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schizoophrenie @schizoophrenie
ラカンの文脈で、「パラノイアは神経症」とか「神経症と精神病の中間」とする理解をみて絶句するなど。
schizoophrenie @schizoophrenie
これ書くの2回目かもしれませんが。日本では”妄想型”統合失調症とパラノイアというのは区別して考えますね。フロイトとラカンが「パラノイア」と呼んでいるのは、妄想型〜日本で言うパラノイア(の一部)に至るわりと広いスペクトラムの、「妄想優位の精神病」のことですよ。
schizoophrenie @schizoophrenie
シュレーバー症例論 http://t.co/R4sxfbi6 「妄想型統合失調症」の事例であるシュレーバー症例のことを、フロイトは「パラノイア」と呼んでいるので、その用語法にラカンは従っているわけです。
schizoophrenie @schizoophrenie
まず”標準版”のラカン派の疾患分類を確認することが必要です。神経症、精神病、倒錯が3大カテゴリーで、それぞれ抑圧、排除、否認によって規定される。神経症の下位分類にヒステリーと強迫が、精神病の下位分類にパラノイアとスキゾフレニーとメランコリーがあるのです。
schizoophrenie @schizoophrenie
ラカン的臨床の主眼は、神経症と精神病の鑑別診断にあります。なぜかといえば、精神病構造をとる患者を寝椅子に寝かすことは、発病を促進する危険性があるからです。そのため、数回の予備面接で神経症と精神病を鑑別する技法をラカンは必要としたのです。
schizoophrenie @schizoophrenie
ラカンの種々の言語学の援用は、この鑑別診断のためになされたと言うことすらできます。フロイト以来、精神分析は、神経症と精神病ではその病態が織り成す「意味作用」が異なっていることに注目してきたのですから、ラカンの言語学の援用はある意味では正当な深化であるとも言えます。
schizoophrenie @schizoophrenie
フロイトの「無意識」という論文 http://t.co/HykSTqXo に、意味作用によって神経症と精神病を鑑別する手法が示されています。「靴下を履けない」という同じ症状を呈する強迫神経症と、スキゾフレニーの症例が扱われており、両者の意味作用が違うと指摘されているのです。
schizoophrenie @schizoophrenie
強迫神経症者の症例では、この患者は靴下を履いたり脱いだりする行為を無意識では手淫に相当すると考えていた。つまり、足=陰茎という「隠喩」が成立している。
schizoophrenie @schizoophrenie
一方、スキゾフレニーの症例では、靴下の網目の一つ一つが女性器の穴に思えてしまうから靴下が履けない、と言う。こちらにあるのは「穴は穴なので同じ」というシニカルな意味作用(の不在)。
schizoophrenie @schizoophrenie
要するに、フロイトは隠喩による性的な意味作用の成立の有無によって、神経症と精神病を鑑別しようとしていたのです。これをラカンは構造言語学によって上書きするわけです。つまり、隠喩は新たな(多くは性的な)意味作用を付加するものである、そして神経症を決定する隠喩は父の名の隠喩である、と。
schizoophrenie @schizoophrenie
神経症と精神病におけるこの意味作用の違いは、すでに『人格との関係からみたパラノイア性精神病』 http://t.co/GdXysAuM のなかでシュルレアリスム経由で導入されているのだけれど、それについては夏に某商業誌に書いた論文が出るのでそちらをご参照下さい。
schizoophrenie @schizoophrenie
『精神病』のセミネール http://t.co/omGxhHY9 の中で、ラカンは精神病の特徴を「新たな隠喩をつくることができないこと」と述べています。破瓜型の解体がおこった統合失調症では、言葉の隠喩的な意味を理解することができずに、言葉を物のように扱ってしまう現象がみられます。
schizoophrenie @schizoophrenie
我々の業界では有名な症例で、「カメがひっくり返ってメカになっていないか心配」と述べた破瓜型の症例がありますが、物と言葉がダイレクトにつながってしまう病理があるわけです。このことをラカンは、スキゾフレニーの構造として「象徴界がすべて現実界である」と述べています(E392)。
schizoophrenie @schizoophrenie
言語の慣用句的、隠喩的使用ができない、という特徴が完全にあてはまるのはスキゾフレニー(破瓜型)です。一方、妄想型(パラノイア)は解体が軽度ですから、言葉の慣用句的使用はわりと普通にできます。良好な治療下で安定している時期はほぼ普通の人に見えますし、普通の言語仕様ができます。
schizoophrenie @schizoophrenie
パラノイアはスキゾフレニーのように「象徴界がすべて現実界」にはなってしまっていない、という点が異なる。スキゾフレニーでは象徴的なもののすべてが現実的なものの水準に落ちてしまうのに対して、パラノイアでは本来は象徴的なものであるはずのシニフィアンが、いわば1つずつ現実的なものとなる。
schizoophrenie @schizoophrenie
で、その現象のことをラカンは「排除されたものの回帰」と呼んだわけでしたね。「抑圧されたものの回帰」(神経症)と「排除されたものの回帰」(精神病)は意味作用が全く異なっていて、そのことは以前「おーい、でてこーい」の話で説明したのですが、皆さん覚えてらっしゃいますかね。。。
schizoophrenie @schizoophrenie
「おーい、でてこーい」http://t.co/xjG4k7ho 謎の穴のなかにゴミとか核燃料を捨てまくっていたら、ある日、空から”捨てたそのもの”が降ってくるという話。そのまま帰ってくるのが排除されたものの回帰。
schizoophrenie @schizoophrenie
凡百の作家なら、ゴミや核燃料を捨てたことに対する「報い」として、たとえば「大災害」や「ゴジラ」が空から降ってくる、という風に「隠喩化」したでしょう。これは「抑圧されたものの回帰」。抑圧というのは、葛藤が身体症状になるように、ある種の偽装、隠喩化を伴うのです。それがないのが精神病。
schizoophrenie @schizoophrenie
脱線してきたな…。とにかく、神経症と精神病には意味作用上に差異があることはフロイトがすでに気づいており、ラカンはそれを精緻化するために当時の構造言語学を輸入して独自に変形したのです。もちろん、言語以外の側面についてもラカンは多くを語ったのですがそれはまた別のお話。
schizoophrenie @schizoophrenie
こういう風に、ラカン派には神経症と精神病を厳格に区別する臨床があって、両者の中間などというものはないとされてきた。その中で、70年代のラカンはボロメオの輪とサントームを導入して、むしろ神経症と精神病を同一の次元で扱う理論をつくりはじめた。この革命が『サントーム』のインパクト。
schizoophrenie @schizoophrenie
立木康介(編):精神分析の名著 - フロイトから土居健郎まで http://t.co/MQDVwkvA この本のなかでラカンの「名著」として『エクリ』と『サントーム』の2つが取り上げられているのはそういう事情なんですね。
schizoophrenie @schizoophrenie
では、そのサントームのモデルでは、神経症と精神病の関係はどうなっているのか、両者の中間例というのは最終的にラカンは認めたのか、あれほど重視していた鑑別診断はどうなったのか、などと色々と疑問が沸くかと思いますが、某商業誌に書いた(ry

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