科学技術と社会─対話する社会へ─ というセミナーでのメモ、感想など
で社会勉強セミナーの方はまぁまぁおもしろかった。欠如モデルの話を専門家から聞いたのは初めてだったし。講師の先生は最初から否定しにかかってたけど、逆に今回のセミナーに出て、欠如モデルも全く役立たずではない、という印象を強くした。
2012-06-13 19:36:45今日STS?の専門家の人が、低線量被曝によるリスクを喫煙や交通事故のそれと比較するのは、リスコミとしては「悪手」でありなるべく避けた方がいい、と言っていた
2012-06-13 22:41:46米国のリスコミ指針(先生向けのマニュアル?)にも、推奨度5段階のうちの最低ランク。逆に推奨最高ランクは、同じ計測量で異なる時期に測ったものとの比較とか。正直な感想としては、その最高ランクの例だと、確かに誤解を生む可能性は低いが、その比較じゃあまり役に立たないと思った。
2012-06-13 22:47:55この点については何人かが突っ込んだ質問をしていた。Q&Aの結果をまとめると、リスクの数字(つまり確率)同士を単純に比較こと自体はだめではない。でも単純な数字比較だけを示すと、人によってはリスク受忍を強要していると取られることがあり、その場合、不信感を生むことになるとのこと
2012-06-13 22:54:33リスクは、「単純な発生確率」と「社会的な意味での受容れ難さ」を合わせたもので、特に、科学的でない等の理由で後者をないがしろにして前者だけ伝えると、不信・不満・不安を招くらしい
2012-06-13 23:01:22ということは、要は単純な確率比較と社会的な意味でのリスクの両方を伝えるならば、とにかくいつでも確率の数字比較を伝えてはだめ、というわけではないらしい。
2012-06-13 23:03:50確率の数字比較も、社会的な意味でのリスクも、どちらも重要な情報であることは間違いない、と講師の先生も言われていた。つまり、「安易に数字比較だけ伝える」のはまずいということかな。
2012-06-13 23:07:26あと、単純な確率比較を伝えるだけで、「安心してくれる人」は実際いっぱいいるし、逆に「不安になる人」も少なからずいる、とも言われていた。この前者と後者の比が実際のところどれくらいなのかが非常に重要だし、実際に今回の原発事故ではどうだったのかには個人的に興味がある
2012-06-13 23:16:32あと最近では悪名高くなった欠如モデルの限界について、英国のBSE騒ぎと遺伝子組み換え作物(GMOと略すらしい)の安全性論争を例に挙げて、説明されていた。
2012-06-13 23:21:54メモ: BSE, GMO騒ぎ: 政府と、政府に助言した科学者の信頼が失われた。 欠如モデル: 科学技術に対する市民の不安・抵抗は「無知が主原因」で、正しい知識を与えれば解消され科学技術の受容も進む、という見方
2012-06-13 23:25:46欠如モデル的科学コミュニケーションが機能するためには、1専門家が正しい知識を持ち、2専門家が信用されていて、3問題が科学的・技術的なことだけ、である必要がある。なので、専門家が間違ったり、またそれが原因で専門家不信を招いた状態では機能しない。価値観や利害関係が深い場合にも
2012-06-13 23:30:00英国のBSE騒ぎでは「専門家の知識が正しくなかった(後で人感染が出た)」、GMO騒ぎでは「(BSE騒ぎから)既に専門家や政府に対する不信があった」ために、欠如モデルは不適切だった
2012-06-14 09:11:54それで、英国では科学技術が深く絡む政策決定に対して、公共的対話や公共的関与(public engagement)を重要視して、実際にそういう試みを2000年くらいから行なっている。
2012-06-14 09:15:53Science and Society: The Third Report (2000) とか OPEN CHANNELS: Public dialogue in science and technology (2001) とか GM Nation? (2002) とか。
2012-06-14 09:17:09GM Nation?はGM作物の商業栽培に関する国民的討論。国内数百ヶ所で小meetingをやってアジェンダ立てなどをして、online/offlineの議論を通して意見を集約していった。のべ2万人近くが参加した。参加者は専門家も非専門家も政府の人も
2012-06-14 09:21:06しかしGM Nationは、少なくとも政府側から見たら失敗に終わったらしい。GMOを許容する人が増えることを期待したが、GMOについていかに現代科学でわかってないことが多いかがわかり、かえって不安・慎重な人が増えてしまったとか。
2012-06-14 09:23:35結論としては「it was too late」。一旦専門家や政府への不信感ができると、後からそれを乗り越えるのは非常に困難だということをわからされた、という結果に。政府としては宛が外れたかもだが、市民に知識コミュされたのは長い目でみたらいいことだと思うけどねぇ。
2012-06-14 09:26:59こういう公共的対話の具体例: サイエンスカフェ、テクノロジーアセスメント(日本の例 http://t.co/AEbfcNgJ )、シナリオワークショップ、DEMOCS in UK, ナノテク市民陪審 in UK、再生医療に関する熟議キャラバン2010、など
2012-06-14 09:37:55こういう試みは、従来の科学コミュニケーションのように単に専門家が上から目線で知識を与えるだけでなく、参加者(非専門家の市民や政治家?)に自分で咀嚼してもらい、彼ら自身に自己の意見形成をしてもらうことが目的。その上で議論や政策選択などに関与してもらう。
2012-06-14 09:43:35こういう仕組みでメタコンセンサスを得つつ全員参加で科学技術が関係する政策を決めていけば確かにいいと思う。でも個人的に思うのは、これだと時間がかかるのが心配。1年,5年,10年で国策選択をしなければいけない状況では悠長に待ってはいられない、かもしれないなと。
2012-06-14 09:49:37くどいようだけど、メタコンセンサスを作りつつ全員参加で科学技術が深く関与する政策を決めていく、ということ自体には賛成。あとはどう具体化して実施するか。なるべく規模は大きくした方がいい、というか巻き込む人の規模が成果の規模の上限を決める。
2012-06-14 19:09:25あとこういう話を聞きに行くと、よく聞くのは今回の原発事故で専門家は市民からの信頼を失った、相変わらず欠如モデルに陰に陽に固執しているという話。でもこれって、ずっと長い間、事故のもっと昔から、専門家は市民を信じていなかったことも意味している。
2012-06-14 19:14:53なんで専門家が非専門家の市民を信用できなかったことについて、市民に全く責任が無かったかと言えば、そんなことはないだろう。セミナーでも登場した「おまかせ民主主義」。
2012-06-14 19:20:46私個人の感覚では、専門家の欠如モデル的な単純コミュ、政府の産業界との密なコミュ(専門家や市民とは希薄)、市民のおまかせ民主主義、どれも同等に非難されるべきだと思う。どれかだけを強調する(またはそのような印象を与えるような主張をする)のは、やはり釈然としない。
2012-06-14 19:25:03