佐藤康宏氏講演「蕭白は笑う」関連@JunjiYamadaさんtweetまとめ
- memeyogini
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すいません、今から連投でTL荒らしてしまうと思いますが、6月23日の三重県立美術館での佐藤康宏東京大学大学院教授の講演の振り返りをします。 タイトルは「蕭白は笑う」。笑いをキーワードに5つの項目に分けて解説。
2012-06-24 15:33:57「蕭白は笑う」その1「古典を笑う」まず蕭白の《伊勢物語図》(パワーズ・コレクション)を取り上げて解説。この作品は伊勢物語の「筒井筒」を扱ったもの。井戸の周りの竹垣をかこんで遊ぶ幼なじみの男女の子供を描くのが通例だが、、、
2012-06-24 15:34:12蕭白の作品で、そこにいる2人は成人になって歌を詠みかわす頃の姿で描かれている。さらに背景には小柴垣や縁側、衝立等余分なものが木目も生々しく描き込まれている。この道具立ては「筒井筒」の後半「河内越」に出てくるもの。
2012-06-24 15:34:25蕭白の《伊勢物語図》では、3つの場面、幼い2人が筒井筒の周りにいる、年頃になり歌を詠みかわす頃の姿、夫の浮気心からの回復の道具立て、といった何年も離れた3つの時間が描き込まれている。
2012-06-24 15:34:40しかし、どの時間でみたらいいのか、どの時間で見ても矛盾が生じる。そんな悪意に満ちた笑いが含まれている。《見立河内越図》(江戸、出光美術館)の道具立て、《信貴山縁起》の大仏殿の異時同図、菱川春草《風流錦絵伊勢物語》構成と比較しながら解説。
2012-06-24 15:35:00その2「聖人・賢者を笑う」。蕭白の《龐居士霊昭女図》(ボストン美術館)を取り上げる。この作品は父龐居士とその娘霊昭女を描いたものだが、娘が足を川につけている姿とそれを見つめる父の目線から、久米仙人とその妻の姿を描いた絵にも見立てられる。
2012-06-24 15:38:00川で足を洗う美女の姿に見とれて、空も飛べる法力を失って落ちた久米仙人の話への見立て、背景の枇杷の木はたくさん実を付けることから豊穣のシンボルとも、その異様な形状から勃起した男性器とも見え、あぶな絵仕立てになっている。
2012-06-24 15:38:25聖人の龐居士を卑俗な人に貶め、そのギャップを笑う、下作の精神が見て取れる。 その後、『林和靖図』のエロティックな欲の暗示について、同時代の「雨月物語」との共通点、永徳の《四季花鳥図》(聚光院)からの引用などを挙げながら解説。
2012-06-24 15:38:51最後に《竹林七賢図》について解説。七人でまとまって隠遁生活をする風雅を描くこのテーマで、快適な風景にするところを、雪景色としたことがまず異色。後に7人のうち2人は竹林を去るという場面をテーマとしているというのも異色。
2012-06-24 15:39:38《竹林七賢図》襖が開く場所に内と外の境目を設け、閉じる/開くことで行動を強調している。また、右面の賢者の雅な遊びと左面の童子が雪を落とすという俗な遊びの対比、内と外襖の両端の賢者の視線が観者に向けられていることで、楽しみと孤立を対比している。
2012-06-24 15:40:42その3「聖獣を笑う」。《雲龍図》(ボストン美術館)を取り上げる。海北友松《雲龍図》(北野天満宮)、曾我直庵《龍図》(東京国立博物館)のスケール感、岩佐又兵衛《龍虎図》(東京国立博物館)、狩野山雪《龍虎図》のユーモアなどと比較。
2012-06-24 15:41:01蕭白の《雲龍図》は異様な大きさで描かれ、桃山時代の荒々しさにも通じて、時代おくれ故の斬新さにもなっている。しかし目の表情によってそれを台無しにしている。威厳とそれを貶めるという2面性の境界にある作品。自分の力を心底信用しないことのあらわれ。
