【つづき考え中】創作物という「フレーム」と享受する機能としてのユーティリティ

新たな概念が提案されたのでその状況をカタチにしておく。今後考察を追加予定 ここでなされた議論における定義をば;(相違あれば指摘してくださってOK) 策(柵)定:外側から、作品を別の作品と境界づけること。 咲定:作り手が作品を形成しその成立を立たせること。 続きを読む
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

消費でまるめきれないところを語るための思考、というわけだ。

2012-06-09 01:03:42
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

佐々木中が音楽は終りえない、文学もまたしかり、とのことだけど、その支えを、エシャフォンダージュを紡ぎ続けられるものたちというのは、激しい修練を積んだ者たち、すなわち(その意味での)勝者たちであって、まぁニーチェとかが想うような『強い』ひとたちだ。

2012-06-09 01:05:24
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

創作、藝術を紡いできた人たち、「ほんとうの音楽」を言いたい人たち、っていうのは、このへんになってしまう。しまう、と僕が言ったのは、すなわちこれがアートワールドをも形成するわけで、そういうアートワールドに、自由創作界隈、はいない。

2012-06-09 01:06:14
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまり、「藝術」という価値判断としてオタク文化を語るのは、さすがに荷が重々しい、民芸のさらにワンランク下、っていう評価が下された消費前提のイメージを抱かれやすいがゆえに、それまで不可能が関の山、っていうところがあった、と。

2012-06-09 01:07:24
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

だが、ここで「享受」という観点を消費から分離し、享受を主体に消費論の漏れた部分を記述する、となれば。

2012-06-09 01:07:59
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

其れはある意味、可能性だ。つまり、芸術文化作品として、重々しくアートワールドにアピールするという的外れな行動をとることなく、かつ、わたしたちの、私たちの目線での「創作の価値」「同人の価値」に、より純粋に迫れる可能性がある、ということを意味するからだ。

2012-06-09 01:09:10
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

まさに私たちの為の、思想と言う形を呈することが出来る。御宅の、御宅による、御宅のための、御宅の哲学が展開可能な領域を確定できる。

2012-06-09 01:09:45
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

しかし、しかるに「享受」とは御宅だけの能力を示す概念ではなく、より普遍性に富んでいる。へたをすれば、ほかの創作文化へも、美学の助けを借りつつ、「より広い範囲の」アートの、しかも楽しむ側の記述が可能になるかもしれない、なんてことすら、言うことになるのかもしれない。

2012-06-09 01:11:51
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そこまでやるにしては、僕はまだまだ不勉強にすぎる部分があるけどね。でも、僕が死んだあとでも、「享受」という思考はそれくらいの射程がある、というのは確かに、ある。消費文化のなかで、消費に括りきれないものを確保するという意味でも、とても有意義なものになると思う。

2012-06-09 01:13:06
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ではどう記述しよう?…カントが「判断力」の前段階で日記に、自分が感じた美しさとかを記述してたように、己の主観を保存しつつも、相対化して楽しんでいる自分を反省しまくる、まずはそれが1つ。

2012-06-09 01:14:09
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

もう一つは、批評家もやったのに少し似るけど、私たちの行動を私たちの目線で見る。観察する。楽しむときの姿を観察する。愉しんでいる人に、その楽しみを、訊く。楽しむ人と話す。…課題、たとえばその作品とかを僕が知らなくて、どう話を切り出そうか?

2012-06-09 01:15:43
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまり、現象学的志向をおろそかにしないようにしつつも、他者と対話していく、という方法、これが取られるべきである。

2012-06-09 01:16:29
you-me @youme2525

得る事が創る事に、創る事が得る事になるのならば、それこそが非貨幣的な経世済民と言えるのでは。@L_O_Nihilum

2012-06-09 23:03:39
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

享受理論の射程は、恐ろしく長い。たんに御宅を見直すのみならず、御宅が見直す物差しにもなるし、ほかの多くの「消費」とされていた享受形式を見直す形で、御宅という狭いコミュニティに限らないところでの「享受」の意義を知ることが可能である。消費社会をより明るくできるわけだ。

2012-06-09 23:45:00
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そも、創作した物を享受するとき、その価値づけにおいて、はじめてお金が動くのであって、そういう間接性があるからこそ、良貨が流通してコミケが動くんじゃないの。

2012-06-09 23:46:28
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

いや、根本が違うだろこれ。単純。「聞きたい曲がないから」。AKBなんかは曲を買ってるわけじゃないので除外。同人CDが買われてる現状を視よ、産業。 <CDが売れない本当の理由> http://t.co/XlLhlX9A #niconews

2012-06-10 13:18:58
you-me @youme2525

そもそも、なんで歌を売買するのか。@L_O_Nihilum

2012-06-10 13:22:33
@motemotenainai6

@L_O_Nihilum AKBは曲がいいから売れてるんだよ?ちょっと勘違いしてるね君( ・´ー・`)

2012-06-10 13:25:57
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@motemotenainai6 曲がいいから売れているのではなく握手券等の特典を経由したりで間接的に曲を(メディア経由で)聴かせてる、つまり客が曲を選んで聴いているのではなく聴かされているという状況を自然化しているに過ぎない。

2012-06-10 14:02:02
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

買いはしたが聴かない、という例は多い。勿論、それは「聴く時間がない」「聴く機器を携帯していない」等もあろう。しかしそれは解決可能な命題。それを超えて「売っている」「友達に渡している」「図書館に渡している」はある。

2012-06-10 14:10:52
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

いい曲かもしれない。が、それを聞き手が主体的に判断できる隙をAKBは与えていない。・・・・正確には、AKB、ではなく、秋本が。

2012-06-10 14:03:18
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@youme2525 いや、売買を完全に否定する必要はない 「お買いもの」だって楽しみだ。「享受」を脱構築すれば「消費」をもやってくる。問題なのは、今までの思考が「消費」を脱構築してこなかったことにあるんだ

2012-06-10 14:04:15
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

UTAUはUTAUでコミュが独立したからねぇ…。裏っ側から言うと、ボカロを土台に新しく伸びた別の枝、と言うべきか。同じ樹だけど、枝は違う枝。>RT

2012-06-10 14:13:59
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