セカイ系について

tyokorata @tyokorata さんのセカイ系についてまとめました。
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ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

セカイ系について一言。セカイ系の本質は、彼らにとってのセカイが崩壊することを死ぬほど恐れるという点。それは学生運動においても同じ事といえる。そのセカイの崩壊とは、安田講堂が落城したときやニクソンが訪中したり、山岳ベース事件が知れ渡ることでもある。つまりセカイとはアイデンティティー

2012-06-26 14:31:06
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

ただ自分でも思うのは、まどか☆マギカと巨神ゴーグと、機甲界ガリアンの三者の違いについて。ガリアンもゴーグも、ともに学生運動や反体制活動などを作り手が思考のうちに秘めた作品である。そして三者はともに世界の終わりが描かれる。だが、決定的な違いがある (続く)

2012-06-26 14:34:16
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

ガリアンは、平和という毒に犯された日本がモデルであるランプレートに、学生運動の果てに国外に逃亡した人間を模したマーダルが訪れることで、社会が転回し、体制側はマーダルとその毒に犯された者たちを地上から抹殺しようとする。つまり、ランプレートという星やセカイを破壊するのである。 (続く

2012-06-26 14:35:57
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

ゴーグは、オウストラル島という、危険極まりない島を諸外国が一致団結して核兵器を使用して地上から抹殺しようとする物語。そして、ゼロアワーというセカイの最後が訪れるときまで、主人公の悠宇は宇宙人であり自分の先祖の兄弟であるマノンたちと分かり合えた事を皆に伝えようとした。(続く

2012-06-26 14:37:41
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

二作品に共通するのは、ともに冷戦構造下で作られた作品だったため、核戦争の恐怖がイメージにある。そしてセカイの危機に対して一方は生き残るために全力を尽くし、もう一方は最後のときまで分かり合おうとしていた。そしてガリアンのマーダルは、己が夢見たセカイの構築に失敗した。(続く

2012-06-26 14:39:03
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

マーダルは生き残ることも出来たけど己のセカイが敗れたことで己が夢見たランプレートの再生の責任を取るため、愛するランプレートの民とともに死を選びました。それは責任を取るという意味でもあります。しかし、まどか☆マギカのセカイの終わりには社会が存在しません。つまり自分たちの外です(続く

2012-06-26 14:40:46
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

ゴーグの作品内では、核ミサイルがオウストラル島に落ちたとき世界のほかの人々は愛を語り、また別の人たちは自分たちの生活を営んでいました。つまり、悠宇立ちのセカイが終わったときも、世界は動き続けていたのでした。そしてマーダルのセカイが終わった後も惑星アーストの世界は存在しました(続く

2012-06-26 14:44:36
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

ほむらのセカイとは、自分とまどかがともに笑いながら暮らせる社会でしかなく、他はどうでもよかったのです。それはさやかも同じでした。自分が恭介を独占することこそがセカイのすべてだったのです。それが叶わない時点で、彼女のセカイは終わっていたのでした。しかし、何か引っかかります(続く

2012-06-26 14:46:46
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

セカイとは一体何なのか。そう考えたとき、アイデンティティーではないか、と私は考えます。アイデンティティーとは、それは事実である必要性はまったくありません。つまり、我思うゆえに、セカイありなわけです。単なるエゴの肥大化に過ぎませんが。しかし生きる実感がない生活だとそうなりやすいです

2012-06-26 14:48:52
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

そうすると、エゴを肥大化させてしまい、自分と彼(女)だけをセカイ、とする他者の存在を認知しない生き方とは何なんだろうか、とも思います。カウンターはあるのか?

2012-06-26 14:49:46
福地仁 @hitofuku

@tyokorata 幻想と言う点では共通してるけど、共同体や思想的連帯を信じるのは「セカイ」じゃないと思うなぁ・・。但し、山降りて乳繰り合っていた森・永田の2人の空間はセカイだったと思うよ。でも山荘の5人が対峙してたのは、一応は「世界(社会)」だよ

2012-06-26 14:41:48
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

@hitofuku 森と永田について同意です。私の頭の中にあるのはその二人ですね。ただ、思い通りにならない社会を「敵」として認知していたという意味では暴力革命を志した学生運動はオームと同じセカイ系だったと思うのです。山荘のメンバーが対峙した生き残りゲームはなんだったのでしょうかね

2012-06-26 14:52:31
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

ゴーグとガリアンは、ともに「大人」が存在し、子どもの世界と大人の世界が存在していました。そして互いに他者であることを認知していました。ウインドゥ「あんたら宇宙人がこの星を俺たちごと滅ぼそうとしているんだな!」 そして宇宙人のウーズベンも己の責務を果たそうとしました

2012-06-26 14:54:30
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

そうすると、「社会」という、己と違う価値観や考え方や生き方をする者が存在することを知り、その生き方も込みで他者を認めるということこそが大事なのではないだろうかと思います。セカイは滅んでも、世界は存在し続ける。

2012-06-26 14:56:22
福地仁 @hitofuku

@tyokorata オレの定義だと、3人以上の人数でビジョンが共有されていたら、そのビジョンが幻想だろうと、もうセカイ系じゃないんすよ。3人居たら社会が始まるから

2012-06-26 16:58:09
ちょこらーたは誤チェスト @tyokorata

@hitofuku なるほど、私もセカイ系の定義があやふやでしたね。私はオームみたいなコミュニティでも、他者を排除した組織になった場合はセカイ系だと解釈しています。そこら辺については定義の擦り合わせでもしますかね

2012-06-26 18:06:58
福地仁 @hitofuku

@tyokorata まぁ、そこは各々の解釈と言う感じでしょう。自分は「アスカだけ居ればいい」「ハルヒさえ満足ならいい」というものが、セカイ系だろうと思っているだけなので。外部を排除した組織に関しては「狭窄して分断された世界」なんだと思います。閉じいても内部に序列が在れば世界かと

2012-06-26 18:17:46
福地仁 @hitofuku

@tyokorata 暴走者「単体」の中ではセカイになっている可能性は有るかも。「神と自分」「グルと自分」「大好きなあの人と自分」ならば

2012-06-26 18:21:11