『ダンサー・イン・ザ・ダーク』批評

早稲田松竹にてラース・フォン・トリアー監督作品『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を鑑賞してきました。以前から思っていたことをまとめて記そうと思います(批評と言うより宣伝かな?笑)→
2012-06-02 22:07:27『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(原題:Dancer in the Dark)は、ラース・フォン・トリアー監督、ビョーク主演の、2000年製作のデンマーク映画。『奇跡の海』と『イディオッツ』に次ぐ「黄金の心」三部作の三作目とされる。

1)ミュージカル映画は1940~50年代に最盛期を迎え、『雨に唄えば』『バンド・ワゴン』『オズの魔法使』等の豪奢な作品群で一世を風靡した。60年代に入ると、スクリーンの大型化により超大作志向に活路を見出し、『ウエストサイド物語』『サウンド・オブ・ミュージック』等の大作名画が誕生。
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2)『ウエストサイド物語』以降は社会性を強く打ち出した作品が出現し高い評価を受けたが、超大作の商業的失敗が相次ぐようになり一気に退潮することとなる。舞台は1960年代の米国。丁度『サウンド・オブ・ミュージック』が大人気だったという時代設定がとても良い。
2012-06-02 22:07:33映画では年代や背景について詳しく描かれてないが、厳密に言うと、1964年のワシントン州の小さな町が舞台。大好きなミュージカルとアメリカン・ドリームを求めてチェコからやってきた共産圏避難民のセルマは女手ひとつで息子ジーンを育てながら、工場で働いている。以上のことから、時代背景が冷戦期であることと、物語の鍵である2056ドル10セントという手術代は今の感覚より十倍近くの価値があったことを踏まえておきたい。

3)主人公セルマの生き甲斐はミュージカルであり、小劇団で『サウンド・オブ・ミュージック』の稽古をしたり、仕事帰りにキャシーといく映画館でハリウッドのミュージカル映画『四十ニ番街』を鑑賞するのが何よりの楽しみだった。やがて、セルマに次々と過酷な現実が降りかかってくる。
2012-06-02 22:07:36Dancer in the Dark : Bjork - I've seen it all

5)この映画の本質は、現実と空想(ミュージカル)の構造にある。現実シーンは手持ちカメラによる撮影、空想シーンは固定カメラにより撮影されていることからもわかるように、現実と空想が対立している。最後のシーンは衝撃的であり「救いようの無い悲劇」と呼ばれるが、そうではない。(ここが重要)
2012-06-02 22:07:41
6)死刑執行に向かう場面を女優が舞台に上がる場面、絞首台で歌を歌う場面をミュージカルの舞台で女優が歌う場面に置き換えるとよくわかる。ここで初めて、「空想」の中でのみ演じられてきたミュージカルが「現実」と融合して幕が閉じられる。絞首台は、セルマの最初で最後のミュージカル舞台なのだ。
2012-06-02 22:07:45
7)そして、この映画で最も評価すべき箇所は、セルマが最後に歌った曲が冒頭で流れた曲と同一であるということ。物語を終えた瞬間、私たちは作品の冒頭に帰っている。つまり、現実と空想が反転した状態で再スタートするのだ。現実から空想、空想から現実、現実から空想…と無限に反転していく。
2012-06-02 22:07:47Overture(Selmasongs: Music from the Motion Picture Soundtrack Dancer in the Dark)
http://www.youtube.com/watch?v=UkWd0azv3fQ
New World(Selmasongs: Music from the Motion Picture Soundtrack Dancer in the Dark)