伊藤塾・所先生激励メッセージ・3
初めて会ったときは金髪でチャラチャラした感じの今どきの大学生だった。早々とこの勉強をやめてしまうのではないかと思いきや、就活には目もくれず大学卒業後も無職のまま黙々と勉強を続け合格を果たした西村俊さん。残念な本試験結果でもわざわざスタッフに願い出て私に必ず報告に来ていた彼。
2012-04-16 23:35:52彼の忘れられないエピソード。夏休みになって友達から「海に遊びにいかないか」と誘われても、自分には「仮登記という恋人がまっている」などと茶化して答え、周りからの誘惑からも堪えてこの勉強を続けた。自宅で勉強をしているとき、掃除中の母が、彼の勉強部屋近くになると掃除機の騒音を消し、
2012-04-16 23:37:49クイックルワイパーで音を立てないように掃除する母の姿を垣間見て、そんな母の想いに答えるべく真剣に取り組んだと。在学中合格を私に誓って挑んだ2回目の本試験でも見事に打ちのめされ、途方に暮れていた彼。でもあきらめなかった。そして勉強をやめたいとか、泣き言は一切口にしなかった。
2012-04-16 23:39:32さすがに卒業後も今までと同じ受験生活、しかも学生身分を失い、無職の状態でこの勉強を続けなればならないと思うと不安と恐怖に苛まれた。卒業式は就職を決めて巣立つ友人等がキラキラ輝いてまぶしかった。それでも、それらに堪え、絶えず迷うことなく必死に勉強を続け合格をつかんだ西村俊さん。
2012-04-16 23:41:04この文集は、釜石の仮設団地に住む方々が編集委員になって募集した津波体験集「3.11 その時、私は」。津波で命からがら逃げた体験や親が子どもを守れなかった体験は、身を切り裂かれる程、胸が押し潰される。釜石出身の方が貸して下さいました。 http://t.co/K7mr5r0u
2012-04-17 01:44:31「仮登記といえばパーマン1号、2号しか浮かばない」。そんなレベルの勉強だったのに講座受講中、人事部で同僚等をリストラする仕事に嫌気がさし、仕事を辞めて勉強を続けた高野克洋さん。仕事を辞めたことを妻と自分の両親ともに内緒で勝負をかけて挑んだ本試験。午前の択一が終わったとき、
2012-04-17 15:12:24「とても基準点には届かない。こんな出来ではとても今年の合格は無理だ」と落胆し帰ろうとした矢先、偶然にも同じクラスの仲間が声をかけてくれた。一緒に休憩に行ったことでなんとか持ち直し、そのまま午後の試験を受験するも反泣き状態。しかし、それが幸いした。ちょうどその年は記述問題が別紙形式
2012-04-17 15:13:51他の受験生はそれだけで動揺しパニック状態。反泣き状態の彼はそれにすら気付かず淡々と無欲で受けられた。当時私の宿泊先に近い場所に彼が住んでいたことで、私とは何度も一緒にお茶をする機会も。彼が仕事を辞めて勉強している間も、ずっと働きながら彼のことを見守り支えて下さった奥様には私も深謝
2012-04-17 15:23:51本試験終了直後「こんな本番で弱気になる自分はすごく弱い人間で情けない気持ちです。記述は何とか書き上げましたが、午前の不出来に充実感よりも自分の人間としての未熟さに泣けてきます」と、とても合格しているとは思えないメールが届いていたにもかかわらず、内助の功で合格をつかんだ高野克洋さん
2012-04-17 15:25:23「ライブ講義を聴いて勉強したい」。その想いで、親からは2年だけの期限付で沖縄から上京した安里純弥さん。初めての東京暮らし。しかも勉強習慣がない彼が私のクラスで法律の勉強を開始した頃は不安だらけ。沖縄に彼女を残したままの東京での一人暮らしは寂しくて何度も挫けそうになっていた彼。
2012-04-17 15:30:45その彼からは「ホットライン」で何度も泣きそうなメールが届いていた。直前期には私と一緒に泣きながら食事もした。1度目の本試験では全く歯が立たず落胆。そのまましばらく連絡もなく、あきらめてしまったかと思い心配していた頃、ちょうど私が沖縄に行く機会に恵まれ、その際に今では奥さんとなった
2012-04-17 15:31:25彼女と一緒に「泊いゆまち」で私にお刺身をもてなしてくれた。2年目の勉強も不安一杯だったのに、私を彼女に紹介してくれたことが、彼の2年目の決意を感じ、嬉しかった記憶が今も蘇える。司法書士になっても毎年沖縄スタディツアーには顔を出し、後輩等にアドバイスをする彼の姿はとても凛々しい
