小説用突発文章術講座2
一つ、単調に見える。これ自体は狙って使う分には問題ないが、狙わず単調になってしまっては読者は飽きる。無論全面的にやると、下手すると作者のセンスを疑われる。地の文はト書きではないことが多いので、読者を飽きさせない工夫をしろ ということである。
2010-06-23 05:13:38二つ、対句のように見える。つまり、より詩文的な表現に近づいて見える。この際に、文末以外が適切な押韻などの詩文構造を持っていないと、文末だけ浮いてしまう。大体の場合、文末なんて目立たせるべき箇所ではないので、不用意な箇所に読者の視線を振ってしまったことになるのだ。
2010-06-23 05:16:40結局第一点と同様の意図になるのだが、文章のリズムを損ねることになる。書いたものを読み上げてみろ とは言わないが、黙読時にも読者の大半は頭の中で発音しているのだからそれを考慮/利用することは、当然考えられて然るべきである。
2010-06-23 05:25:24同様の動作においても、背景も異なるだろうし帯びる情緒も異なる。これを同じ表現で締めるということは、それらの要素を削ぎ落とす ということである。
2010-06-23 05:32:49無論、これは意図的に情緒を削ぎ落としたい場面(システムメッセージや無機質な印象を与えたい場合)で用いる分には使えるだろう。だが、それらは所謂「通常のシーン」との落差があればこそ成立するので、通常のシーン用の文体を疎かにしてよい ということではない。
2010-06-23 05:36:24文末は一番個性が出る場所だろう。と言うのも、文末は殆ど表現内容に依存しない。これを良くも悪くも利用した手法が、語尾によるキャラ付け だろう。
2010-06-23 05:51:03反語や倒置といった手法が強烈な香辛料であるとすれば、文末による個性付けはさながら味噌か醤油である。効果は劇的でないことが多く、しかしシーン全体に作用する。
2010-06-23 06:01:33全体を通して作用してしまうため、途中でころころと変えてしまっては読者は違和感を覚えてしまう。それこそケーキ食べてて3口目くらいでいきなり醤油味だったら思わず吐き出してしまうだろう。そういうことである。
2010-06-23 06:03:43場面に応じて文末処理を変えることで、雰囲気を大幅に模様替えできるのでそれなりに利用価値は高いが、文章のほかの部分との取り合わせは注意したい。先程の例えなら、ケーキの味を変えるために砂糖の代わりに蜂蜜を使うことはあっても、砂糖の代わりにオイスターソースを使うのは普通ありえない。
2010-06-23 06:08:47