源頼朝と征夷大将軍

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MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@ShoukoYoshihiro @bukrd405 @1059kanri 後三年合戦は公戦と認められなかったため、義家は恩賞をポケットマネーで出す必要がありました。このことが、義家の声望を高めたとする見解もありますが、主従関係には発展しなかったのが現実でした。

2012-06-26 22:35:39
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@ShoukoYoshihiro @bukrd405 @1059kanri 問題は、ポケットマネーの財源です。義家はこれに陸奥守として得た収益を宛てましたが、結果、朝廷に納めねばならない年貢に不足をきたしてしまいました。このため、その後の任官が思うに任せなくなるのです。

2012-06-26 22:38:56
松浦 桀 @HAMLABI3594

@sweets_street @kurmacf @1059kanri 「頼朝は○○大将軍を希望したよ、大将軍じゃないよ。辞官した理由は不明だよ」と、「頼朝は大将軍を希望したよ。征夷大将軍にされたのですぐに辞めたよ」という意見があるようですね。不満に思った記載がきになる。

2012-06-26 22:43:36
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@HAMLABI3594 @sweets_street @1059kanri 不満に思った、という史料は存在していません。すぐに辞官したのは事実ですが。

2012-06-26 22:45:12

頼朝の征夷大将軍任官

MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

頼朝の征夷大将軍任官関係は、5月に少しつぶやいてるな。ついログから発掘して、つぶやき直しておこう。

2012-06-26 22:49:35
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

少しだけ、出だしを改変してツイートをし直す。

2012-06-26 22:50:55
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

幕府の1192年成立説。もっとも著名で、かつ学界ではもっとも支持の少ない説。特に近年、『山槐記』逸文が発見されたことで意味のないことが確定した。頼朝が朝廷に求めたのは、単に大将軍というだけで、征夷大将軍という称号は、朝廷側が消去法で選んだにすぎないことが明らかになったからである。

2012-06-26 22:51:26
松浦 桀 @HAMLABI3594

@kurmacf @sweets_street @1059kanri ありがとうございます。残りの疑問点は頼朝は「大將軍」を要求したのに朝廷側がこれは「○○大將軍」のことだと理解した可能性は無いですかね。ぐぐると「征夷使 大將軍」に叙任されたようですね。また微妙だな・・・。

2012-06-26 22:51:51
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

再)したがって、征夷大将軍の征夷に着目して、東国支配者に相応しい称号、とみなす見解は壊滅した。木曾義仲が征夷大将軍を名乗っていたのを継いだ、というのも誤りとわかった。征夷大将軍が、幕府にとって意味をなすようになるのは、頼家がそれを世襲したからで、むしろそこを追求しなければならない

2012-06-26 22:51:54
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

再)『山槐記』逸文がもたらした衝撃は大きい。それまで、木曾義仲が任官したのは征夷大将軍と考えられてきた。これは吾妻鏡の記述によるもの。ところが、九条兼実の日記『玉葉』には征東大将軍とある。普通なら、編纂物である吾妻鏡よりも、同時代の日記の記述が優先される。ところがこの件では違った

2012-06-26 22:52:32
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

再)当時の九条兼実が中央政界から離れていたことなどを理由に、『玉葉』の記述が否定されてしまったのである。ところが、『山槐記』逸文には、征東大将軍は木曾義仲の先例があるため不吉、と明記されていた。『玉葉』の正しさが証明されたわけだが、異例の史料操作が罷り通ってきたことが問題なのだ。

2012-06-26 22:52:53
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

ちなみに、頼朝同様に「大将軍」という称号にこだわった人物がひとりいる。鎮守府将軍に補任された時の北畠顕家である。鎮守府将軍では自分の家格と釣り合わないと主張し、鎮守府大将軍に任官している。

2012-06-26 22:54:44
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

うーん、疑問が多いようなので『山槐記』逸文該当部分の現代語訳を載せてしまおう。ちなみに講義で使っているもので、訳した責任は僕にあります。

2012-06-26 22:57:33
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

建久三年七月九日、関白(九条兼実)の使者がやってきて、「前近衛右大将の源頼朝が、大将軍に任命して欲しいと求めている。(略)どのような称号を与えればよいでしょうか。御意見をお聞かせ下さい」ということを述べた。(続く)

2012-06-26 22:58:11
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

そこで私(藤原忠親)は「惣官大将軍と征東大将軍は、最近不吉な例があるので止めたほうがよい。平宗盛が惣官大将軍に、木曾義仲が征東大将軍になっているからです。だから坂上田村麻呂の例を踏まえて、征夷大将軍に任ずるのがよろしいでしょう」と返答した。(続く)

2012-06-26 22:58:31
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

使者は別の人間にも諮問しており、「上将軍か、征夷(大)将軍がよろしいでしょう」という意見であったということだった。(続く)

2012-06-26 22:59:17
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

私は、「上将軍というのは中国には例はあるが、我が国には例がない。いっぽう征夷大将軍は、我が国に先例がある。坂上田村麻呂が任命された故事を吉例とみなすべきです。敢えて異国の例を求める必要はないでしょう」と答えた。(続く)

2012-06-26 22:59:33
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

十二日、使者が関白の決定を伝えてきた。「大将軍の称号については、坂上田村麻呂の例を踏まえて、征夷大将軍に決まりました」とのことである。(略)恐らく私の提案が通ったのだろう。(終わり)

2012-06-26 22:59:44

吾妻鏡の記述

MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

以上です。ようするに、頼朝が「大将軍」という称号を要求したのに対し、朝廷としては~~大将軍という名称をつける必要があり、すったもんだした末に、消去法で坂上田村麻呂が任官した征夷大将軍が選ばれた、というものです。

2012-06-26 23:01:04
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

ちなみに話を混乱させた『吾妻鏡』の記述はどうなっているか。木曾義仲征夷大将軍任官記事をみてみましょう。

2012-06-26 23:01:53
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

十日、庚子、(木曾)伊予守義仲が征夷大将軍を兼ねたという。おおまかに先例を調べると、(略)桓武天皇の御代の延暦十六年十一月五日に坂上田村麻呂卿を補任(任命)され、朱雀院の御代の天慶三年正月十八日に、藤原忠文朝臣を補任された。(続く)

2012-06-26 23:02:27
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

その後は、天皇二十二代・二百四十五年もの間、絶えてこの職に任命されるものがなかった。今回で三人目であり、稀に見る朝恩というべきだろうか。(終わり)

2012-06-26 23:02:50

九条兼実の日記『玉葉』