2012-04-17 15:44:27彼のお父様は司法書士でもあり、LEC時代の私を知っているという偶然もあったけど、沖縄出身の彼を送り出せ素直に嬉しい。慣れない東京での一人暮らし、朝から晩までの自習室での勉強に堪え、親との約束期限どおり2年で合格をつかんだ安里純弥さん。沖縄の人々の幸せのための仕事を願ってやまない。
2012-04-17 15:49:44Twitterでのプロフィールアイコンを変えました。今までアップしていたイラストに近いもので、縁起の良い「合格祝賀会」でのショットです。受験生の方は、1年でも早い合格を果たされ、合格祝賀会で会いたいという願望を込めてのアイコンです。
2012-04-18 00:31:51誰だってこの直前期、不安と恐怖におそわれています。最初から上手くいっている人など殆どいないものです。でも、この試験勉強で主役になるのは、あなた自身だということを忘れないで下さい。そこには学歴や年齢、経歴、性別、国籍など一切関係ないのが、この資格の魅力でもあります。
2012-04-18 01:16:20この激励メッセージを機に、失明危機を脱し合格を果たした中西美菜さん。当時はアドレスが分かる方だけに送っていた激励メール。ちょうどメールが彼女に届いたのは、直前期のプレッシャーなどで、左目が失明危機に陥り入院、検査の結果、医師からは薬の副作用で子供もあきらめてほしいとまで言われ、
2012-04-18 16:30:48情けなさと悔しさで「いったい自分は何のために勉強を続けてきたのか」と絶望の最中。そして入院という、彼女にとってこの勉強から離れる都合のよい言い訳が出来たこともあり2週間程全く勉強もせずあきらめていたとき。そんな状態とは知らずに私が送った「苦しければ最高、苦しくなければ最低」の
2012-04-18 16:31:45メッセージに反応。「本当は勉強できるのに、私はそれに甘えて、こんなときにこんなことじゃ今年はもう無理だとあきらめていました。一瞬で現実逃避でき、ほんとに楽な2週間でした。今までやりたいことを我慢して大事な時間を捧げたのに、その勉強を無駄にすることは何より哀しいことですね。
2012-04-18 16:32:46最後まで頑張ります。その決意にこの一通だけ返信させて下さい」と彼女から決意を新たにしたメール。そして奇跡的に本試験3日前には無事退院し、その年の本試験で合格をつかんだ中西美菜さん。今では失明危機も脱し、子供を産むことも問題ない状況に回復。本人に直前期のこの話をしても本人自身が
2012-04-18 16:34:34すっかりそのことを忘れているくらい、今ではとても小さなことになっています。直前期の入院を理由に「もうダメだ」と勝手に可能性を否定し、勉強をやめていたとしたらゾッとします。何故なら勉強を続ける保障はないし、勉強のせいで失明危機に陥ったというトラウマを克服するのは至難の業だからです。
2012-04-18 16:35:25あきらめない気持ちが伝説を創るのはいつの時代でも同じです。「偶然のようで必然」。これは私が受験指導を通じて得た教訓です。「もうこれ以上の力は出せない」「自分の力では無理」というギリギリの状態でも最後まであきらめなかったからこそ合格を果たし、こうして伝説となって語り継がれるのです。
2012-04-18 16:37:00周りから「お前なんかに絶対受かるはずがない」と面と向かって言われても、へこたれなかった。工業高校卒という学歴と肉体労働という仕事に対する偏見をはねのけて、妻子を抱え2年で合格を果たした蒲生充良さん。「法学部出身者や特別な人間、優秀な人だけが合格するのではない」という私の言葉と
2012-04-19 10:02:29自分自身を最後まで信じた。そして大学受験経験もない彼は自分の限界の1つも2つも上を絶えず意識して必死に勉強を続けた。現場までのダンプカー運転中も赤信号では覚えたいメモに目を通し、次の赤信号でも確認。運転席や道路に座って食事をするときも絶えずテキストに目を通す。風呂場でも思い出す
2012-04-19 10:03:50訓練を欠かさない、とにかく涙ぐましい努力を積み重ねた。特に2年目は、仕事を終え託児所に生まれたばかりの赤ん坊を迎えに行き、奥様がピアノのレッスンを終えて帰宅するまでミルクを飲ませ子守をしながらの勉強。説明会もビデオ、講義もDVDだったため合格祝賀会で初めて私と会えた蒲生充良さん。
2012-04-19 10:06:10クラス会にはいつも参加し多くの受験生に希望を与えている蒲生充良さん。彼の詳細は【http://t.co/OOxgZUFo】 学歴や経歴に関係なく、働きながら、小さな子どもを抱えての合格者が彼に続いています。今日は名古屋説明会前に、名古屋市中区錦に移転した彼の新事務所を訪問予定です
2012-04-19 10:16:49