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室町時代の『金瘡秘伝』にみえる刀創や矢疵の治療法

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歴史 室町時代 刀傷 矢傷 医療
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@bukrd405
室町時代の『金瘡秘伝』にみえる刀創や矢疵の治療法。まず疵を負った人の助かるものと、助からないものの見分け方からはじまる。顔色赤く眼がおよぎ、薬も吐き、眼の中が白く、青黒くなった血管が浮き上がり、脈拍が速ければかならず死ぬという。
@bukrd405
顔の色が普通で眼の動きが正常で、薬をよく飲み、血管が静かに細めの状態なら助かるだろうとある。また、熱のある場合は血を止めがたく、悪くすると疵は膿むという。
@bukrd405
その後で気つけ薬以下各種飲み薬・塗り薬の調合、食べてよいもの・悪いもの、疵の洗浄、腸が出ている場合・頭の脳が出ている場合の処置、鏃の抜き方、そのほかさまざまな処置・治療法をのべる。しかしその内容は驚くほど幼稚で非合理なものも含まれていた。
@bukrd405
腸が出ていれば、乱暴に洗浄してはならず、小麦粉を粥に煮たものを、柳のへらで腸に塗り、古烏帽子を使ってそっと腹に押入れ「傷口を縫うべし」というのはまだよいが、骨筋をすっぱり切られたのを、くっつける最上の薬は「産み流しの死にたる子」であるという。
@bukrd405
「死にたる子」の頭手足胴を切り分けて、板に挟み押して水分をとり、秋から冬のあいだ陰干しにしたのを薬に使うのだという。腕を切られたら、くだんの手の部分の塊(「チゴ手」という)を削って髪油と調合し、これを烏の羽にて付ける。
@bukrd405
細川玉林殿(実名不明)は将軍足利義教の供をして赤松満祐邸に出向き、将軍暗殺に遭遇した(嘉吉の乱のきっかけとなった事件)。その巻き添えをくって右の手を切り落とされたが、この「チゴ手」を使って、再びつけることができ、そして箸を持てるまでに回復したという。
@bukrd405
このほか鏃を抜くには「ガンキハサミ(鋏)」にて縛りあげて、跳木を使って抜くが、それでも抜けないときは、蛇の皮を臼で挽いて粉末にして「スイ薬」(いかなるものか不明)を加えて疵口に塗るとか、
@bukrd405
(承前)山クチハナの若葉を馬の屎と合わせて、7日おいて臼にて挽き、さらにこれを胡麻油と調合して疵口に塗る、その上に蛇の皮を貼って、牛蒡の歯で押さえる。
@bukrd405
中世に、戦争で負傷した人々はペニシリンの代わりに、流産の子、烏の黒焼き、蟹や蟷螂のすりつぶしたもの、蛇の皮、馬や赤子の屎、色々な植物、石灰などを薬にする以外にはなかった。しかも衛生知識が欠けていたから、疵の部位と深さにもよるが、受けた疵は化膿しやすく、
@bukrd405
(承前)それだけになかなか命は助からなかった。弘安の役で負傷した少弐資能が、後になって死んでいるのはこうしたケースである。そのほかに温泉療法があった。
zorotto@大サトー学会 @zorotto_BJ
@bukrd405 テキストをみただけで具合が悪くなりそうです。怖い時代ですね
@bukrd405
@zorotto_BJ おそらく深手を負ったものは死ぬしかなかったのでしょうね。
@bukrd405
@jonathanohn @zorotto_BJ ありがとうございます。ソースは、http://t.co/MHwTadYO 蒙古襲来 (戦争の日本史7)  です。
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