2012-06-24 15:41:35桃山から江戸になり、龍=権力、強さの誇示ということに対する疑いが新たな意味、世俗化を生んだ。龍や虎を、かわいらしさ弱々しさや虚無、困惑や内向きさを感じさせるように描くことは、滑稽さや皮肉と言った江戸の俳諧の精神に通じている。
2012-06-24 15:42:15その4「雅会を笑う」。蕭白《蘭亭曲水図》(クリーブランド美術館)、《虎渓三笑図》(千葉市美術館)を取り上げる。これらは自然の描写を重視し人物は豆粒のように描かれる。ほとんど山水のようになっているが、よく見ると本来のテーマがわかり驚くというねらい。
2012-06-24 15:43:02その5「なぜ笑う」。前述のその1〜3は、雅を俗に貶める、その境目の表現をしている。その4は、雅が極限まで縮小され消滅しかけている。
2012-06-24 15:44:00江戸時代は、中国文化に対する親しみが民衆レベルに浸透し、聖なるものの神々しさを身近にひそんだスリルとして味わうようになる。また、中国コンプレクスに対する反動もある。蕭白自身の屈折した表現は、真っ当な世界への憧れ、そんな自分も皮肉るような憧れのあらわれ。
2012-06-24 15:45:40@JunjiYamada 拝見しました。気安くお願いしてしまって、すみません…。時代遅れゆえに、かえって新鮮にうつるというのは、面白いですね。曾我蕭白のコンプレックスという点も興味深いです。あ、海老蔵、歌舞伎らしくてよかったです ^^
2012-06-24 21:06:01昨日の一連の佐藤先生の講演ツイート、 @taktwi さんのFBで佐藤先生から直々のご指摘いただきました!びっくり! 1カ所間違いがありました。ごめんなさい。 (誤)菱川春草《風流錦絵伊勢物語》→(正)勝川春章《風流錦絵伊勢物語》 配布資料の字を空目してました。誰やねん。
2012-06-25 18:22:216月23日に三重県立美術館で行われた講演会、佐藤康宏先生の「蕭白は笑う」 @JunjiYamada さんによる素晴らしいまとめ(http://t.co/y2EEGSk)ができました。個人的に印象に残った先生のコメントを、ノートを見ながら少し追加してみます。
2012-06-25 20:51:21蕭白の《伊勢物語図》(パワーズ・コレクション)井戸を覗く男女の姿。体は大きく大人であるのに、男女とも子供の髪型である振り分け髪をしている。描かれた体は2つの時代に引き裂かれている。道具立ては「河内越」のものでその後の二人の関係を示しており、3つの時代の異時同図になっている。
2012-06-25 20:55:06蕭白の《龐居士霊昭女図》(ボストン美術館)は見立久米仙人図。龐居士霊昭女親子を久米仙人とその妻に見立てることによって、近親相姦の気配も漂う黒い笑いを生み、聖人君子をおどしている。《林和靖図》では目の下にクマを作り、琴を運ぶ童子に流し目を送る。隣の童子はそれを指さして注意している。
2012-06-25 20:55:48《竹林七賢図》は永島家の襖絵で、部屋の北と西の4面づつ。七賢の5人が残り2人は去るが、去る2人に全体の3/4が使われいてる。去る2人の方は雪が深く、離脱した後の寂しさが現れており、蕭白の屈折が見える。襖を開けることによって、残る者と去る者が分かれる。
2012-06-25 20:56:40蕭白の《雲龍図》は大きな作品であるけれども、あと2枚は襖があったと思われる。上下左右も切り詰められている。龍の体は金属のようで、自然のものではなく意味をなくした形を組み合わせて描かれている。形そのものの奇妙さがある。龍の表情はとまどったような目をしていて、そこに迫力や威厳はない。
2012-06-25 20:57:57龍や虎に戦国の武将や禅宗寺院など時の権力者は力強さを求めた。江戸時代には主題は残っているが力強さは求められていない。超越的なものは示さず、人間の愛玩動物のような姿、デフォルメされたデザインとなっている。
2012-06-25 20:59:05