2012年6月9日

お菓子っ子さんが語る、董卓伝6~反撃の董卓~

以下の拙纏め 「お菓子っ子さんが語る、董卓伝~政権掌握まで~【http://togetter.com/li/311227】」 と 「お菓子っ子さんの語る、董卓伝2~袁紹との対立表面化まで~【http://togetter.com/li/311582】」 と 続きを読む
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お菓子っ子 @sweets_street

前回は反董卓連合側の状況と、董卓が反撃を開始したところまで述べました。今回は董卓側の外交・軍事面における動きについてお話ししましょう

2012-06-08 19:58:52
お菓子っ子 @sweets_street

孫堅が洛陽から兵を引いた後、董卓は朱儁を河南尹(都知事)に任命して空いた洛陽に入城させました。この人は黄巾の乱で皇甫嵩に次ぐ功績を立てた名将。董卓とは朱儁とは不仲でしたが、その実力と名声には一目置いていて、反董卓連合軍との最前線を任せたのです

2012-06-08 20:06:13
お菓子っ子 @sweets_street

しかし、朱儁は着任すると反董卓連合と内通し、露見したのか董卓の攻撃を恐れて荊州に逃亡します。当時の荊州は袁術の勢力範囲。そして、袁術陣営の主力を指揮する孫堅は朱儁が引き立てた人物。つまり、かつての部下の縁を頼って袁術に身を寄せたわけです

2012-06-08 20:09:38
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は朱儁が逃亡すると、楊懿という人を後任の河南尹(都知事)に任命して洛陽に配置しましたが、朱儁は再び洛陽に攻め入って、楊懿を追い払い、洛陽に再び入城します。しかし、董卓が焦土と化した洛陽では食糧を調達できないため、東の中牟に移動し、各地に檄文を飛ばして董卓討伐を呼びかけました

2012-06-08 20:16:51
お菓子っ子 @sweets_street

前回述べたとおり、袁紹一派は足並みの乱れから動きがとれず、袁術一派は袁紹一派との豫州争奪戦で手が離せず、朱儁の檄に応じたのは徐州刺史(徐州行政管区監察官)陶謙のみでした。陶謙は朱儁を盟主と仰ぐことを宣言し、兵三千を送りました。袁紹一派、袁術一派に次ぐ第三の反董卓勢力の旗揚げです

2012-06-08 20:22:51
お菓子っ子 @sweets_street

強力な反董卓勢力が旧首都圏の河南に出現したことに危機感を覚えた董卓は、李傕・郭汜らを指揮官とする数万の軍勢を朱儁討伐に派遣しました。朱儁は迎撃したものの敗北し、董卓と朱儁の洛陽争奪戦はひとまず董卓側の勝利に終わりました

2012-06-08 20:29:55
お菓子っ子 @sweets_street

長安の背後にある涼州で漢帝国を揺るがした大反乱が起き、董卓が討伐を指揮したことは前に述べましたが、そのボスである馬騰と韓遂は、長安遷都までに董卓支持に回っていたようです。董卓は「韓遂たちが長安遷都を強く要望している。遷都しなければ攻めこんでくるかもね」と遷都反対派を脅しています

2012-06-08 20:42:05
お菓子っ子 @sweets_street

馬騰は董卓政権に忠誠を誓って偏将軍(軍司令官)の位を授かっていました。この位は当時の董卓政権の軍部で将軍号を保持していたのは馬騰を除くと、左将軍(中央軍司令官・閣僚相当)董旻と前将軍(左将軍と同様)趙謙のみ。馬騰は董旻と趙謙に次ぐ董卓の軍部の重鎮だったのです

2012-06-08 20:51:15
お菓子っ子 @sweets_street

反乱軍の指導者である馬騰がすんなり将軍に収まっているのに違和感を感じる方もおられると思います。しかし、反乱軍の指導者が朝廷に降伏して高官に収まるというのは、数年前に先例がありました

2012-06-08 20:55:23
お菓子っ子 @sweets_street

前回の話の終わりに公孫瓚の袁紹攻撃と足並みを揃えて、袁紹と劉岱の領土に攻め入った反乱勢力黒山賊の最高指導者張燕は、数年前に朝廷に帰順して平難中郎将(軍司令官)の位と、勢力下の地域の支配権と、郡太守(郡【県相当】知事)と同様に孝廉(キャリア候補生)を推挙する資格を与えられていました

2012-06-08 21:02:35
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は馬騰と韓遂の涼州での支配権を公認して味方に付けたのだろうと思われます。董卓は涼州の大物である皇甫嵩や蓋勲と不仲で、董卓が政権を握った時に京兆尹(長安府知事)として長安を押さえていた蓋勲は、左将軍(中央軍司令官・閣僚相当)として大軍を率いていた皇甫嵩に董卓討伐を持ちかけたほど

2012-06-08 21:12:48
お菓子っ子 @sweets_street

特に四代に渡って軍高官を努め、軍の最高首脳である将軍(方面軍司令官)を三人も出し、数々の戦争で活躍した名門皇甫氏の出身である皇甫嵩の影響力は董卓にとって大きな脅威だったでしょう。だから、大反乱を指導するほどの力がある韓遂や馬騰と組んで、涼州での影響力を強めようとしたと思われます

2012-06-08 21:24:26
お菓子っ子 @sweets_street

「董卓=涼州の大軍閥」というイメージが強いですが、実のところ、董卓の経歴の中で涼州に在任した時期は、郡役所に努めていた数年間を除くと、韓遂討伐に従事した4年間だけ。并州や河東などの山西方面で勤務した時期のほうが長いほどです。もともと涼州で力がある家柄でもありません

