- hashimoto_tokyo
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【龍馬と金星日面通過?】(1)本日の金星日面通過はあいにく関東では雨天で観測できず。残念だが天気ばかりは仕方ない。この金星日面通過については国立天文台のHPが詳細(http://t.co/O5xWn1OR)基本情報はこちらに譲り、以下例のごとく歴史小話を。それで、なぜ坂本龍馬??
2012-06-06 14:29:21【龍馬と金星?】(2)幕末の志士・坂本龍馬と言えば、もはや動かしがたい強烈なイメージがある。言うまでもないが、あの憮然とした表情で立つ肖像写真(1866年撮影)である。龍馬と言えばこの写真が全てのような感すらある。ところで、被写体は被写体。問題はこの写真を誰が撮影したのか?。。。
2012-06-06 14:30:54【龍馬と金星?】(3)よく考えてみると、1860年代の日本でこのような写真(湿板写真)が撮影されていたことは驚きかもしれない。基本的な技術はヨーロッパでも1850年代に確立したばかり。それが、僅か数年後に日本に紹介導入され、ある日本人によってこの龍馬が撮影されているのだから。
2012-06-06 14:31:48【龍馬と金星?】(4)龍馬のあの有名な肖像写真を長崎で撮影したのは、写真師・上野彦馬(1838-1904)。長崎の時計職人の家に生まれ、オランダ軍医・ポンペの指導で化学を、後にフランス人ロシュから写真術を学ぶ。途中経緯は省略するが、1862年に上野は長崎で写真館を開業した。
2012-06-06 14:32:48【龍馬と金星?】(5)上野は日本人写真師の第一世代。(同じ頃横浜では下岡蓮杖が開業。)当初、機材一式は購入できたが、消耗品の薬品の一部は自製する苦労を。例えば、牛の頭を土に埋めて腐肉からアンモニアを精製したが、あまりの悪臭に周囲から苦情が起り長崎奉行所に身柄を拘束されたとか。。。
2012-06-06 14:35:08【龍馬と金星?】(6)最初の頃の上野の顧客は長崎を訪れた外国人。それから長崎に来た著名人を撮影していく。その一人が坂本龍馬だったというわけである。写真館の営業も軌道に乗ると、彼のもとに多数の門人が集まり、全国各地に写真術を普及させることとなる。そして時代は明治へ。
2012-06-06 14:36:38【龍馬と金星?】(7)明治7年(1874)12月、国際的な天文観測チームが長崎・横浜・神戸に分散して訪れ、金星日面通過を観測することとなった。この時長崎には、アメリカ隊が訪れている。(観測場所は長崎県指定史跡・金比羅山)そこで写真撮影の協力を依頼されたのが上野彦馬であった。
2012-06-06 14:37:52【龍馬と金星?】(8)馬場章編『上野彦馬歴史写真集成』(渡辺出版、2006年)のp.52に「金星観測眼視望遠鏡」という日面通過観測のための望遠鏡を、上野が撮影した写真が収録されている。しかし、肝腎の日面通過の瞬間をとらえた天文写真は実は「一枚も発見されていない」(同書)!!。。。
2012-06-06 14:39:36【龍馬と金星?】(9)上野が撮影したはずの金星の写真が以前から気になっていて、どこかにないものかと色々探していた。もし見つかれば大発見!それでつい最近、この金星日面通過が話題となり、思わぬ所でようやくその答えに辿り着いた。先に述べた国立天文台HPに次の報告が紹介されている →
2012-06-06 14:43:28【龍馬と金星?】(10)斉藤国治「科学における黒船, 100年前の金星日面経過観測」(天文月報,1974年)に次の文言が。。。「長崎は[観測当日]午後から曇り、夜に入りて雨」つまり観測不能だったあああ?!一瞬、「長崎は今日も雨だった♪」というフレーズが頭を過ったのでした。。。了
2012-06-06 14:45:55--でも国立天文台にはまだまだお宝が…。
【科学】NHK:国内で最も古い星空写真を発見 http://t.co/JgXoUsQm 「明治の半ばから大正にかけて、東京の都心で撮影された星空の写真の乾板400枚余り…東京・三鷹市の国立天文台で」
2012-03-17 09:04:57@hashimoto_tokyo うちの職場の「ある部屋」には、有象無象の古い資料がたくさん入っているのです。そこをゴソゴソと整理していたら、なんと、お宝が出てきたのです!
2012-03-17 09:11:37