齋木克裕「現代美術の説明と理解」 - 芸術を楽しむこと・順序

関連:POLARISCOPE: 様々な理屈 http://polariscope.blogspot.jp/2012/04/blog-post.html 作品とコンセプトと説明 - Togetter http://togetter.com/li/311947
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齋木克裕 @ka2saiki

現代美術の難解さを批判するような思考の裏には、美術はだれもが等しく理解できるものである、あるいは理解されるべきである、という偏向した民主的思考が潜んでいる。美術を見ることが万人に平等に与えられた権利であるかのように思っているのである。

2012-06-11 13:13:55
齋木克裕 @ka2saiki

おそらくそれは、戦後の日本で美術が民主主義教育の一翼を担っていたということとも関係しているのだろう。

2012-06-11 13:14:17
齋木克裕 @ka2saiki

現代美術に対してそのような態度をとる者も、おそらく理論物理学や数理論理学に対して同じような苦言は言わないだろう。それらの難解さには理由があり、それを知るためには学ばなければならないということは明らかだから。

2012-06-11 13:14:50
齋木克裕 @ka2saiki

数学者の岡潔が小林秀雄との対話のなかで、文化の発展を維持するために必要なのは、一般の人が理解できないような難解な学問を皆が分かるように安易に説明することではなく、分からない人にも権威によってその重要さを示すことであると説いていたが、それは現代美術にも同じようにあてはまる。

2012-06-11 13:15:45

“数学史を見ますと、数学は絶えず進んでいくというふうにはなっていません。
いま数学でやっていることは、だいたい十九世紀にわかって始められたことがまだ続いているという状態です。
証明さえあれば、人は満足すると信じて疑わない。だから、数学は知的に独立したものであり得ると信じて疑わなかった。
ところが、知には情を説得する力がない。満足というものは情がするものであるという例に出会った。
そこを考えなおさなければならない時期にきている。
それによって人がどう考えなおすかは、まだこれからの有様を見ないとわからない。
数学がいままで成り立ってきたのは、体系のなかに矛盾がないということが証明されているためだけではなくて、その体系を各々の数学者の感情が満足していたということがもっと深くにあったのです。
初めてそれがわかったのです。
人がようやく感情の権威に気づいたといってもよろしい。
人智の進歩としては早いほうかもしれない。
人は実例に出会わなければ決してわからない。”

 

Enrico Isamu Oyama @enrico_i_oyama

@ka2saiki やはりその話になると、サッカーと蹴鞠を思い出します。

2012-06-11 13:18:55
齋木克裕 @ka2saiki

あぁ、ルールの話ですね。蹴鞠ってでも実は案外ちゃんとしたルールがあるんじゃないの? @EnricoLetter

2012-06-11 13:24:25
Enrico Isamu Oyama @enrico_i_oyama

@ka2saiki そう。だからサッカーでも野球でも蹴鞠でも良いんですけど、たんに違うルール、違う種目がそれぞれあるだけなのに、どうもサッカーが一番偉い?みたいな先入観があると、その反転で「難しい言葉で話していてはいけない、万人に理解できるように開かれた説明をせよ」となる。

2012-06-11 13:27:47
Enrico Isamu Oyama @enrico_i_oyama

@ka2saiki でも、本当は興味のある人がそれなりに見方を学んで楽しめばいいだけの話なんです。まあ、見方を学んだらちゃんと楽しめるっていうわけでもないのだけど。

2012-06-11 13:30:33
齋木克裕 @ka2saiki

なるほど。「お前ワールドカップのルールでやってるんじゃないよ」みたいなね。あるいは、「おれでもワールドカップに出れるぜ」と思っているとか。 @EnricoLetter

2012-06-11 13:32:36
齋木克裕 @ka2saiki

近所の知り合いのおばさんの話で恐縮だけど、彼女とかは見方とか関係なく楽しんでると思うんだよね。はなから分かることとか気にしていないというか。でもそっちのほうが芸術を見る方法としては正しい順序だと思う。@EnricoLetter

2012-06-11 13:36:24

 

齋木克裕 @ka2saiki

つまり、面白い→それは何だろう、ということ。説明が理解できる→面白い、という順序ではない。外国人とのコミュニケーションも同じだよね。

2012-06-11 13:40:04

 

Enrico Isamu Oyama @enrico_i_oyama

@ka2saiki おばさんの話は、僕なりの解釈だと、英語分からないしエミネムのラップは何言ってるかわからない。けど、聞いてて楽しい、好き、という感じでしょうか。そしてそれで良いと思います。でもその先を知りたいなら、エミネムに日本語でゆっくり話してもらうわけにはいかないっていう。

2012-06-11 13:56:22
齋木克裕 @ka2saiki

そう。おばさんもゆくゆくは英語でラップ歌えるくらいにならないといけない。でも最初のつかみはそれでじゃない。つまり分からなくても面白いと思えるかどうか。 @EnricoLetter

2012-06-11 13:58:27
Enrico Isamu Oyama @enrico_i_oyama

@ka2saiki そうですね。結局、理解したいっていう欲望自体が、鑑賞体験の強度とか魅力から引き出されるものだと思うので。見て楽しむ分にはそこで留まっていても良いと思いますし、そもそも本当に優れた作品はルールのなかできちんと理解できるうんぬんとは別の水準にあると思いますしね。

2012-06-11 14:02:21

 

齋木克裕 @ka2saiki

たしかに現代美術のなかには説明を聞くことで理解が深まる作品はたくさんあるけれど、自分、落語のオチの説明を聞くような作品ってあまり好きじゃないんだよね。説明ありきの作品って作品を経験する楽しみも半減な気が。

2012-06-11 14:11:15
齋木克裕 @ka2saiki

付随するテクストがあってもそれが作品と像を結ばないような作品のほうが面白いな。その時点で説明とは呼べないだろうけれど。

2012-06-11 14:13:26
齋木克裕 @ka2saiki

自分こういうこと書いているけれど、キュレーターの人たちは仕事に追われ忙しくって時間ないから、若いアーティストの人らはちゃんと自分の作品の説明ができるようにしておいたほうがいいと思います。くれぐれもそういう機会があったときに、勝手に理解してくれとか思わないように。

2012-06-11 14:31:28
齋木克裕 @ka2saiki

そういう意味では芸術は恋愛と一緒だな。好きだから知ろうとするのであって、知ろうとするから好きになるわけでは決してない。

2012-06-11 14:53:13