2012-06-08 21:31:57
お菓子っ子 @sweets_street

当時の官僚が人脈をどうやって作るかといえば、第一に三公(副首相)や将軍(中央軍司令官)などの中央の高官や、郡太守(郡【県相当】知事)や州刺史(広域行政管区監察官)といった地方長官が府(個人オフィス)で雇用した属官(スタッフ)。府を離れても関係は続きました。これを「故吏」と言います

2012-06-08 21:43:35
お菓子っ子 @sweets_street

第二に高級官僚が朝廷から付けられた部下や、見込みのある若手などに目をかけて、官職に就けるように取り計らったり、重要な任務に推薦したりして恩を売る。中華帝国では人材を推薦するのは官僚の重要な仕事の1つとされてたので、このような人脈作りは露骨な派閥人事でなければ推奨されていました

2012-06-08 21:53:31
お菓子っ子 @sweets_street

第三に血縁や同郷(郡【県相当】や県【市相当】単位)の地縁で繋がってる人間や、若いころにつるんでた人間と徒党を組む。董卓には涼州人の故吏を持てる涼州方面の郡太守(郡【県相当】知事)や州刺史(広域行政管区監察官)の経験がないので、第一の方法では涼州人の人脈を広げられません

2012-06-08 22:02:51
お菓子っ子 @sweets_street

また、董卓の父の官位や若い頃の貧しい暮らしぶりを見るに、出身地の隴西郡で力を持っている家ではないようです。董卓が重用した血縁は弟の董旻と甥の董璜のみ。同郷では隴西の名門である牛氏の出身であろうと思われる娘婿の牛輔ぐらい。第三の方法で涼州人の人脈を広げることもできませんでした

2012-06-08 22:14:15
お菓子っ子 @sweets_street

董卓が涼州人の人脈を広げる機会があるとすれば第二の方法ですが、彼が涼州でそれをできる地位にいたのは、反乱討伐に従事していた4年間のみ。董卓が従えた李傕や郭汜、賈詡などの涼州人は、この時期に部下だった人間でしょう。董卓の涼州での影響力は短期間で作ったコネ頼りで、さほど強くないのです

2012-06-08 22:22:57
お菓子っ子 @sweets_street

だから、涼州の羌族や反体制的な豪族に影響力を持つ馬騰や韓遂の支持を得たのは、董卓政権の安定に大きく寄与したのです。董卓が政権を握っていた間、漢帝国をあれだけ苦しめた涼州の反乱はピタリと止まり、董卓は背後を気にする必要がありませんでした

2012-06-08 22:33:23
お菓子っ子 @sweets_street

董卓の死後に韓遂や馬騰が再び中央に背き、曹操に討伐されるまで20年以上涼州が中央の統制から離れ続けたことを思うと、董卓の対涼州外交がいかに巧みなものだったかが伺えますね

2012-06-08 22:35:29
お菓子っ子 @sweets_street

涼州との良好な関係が作りだした背後の安定が、東方の冀州・兗州・豫州・青州の造反や財政難に苦しみ、孫堅や朱儁に苦戦した董卓が、反撃する力を蓄えるまで耐えしのぐことができた最大の要因だったのです

2012-06-08 22:41:51
お菓子っ子 @sweets_street

袁紹と冀州の覇権を争う公孫瓚は、董卓から奮武将軍(方面軍司令官)の官位を受け取って、黄河以北の董卓政権の総司令官格に収まると、冀州・青州・兗州の三州の刺史(広域行政管区監察官)や、太守(郡【県相当】知事)・県令(市長)を任命しました

2012-06-08 22:48:17
お菓子っ子 @sweets_street

冀州・兗州・青州の刺史(広域行政管区監察官)任命は、袁紹に味方して董卓に造反している冀州牧(冀州行政管区総督)韓馥・兗州刺史劉岱・青州刺史焦和の対抗馬としての人事でしょう。太守(郡【県相当】知事)・県令(市長)などの任命も、董卓に造反している地方官の排除が目的と見て良いと思います

2012-06-08 22:52:43
お菓子っ子 @sweets_street

公孫瓚の軍事行動を支える食糧を供給しているのは、黄河以北で最大の経済力を持つ大司馬(国軍最高司令官)・幽州牧(幽州行政管区総督)劉虞。さらに袁紹の本拠である魏郡や劉岱の領土である東郡に、黒山賊の于毒・白繞・眭固らが率いる十万の軍勢が侵攻しました

2012-06-08 23:04:34
お菓子っ子 @sweets_street

さらに袁紹傘下の南匈奴の単于於夫羅が離反して、同じく袁紹傘下の張楊を捕えてしまいます。袁紹が冀州を得た後の造反なので、食糧不足が原因とは考えにくいです。於夫羅は袁紹配下の将軍麴義率いる討伐軍に敗れましたが、そのまま逃亡して勢いを盛り返しました

2012-06-08 23:18:21
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コメント

れごらす @DukeLegolas 2012年6月9日
董卓の反撃ではなく「反撃の董卓」ってのが( ・∀・)イイ!! 逆襲のシャアっぽくてw
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鉄底海峡 @tetteikaikyou 2012年6月9日
頭のなかで、レッドサン・ブラッククロスと混同していた模様。(注;佐藤大輔の小説レッドサン・ブラッククロス第3巻のサブタイが「反撃の旭日旗」)
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