兵農分離を行った証拠は実はない
ご教示感謝。興味深いですね。ともかく17世紀後半には兵農分離の実体が出現すると。以前日本史研究会大会シンポで兵農分離論をやったらどうかと提案したことあり。中世史と近世史の共同討議に期待します。 RT @kurmacf @akisumitomo 武士が村から離れるようになった経緯
2012-06-27 01:41:24ただ僕は信長が兵農分離を行なったかどうかよりも、要は16~17世紀に武士階級は兵農分離を基本原理とする編成に転換していったということの方が僕は大事だと思っています。@kurmacf @akisumitomo これが武士が村から離れるようになった経緯です
2012-06-27 01:42:30兵農分離は廃藩置県(身分制解体)にも大きな影響を与えていていて近代日本すら規定していると考えるからです。不勉強ゆえの妄言はお許し下さい。改めてご教示に感謝します。 RT @kurmacf @akisumitomo これが武士が村から離れるようになった経緯です
2012-06-27 01:42:55@akisumitomo いえとんでもありません。こちらこそ、未熟な議論を長々と聞いていただき、ありがとうございました。
2012-06-27 01:45:04@kurmacf このエピソードは知っていましたが、まさか兵農分離の論拠になっているとは…。軍役帳的なものが遺されているのだとばかり思っていました。
2012-06-27 01:14:33家臣団の集住は武田信虎や大友義鑑、大内家なんかもしっかりやってて、官僚機構が整ってて大名権力が強い家ではポピュラーな政策。ぶっちゃけ、天正年間になっても徹底できてない織田家は遅いもいいところですよ。先進性の証明にはまったくならないし、そもそも兵農分離とは関係ないという
2012-06-27 01:29:17むーん、『センゴク外伝桶狭間戦記』で、今川氏を完成された戦国大名、対する織田氏を粗削りの新興大名として描いていたが、あながち間違いでもないのか。だけど、織田は粗いどころではないな、こりゃ。
2012-06-27 01:34:51@sweets_street 平地が多くて商業も盛んだから、家臣がそれぞれ自分の領地から離れたくない感じがします。織田の家臣団。
2012-06-27 01:35:41@sweets_street 脆弱な官僚機構で版図(影響圏?)を急速に拡大できたのは、国衆を取り込むタイプの拡大だったからかもしれませんね。織田氏が専制的な中央集権政権だったとしたら、政策の周知徹底などできなさそうです。
2012-06-27 01:41:10そういうことなのだろうと思います RT @ugata_noto 脆弱な官僚機構で版図(影響圏?)を急速に拡大できたのは、国衆を取り込むタイプの拡大だったからかもしれませんね。織田氏が専制的な中央集権政権だったとしたら、政策の周知徹底などできなさそうです。
2012-06-27 02:17:34どこの大名家だって、農村在住の地侍が主力ですし。国衆の子弟で編成した侍身分の馬廻や、金で雇われた足軽のような常備部隊も存在しましたが、これは主力じゃないですね。常時雇用の兵士を何千、何万と養えるだけのお金を持ってる大名家なんて無いですし
2012-06-27 01:58:08それ以前に領地から離れて城下に住んで軍役を務めるって負担が大きいんですよ。領地に住んで召集された時に馳せ参じるほうが安上がりなんです RT @satis_ 平地が多くて商業も盛んだから、家臣がそれぞれ自分の領地から離れたくない感じがします。織田の家臣団。
2012-06-27 02:05:44信長公記で「兵農分離の証拠」とされる馬廻や弓衆の集住だけど、そもそも馬廻や弓衆のような直轄部隊の例を一般化するのがおかしいとしか。信長軍の主力は直臣や国衆が率いる農村在住の地侍なわけで
2012-06-27 02:11:22江戸時代「武士を土着に戻さないと、経済的に疲弊し、軍役を果たせなくなる」と問題になりましたね@sweets_street @satis_ それ以前に領地から離れて城下に住んで軍役を務めるって負担が大きいんですよ。領地に住んで召集された時に馳せ参じるほうが安上がりなんです
2012-06-27 02:07:42城下に住んで、そこから知行地を経営するって経済的にしんどいんですよね RT @ut_ken: 江戸時代「武士を土着に戻さないと、経済的に疲弊し、軍役を果たせなくなる」と問題になりましたね
2012-06-27 02:15:23実はそれが兵農分離論・未分離論の始まりなのです。 RT @sweets_street: 城下に住んで、そこから知行地を経営するって経済的にしんどいんですよね RT @ut_ken: 江戸時代「武士を土着に戻さないと、経済的に疲弊し、軍役を果たせなくなる」と問題になりましたね
2012-06-27 02:26:37江戸時代の武士が困窮→戦国時代は兵農未分離だったのでは?→その時代のやり方に戻せば財政問題が解決するのでは?という三段論法で生まれたのが兵農分離という概念。実は発祥は江戸時代です。
2012-06-27 02:29:39そうなるとやはり信長政権後期の謀反続出は遅れた中央集権化の軋轢と考えるのが妥当なのかしら。 RT @sweets_street: そういうことなのだろうと思います RT @ugata_noto 脆弱な官僚機構で版図(影響圏?)を急速に拡大できたのは、国衆を取り込むタイプの拡大
2012-06-27 02:35:00家臣が多すぎて財政が苦しい佐賀藩では、家臣を農村に住ませてお金を節約していましたね RT @kurmacf: 実はそれが兵農分離論・未分離論の始まりなのです。
2012-06-27 02:37:34そういうことです。いつもながら、よくご存知ですね。 RT @sweets_street: 家臣が多すぎて財政が苦しい佐賀藩では、家臣を農村に住ませてお金を節約していましたね RT @kurmacf: 実はそれが兵農分離論・未分離論の始まりなのです。
2012-06-27 02:40:16むしろ、中央集権化したら既得権を失う国衆などの反発が起きますね。織田家で家臣の離反が多かったのは、拡大する一方の家臣団の利害調整に苦労したからかと RT @soudai3: そうなるとやはり信長政権後期の謀反続出は遅れた中央集権化の軋轢と考えるのが妥当なのかしら。
2012-06-27 02:40:40国衆や地侍が大名権力に求めているのは、所領や権益の安堵、訴訟ごとの調停といった利害調整なので、そこをしくじると「こんな主君になんか仕えてられるか」という気持ちになるわけです。大名の裁定が生活に直結してますからね RT @soudai3: なるほど、ご返答ありがとうございます。
2012-06-27 02:51:10うわ、一日で50人もフォロワーが増えている。ありがたいことです。久々に真面目なつぶやきを集中してしたせいもあるのかな?
2012-06-27 02:52:15@kurmacf 先生が集中してツイートされた時間帯は、僕のTLでは歴史好きが一番たくさんいる時間帯なので、多くの方がツイートを読んで関心を持たれたのだと思います
2012-06-27 02:54:20