれませんが。

2012-06-01 11:11:34
お菓子っ子 @sweets_street

@Stella_NF 高級将官は事務処理ができないと務まらないので、ある程度の教養が必要なんです。官僚上がりの将官が多いのはそういう理由ですね。武勇だけの武人なら、数百の兵を率いて武器を振るうのがせいぜい。極端に無学な高級将官は、王平のように特筆すべき存在でした

2012-06-01 11:17:50
地雷魚 @Jiraygyo

@sweets_street ちなみに私は一切それには関わってないというか、普通にたいていのインテリが洛陽に留学している、あるいはそういう人達の弟子ってのに、んなわけあるかってスルーしとった。

2012-06-01 11:08:12
お菓子っ子 @sweets_street

@Jiraygyo そして、何かあって故郷を離れた学者が、流れた先で弟子を集めて学問教えてたりしますよね。どこに行っても洛陽の学問の学問をマスターした学者から学べるんだから、同じ言葉使えなきゃ困りますよね

2012-06-01 11:15:11
地雷魚 @Jiraygyo

@sweets_street だいたい情報技術が見発達な時代のが、発達した時代より文化は低きに流れて低い文化は遠慮なく捨てられるもんなんだし。ヨーロッパだって長いこと学会はラテン語が基礎教養だし。本当、物知らずの主張すぎてアホくさかった。

2012-06-01 11:19:08
お菓子っ子 @sweets_street

@Jiraygyo それを中国文学や東洋史学を大学で学んだ人間が当たり前のように言ってるから根が深いんですよ(´・ω・`) 今回のツイートのきっかけも、やはりそういう人間のツイートを見たのがきっかけでした

2012-06-01 11:24:22
ぶれじねふ @panzerbis

@sweets_street  ヨーロッパでフランス語が外交用の共通語だったことを思い出しますね。近代の欧州の軍人や知識人も国境を越えて活動していましたね。 (つぶやきをまとめさせていただきました) 

2012-06-01 11:11:44
お菓子っ子 @sweets_street

@panzerbis 素早くまとめていただきありがとうござました。ヨーロッパでは聖職者のラテン語が長らく共通語でしたが、やがてフランス語が貴族階級に使われるようになりましたね

2012-06-01 11:19:45
匿名希・望 @Ntokunaki

雅言と通語の移行期に何があったのかは興味深いですが、ラテン語と英語の様な関係だったのでしょうか? QT @sweets_street 雅言は漢代に入って「通語」と呼ばれる秦(陝西省)や晋(山西省)の方言に共通語としての地位を奪われたと、漢代の学者揚雄は語っています。

2012-06-01 11:19:36
お菓子っ子 @sweets_street

@Ntokunaki 秦や漢が統一帝国を作ったので、その本拠地である秦の言葉が使われるようになったのでしょうね。政治と学芸の中心地なわけですし

2012-06-01 11:25:53
匿名希・望 @Ntokunaki

@sweets_street しかし、秦も長期政権ではなかったと思うのですが本格的な移行は漢代からでしょうか?

2012-06-01 11:30:05
お菓子っ子 @sweets_street

@Ntokunaki 本格的になったのは漢代からでしょうね。前漢の中期以降、儒教のテキストが「重要なテキストの一つ」から「すべてのインテリにとっての基本テキスト」になったから、共通した文章を暗誦して、共通した単語や文法をマスターできるようになったのが大きいと思います

2012-06-01 11:34:55
匿名希・望 @Ntokunaki

@sweets_street 秦代に儒教の言語が雅言から通語(の原型)に移行開始、漢代に儒教が支配的になり通語が共通語化といった流れですか。 雅言は漢代には完全にマイナー言語化してたのかな?

2012-06-01 11:50:46