2012年6月7日

山本七平botまとめ/『応報思想が「社会の悪」を求める理由』~「正義は必ず勝つ」の恐ろしさ~

山本七平著『禁忌の聖書学』/終末なきヨブの嘆き/181頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①「何かあっても、前世の因果と思って諦めるんだな」何とも納得できない不条理に陥ったとき、その理由を前世に求めるか前の世代に求める。これが大体日本の伝統的な考え方であろう。<禁忌の聖書学

2012-06-06 01:26:30
山本七平bot @yamamoto7hei

②不思議なことだが、いや当然なのかも知れぬが、人間は不条理を信ぜず、あくまで応報思想を信じたがる。その点ではすべての人はまことに宗教的で、新興宗教の隆盛は当然であろう

2012-06-06 01:56:45
山本七平bot @yamamoto7hei

③その為常にどこかで「善因は善果を生み、悪因は悪果を生む」と信じたがり、そうならないのはこの世のどこかに「悪」があるからだと信じている。「社会が悪い」「世の中が悪い」「政治が悪い」「環境が悪い」「友人が悪い」等々、この「悪い」には際限がなく世の中には「悪」が満ち満ちているらしい

2012-06-06 02:26:32
山本七平bot @yamamoto7hei

④そしてこの言葉の背後にあるのは「しかし私は正しい」であろう。この「正しい私」が、悪の誘惑によって転落した者を見たとき、「悪の誘惑に負けたのだから当然だ」と思う。そして何かの災難が「正しい私」によりかかって来たときは、「社会の悪」の犠牲者だと思えばよい

2012-06-06 02:56:48
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤これも一つの逃げ道、「前世の因果」も「親の因果」もなくなったとき、人は「社会が悪い」に逃れる。では「社会が悪い」も封じられた場合どうなるか。それこそ逃げ場はなくなる。

2012-06-06 03:26:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥そこで、「社会の悪」という「悪」を生存させねばならず、そうなると、その犠牲者にならぬためには、ひたすらその悪を避けて善行を積めとなる。そしてその善因の善果を得られぬ者は「社会の悪」というサタンの誘惑に陥ったことになる

2012-06-06 03:56:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦「正義は必ず勝つ」とか「正直者は必ず報われる」とかいった言葉を人間は常に信じたがっており、これは、人間が最も好きな言葉かも知れない。だがこの言葉を裏返すと恐しい。というのは、「敗れた者は必ず不義」で「報われなかった者は不正直」となる

2012-06-06 04:26:30
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧『ヨブ記』は何を書こうとしたのか。善因善果・悪因悪果などという応報思想は何の根拠もない、その法則が神を拘束している訳ではないという事であろうか。そうかも知れぬ。善とか義とかは旧約聖書においてはそれ自体が絶対なものだから、報われようと報われまいと関係ないという事になろう。

2012-06-06 04:56:40

コメント

1 @akenomyoujo 2012年6月8日
お前が軟弱になって世界の理不尽さに耐えれなくなっただけだろ!って思われる現象はよくある。死というもっとも忌むべきことが運命的に起こるという事は、悪因探しのあほらしさを教えてくれる。
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いちごみかん @yumemegakuma 2018年1月12日
いわゆる公正世界信念かな。個人的に、「何もしなければ何も悪いことは起きない」も追加しおきたい。「悪いことが起きたのは何かしたからだ」が実に怖い考え方だと思う。
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