「科学以外にも学問の方法がある」ってynabeさんは言うけど、それってなんなのだろう。科学って要は演繹と帰納だけども、それ以外にあるってことかな。僕はあまり知らないけどポパーのやつとか?
2012-06-25 13:18:01正しいことを証明するためには、ある前提を立てて、それの論理的帰結を持って決する。つまり、「もしこれが正しかったら、それは正しい」という形式でしか述べることは出来ず、無条件に「これは正しいのだ」とは言えない。
2012-06-25 21:48:15この時、この「前提」は疑ってはならない。もし疑えば、それは別の学問体系になる。ユークリッド幾何学の前提(公理系)を疑った結果非ユークリッド幾何学が生まれたように。
2012-06-25 21:48:25@shenqi 「学はいかにして学となりえるのか」って話ですよね。方法論というか。掲示板とかに貼ってある勉強会が良いのかもしれないですが、どうなんでしょう。。僕はたまたま講義の飲み会で話してただけなんで( ; ; )
2012-06-26 01:02:25@frac33 はい。ちょっと前につぶやいたログがここにあるので参考に貼っておきます。http://t.co/GAV9ZEiU 人に説明するにはこれだけじゃ全然足りないとは思うのですが…
2012-06-26 01:06:57概念が自明ではないから公理っていうのは、自分の公理型システム論(と勝手に呼んでいる)とマッチするのでよい. 要は、実際の世界(=自分が社会と呼ぶモノ)を公理を与えることで限定化し、その空間の中に論理系を形成することによって、consistentな学問としている、みたいな.
2012-06-22 04:57:07そうやって限定していかないと演繹での学問は成立しない、逆に、考えられる「真」ではない事実を公理の形で一番上まで押しこむことによって、たとえ公理が偽であることが証明されたとしても、限定的な空間自体が侵されることはないようにしている
2012-06-22 05:00:15世界は演繹では作られていない、じゃあそこにどうやって完全な演繹性を持ち込むのか、一番上の領域を定義する部分を、「常識」という形で現実世界にリンクさせる、そうすることで不完全な演繹体系で現実を説明することを可能にしている.
2012-06-22 05:07:26@frac33 念頭にあったのは非ユークリッド幾何のことと、相対性理論とニュートン力学の関係とかです。「人間が生きているスケール」での常識的な一般条件というのはこういうことかと。
2012-06-26 01:11:54@shenqi 「公理が偽であることを証明されても」というのが、ありましたがたぶん問題意識としてはここの辺りだろうと思います。演繹で限定的に世界の成り立ちを記述する。しかし世界はそれだけで記述しうるものではない、と。しかも演繹の根元の前提が偽であったら?と。
2012-06-26 01:17:16@shenqi 例えばアリストテレスは「人間はポリス的な動物である」といい、経済学では「人は合理的に動くものだ」社会心理学では「人は社会的本質を持っている」というような前提が存在します。このような”前提”は真偽を問うものではないと思います。
2012-06-26 01:20:18@frac33 そこが前提条件じゃなくて公理である必要があるところなのです。常識的に正しいと認められている条件=人間が生きているスケールでは正しいであろう条件≠世界全体で正しいであろう条件ということです。
2012-06-26 01:20:48@frac33 完全な演繹系であれば公理が偽と証明されたとしても、それを内包するあらたな系が発生するだけで、今までの知識が否定されるわけではない、というのがミソだと思っています。説明ベタで申し訳ありません。
2012-06-26 01:20:50@shenqi 学問的アプローチとはこうゆうことであって、前提が疑わしければ、別の領域として学問が生成されていくので(例えば経済学では合理的存在としての人間を否定する動きがあります。)、結果的には世界の記述も増えていくという構造があるのではないかと思っています。
2012-06-26 01:23:32@shenqi 僕は”前提条件”と”公理系”をほぼ同じ意味で使っているんですが、それはどうゆう違いなんです?スケールというのは「ミクロとマクロでは問題の扱い方に差が存在する」というような意味なんでしょうか。
2012-06-26 01:27:36これは僕が高校の時常日頃思っていたようなこと、「お前らの話が全部嘘っぱちじゃねぇって誰が言えるんだよ!!」みたいなことで、僕もずっと悩んでいた。
2012-06-26 01:32:22僕の問題意識はつまるところ「学問の正しさを担保するものは一体何か?」「正しかったとして、それは世界を記述する上で有効なものであると言えるか?」ということです。
2012-06-26 01:33:33@frac33 すべての学問は現実世界をそのままの形で記述することはできない、というのが自分の考えです。というより、その必要性がない。ひとつひとつの学問体系は公理によって現実世界をある前提のもとに限定的空間に落とし込めて、潜在的な間違いの可能性を公理までおいやって、
2012-06-26 01:59:29