魔法少女が救い主になるまで 

エブリデイ・マジックの世界から救い主へ、魔法少女モノが描いたものについて、つらつらとつぶやいてみたまとめ。
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愛甲えめたろう @emeth_aiko

.@miyamo_7 さんの「空飛ぶほうきから天使の翼へ 魔女っ子・魔法少女の図像のうつりかわり」をお気に入りにしました。 http://t.co/X46aKV7i

2012-06-09 09:45:10
愛甲えめたろう @emeth_aiko

基本的に「聖性」というものは日常からの乖離として表現されるものなので「ハレ」も「ケガレ」も「ケ(日常)」の喪失という意味で同じもの、というのは民俗学的に言われ続けてきたことですにゃね。

2012-06-09 09:52:23
愛甲えめたろう @emeth_aiko

「少女」を未だ女性性を孕んでいないもの、あるいはその途上として聖なるものとして扱うというのも結構昔からあるイメージ。

2012-06-09 09:53:33
愛甲えめたろう @emeth_aiko

西洋魔女ベースの魔女っ子は異界からの闖入者としての「ハレ/ケガレ」の担保者としてのローファンタジーの体現者であったのに対して、だれかに魔法の力を授かったタイプの「魔法少女」はいずれその力を失い人間に回帰するという点では「子供/少女」としての聖性の体現者なのかも〜

2012-06-09 09:57:02
愛甲えめたろう @emeth_aiko

普通の人間として生きていた一人の少女が「聖別された力」としての魔法を授かる。これをファンタジーものによくある「行きて戻りし物語」的文脈で受け取ると色々と面白そうですにゃ。

2012-06-09 09:58:45
愛甲えめたろう @emeth_aiko

「行きて戻りし物語」を意図して物語を構築した作家としてミヒャエル・エンデと宮沢賢治をイメージしてお話を進めると、この仮定は結構的を射ている気がするのですにゃ。

2012-06-09 10:00:20
愛甲えめたろう @emeth_aiko

ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』において主人公のバスチアンは異世界そのものである少女に名を与えることによってその世界における全能の力を得る、要するにただの冴えない少年から全能の神の座(偽)にあげられるのですにゃね。

2012-06-09 10:01:56
愛甲えめたろう @emeth_aiko

んでもって、楽しい楽しい冒険を繰り返して、その中であるがままの自分を喪失してゆき、物語終盤は全能の力を自分のために使うのではなく、他者のために使い、そして自分に回帰してゆくために力を放棄し、そしてあるがままの自分を取り戻し……

2012-06-09 10:03:22
愛甲えめたろう @emeth_aiko

最後にファンタジー世界を離れて現実世界に戻ってくる。現実世界では自分自身は変わっていないけれども、ファンタジー世界を旅したことで内面が成長している、という構成。同様の物語は賢治の『銀河鉄道の夜』でも描かれていますにゃね。

2012-06-09 10:04:39
愛甲えめたろう @emeth_aiko

現実世界で色々と孤立しているジョバンニは親友カムパネルラと共にファンタジー世界を旅して、そして現実に回帰してくる。

2012-06-09 10:06:11
愛甲えめたろう @emeth_aiko

ここで大事なのはカムパネルラは河に落ちたザネリを救うために飛び込み、犠牲の死を遂げてあの世への途上にいるのに対して、主人公であるジョバンニは彼を葬送する旅に出ている点。だからジョバンニの切符は「どこにでもいける」特別な切符行き先が神の御元オンリーのカムパネルラとは違う。

2012-06-09 10:08:50
愛甲えめたろう @emeth_aiko

カムパネルラは聖なる崇高な死を経てすでに聖者の列に加わった「あちら側」の存在であるのに対して、ジョバンニは「行きて戻りし物語」の主人公として日常に回帰する義務と権利を持っている。

2012-06-09 10:10:31
愛甲えめたろう @emeth_aiko

「行きて戻りし物語」の構造で考えると、近年の魔法少女モノの「魔法の力を授かる」→「冒険」→「日常への回帰」という構造はひとつのローファンタジーとしてとっても王道であり、わかりやすいのですけど、まどマギのまどかのアルティメット化はこの文脈から外れてますにゃね。むしろ……

2012-06-09 10:12:57
愛甲えめたろう @emeth_aiko

むしろ、まどかはジョバンニの立ち位置ではなく、カムパネルラの立ち位置。作品構造的には最終的にはジョバンニの立ち位置はほむらが占めているように見えますにゃ。

2012-06-09 10:13:49
愛甲えめたろう @emeth_aiko

まどかは聖なる崇高な死を遂げ神の御子の座につく。そしてそのままいきっぱなしで帰ってこない。

2012-06-09 10:14:44
愛甲えめたろう @emeth_aiko

賢治作品でまどかポジションを対比するなら『グスコーブドリの伝記』のブドリこそがまどかポジに近いですにゃね。 http://t.co/on8BJOUy

2012-06-09 10:16:31
愛甲えめたろう @emeth_aiko

 そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅いろになったのを見ました。  けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。(1/2)(グスコーブドリの伝記のラストから引用)

2012-06-09 10:17:48
愛甲えめたろう @emeth_aiko

そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。(2/2)(グスコーブドリの伝記のラストから引用)

2012-06-09 10:18:07
愛甲えめたろう @emeth_aiko

現実世界に似た世界を舞台にした魔法少女モノは最初期には「異界からの闖入者」として魔法少女を描くことで主人公を起点にしたローファンタジーを描いていたのが

2012-06-09 10:19:27
愛甲えめたろう @emeth_aiko

「行きて戻りし物語」の構造にシフトし、現実世界の一人の少女が聖性を得て、そして最後に日常に回帰する物語の舞台として「魔法少女モノ」を用いるようになり、

2012-06-09 10:20:42
愛甲えめたろう @emeth_aiko

最近では神の御子への即位の物語としてこの類型を使い始めているんじゃまいかって思いましたにゃ。

2012-06-09 10:21:33
愛甲えめたろう @emeth_aiko

グスコーブドリって「宮沢賢治にとっての理想の自分像」の体現者なわけですけど、この場合のアルティメットまどかの存在ってFate/Zero一巻のあとがきでZeroがどんなバッドエンドに終わろうと、衛宮士郎によって大団円が約束されているからと但し書きをした虚淵氏にとっての……

2012-06-09 10:27:21
愛甲えめたろう @emeth_aiko

とか、詮無い妄想をしてしまうわけですけど、まぁ、それはおいておきますにゃね。

2012-06-09 10:28:50
たか☆ひ狼 @takastarwolf

逆襲のシャアのラストの地球の生活が映し出されるシーンの流れって、まんまグスコーブドリの伝記の最後とかぶってない?

2012-06-09 10:32:26
愛甲えめたろう @emeth_aiko

この流れを別視点で考えてみると、魔女っ子モノ=マレビトがやってきてふしぎを起こす作品魔法少女モノ=狭義のエブリデイ・マジック最後に救世主になる巫女/魔法少女モノ=英雄の受難物語っていうふうに受け止めていいのかも。

2012-06-09 10:32:54