2012年6月30日

建築と実生活のモダニズム回帰など

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カイデュアイ @szkymdr

『共同体が開き、外部と直面するときは「勝つ」ためのレトリックを競いあう。外部に敵わないとみて共同体が閉じれば、内輪の関係を重視して、そこに集中する。負けのレトリックは、この由緒正しい村落共同体的なマナーにのっとった「負けるが勝ち」の作戦だ。http://t.co/1Bu2qISK

2012-06-30 13:04:54
カイデュアイ @szkymdr

高度成長期までの建築家の仕事は、建築主の当初の予算を釣り上げて、建築家の自己表現が十分に達成可能になるまでカネをかけることにあった。バルブ崩壊でそれが通用しなくなり多くの建築家が退場した。/松岡正剛の千夜千冊 書評:『負ける建築』隈研吾(2004年)

2012-06-30 13:22:45
カイデュアイ @szkymdr

自分が学生のときに学んだ建築ファッションは、モダニズム建築(1960年頃の)が基点でそれをすべてのベースとすべきであり、積水ハウスやライオンズマンションのような大衆的な建築は一切無視する、または堕落した建築を見なしていたよ。ホントに。当時からおかしいと思ってた。

2012-06-30 13:25:23
カイデュアイ @szkymdr

→たとえば、安藤忠雄は積水ハウスをバカにしまくっていた。安藤さんの建築がそんなに優れているなら、安藤さんの住宅が日本に1千戸ぐらい建ってもおかしくはない。良い建築はコピーして建てればいいんだし。そうしないのは建て主主義じゃなくて設計屋主義だからだね。→

2012-06-30 13:29:33
カイデュアイ @szkymdr

→住宅を建てたい人は日本中に何万人もいる。コストが安い方がよくて、隣と同じではイヤぐらいの価値観を持つ。でも、同じモデルの住宅が県内に10件あってもそれほど気にならない。実際目にしないだろうから。だから同じ図面の建築が存在しても、建て主さえ満足すればいい。建て主主義の一例。→

2012-06-30 13:34:32
カイデュアイ @szkymdr

→建築家のセンセイは、同じ建築を建てられないね。自分のコピーだと非難されちゃうし、自分自身も耐えられないだろうから。それが設計屋主義なんだな。顧客は建築が同じでも気にしない場合もある。ハウスメーカーは商品の複数用意して、なるべく同じに見えないような工夫をすれば売れる。→

2012-06-30 13:37:54
カイデュアイ @szkymdr

→顧客本位に立てば、同じ住宅を100戸建てようが、客さえ文句がなければそれでいい。スケールメリットでコスト安になるし、設計施工ミスも減る。日本では建築家よりハウスメーカーの方が比較にならないほど強いのは、消費者に選ばれているから。→

2012-06-30 13:40:44
カイデュアイ @szkymdr

→同じ作品を100戸建てられない建築家のセンセイは、必然的に社会マーケットのカウンターカルチャーにならざるをえない。希少価値・少数派として生き残っていく道しかない。日本で建築家が建てた住宅がたくさん流通するためには、建築家が大衆化しないとならない。→

2012-06-30 13:43:15
カイデュアイ @szkymdr

→大衆化した建築家は、じつはハウスメーカーの設計部やゼネコンの設計部にいる。彼らはコストについてとても詳しいし、「自分を殺す」ことをなんとも思わない。自分としては「どちらがプロとして優れているか、守備範囲が広いか」というテーマを出してしまうね。→

2012-06-30 13:48:00
カイデュアイ @szkymdr

→モダニズム建築以前、おおよそ1920年ごろのアメリカ・ヨーロッパは、装飾的建築が主流派。今みたいにモノがない時代だから、内装や事務所の机や、応接セットなどをすごい装飾的につくることで物欲を満たす時代。その反動で装飾を排するモダニズム文化になった。→

2012-06-30 14:18:46
カイデュアイ @szkymdr

→今は世代的に、モノがない時代に人々が何を追い求めていたか、という空気感がわからない。だから「レス・イズ・モア」と言われても時代背景がわからない。極端なことを言えば、サン・ピエトロ寺院のようなコテコテの装飾の時代から、モノはあるのでそのハコである建築はサッパリと、ということ。→

2012-06-30 14:24:47
カイデュアイ @szkymdr

→さっぱり建築ブームは不景気を連動している。趣味でラブホテル風の自邸を建てる人はいるけど、不動産の顕示欲を満たすには何億という資金が必要。建物に出すカネはないとなると以前はインテリアだったが、これも限定的になりつつある。独身生活で10万円のカウチを買う人っているかな。→

2012-06-30 14:29:20
カイデュアイ @szkymdr

→カネはないけど、最低限の自分の部屋をイケヤとニトリで作る、そういう感じ。これでパソコン・ネットをやめちゃえば、意外と生活は豊かになるかもしれん。情報入手もテレビと新聞のほうが実が確実で効率的だと思うようになった。→

2012-06-30 14:32:14
カイデュアイ @szkymdr

→ネットを深くやりすぎて、ネット内の騒乱を見ていると、ほとんどがテレビネタだと気づく。つまり、ネット内の記事だけだと3日で消費終了→しかし、テレビで取り上げられると閲覧者急増で大ニュースになる、という構造。こういうことならテレビだけ見ていればいいんじゃないか。→

2012-06-30 14:35:21
カイデュアイ @szkymdr

→紙の新聞は意外とバカにならない。新聞一紙と週刊誌一冊で、日本の情報をほぼを網羅できる。それ以外にネットで得た情報はよく考えればいらない情報のほうが多い。

2012-06-30 14:37:02
カイデュアイ @szkymdr

→ネットを有望視する派の作家やジャーナリストと、ネットサイトの運営者の話は方向性が正反対だ。後者:ネット情報はテレビ・新聞を基準に動いており、これからもそれは変わらないと。双方向性の部分には大して収穫がないので、ネットは排しないが特に積極的にもならないのが広告供給者の多勢。→

2012-06-30 14:42:09
カイデュアイ @szkymdr

→ケータイで100万パケット行くという人はフルタイムの暇人で、フルタイムの労働者にはそれは不可能。フルタイムの暇人はカネがないのでそれほど消費経済に影響する存在にならない、そういう趣旨のことを言うネット関係者がいたな。→

2012-06-30 14:46:33
カイデュアイ @szkymdr

→フルタイムの暇人による共同体が形成されるかもという予想はあるが、お互いを拘束する共同体にならないと換金化ができない。つまり仕事にならないとマネタイズできない。フルタイムの暇人共同体は少額の寄付文化を作る程度で、それが事業化1兆円とかにはならない。→

2012-06-30 14:50:31
カイデュアイ @szkymdr

→メールマガジンを売るネット人も、顧客ターゲットはフルタイム暇人が中心なんだと思う。そうすると月額600円なのか1000円なのかで、ガラっと変わるんじゃないかなと思う。ニコニコは500円か。

2012-06-30 14:53:18
カイデュアイ @szkymdr

→モノをたくさん買って物欲を満たす時代は終わった的は言い方が流行っているが、ネットやメールに時間を取られるから、それ以外の消費行動にかける時間が少なくなる、という結果論でしかないと思う。これは新しいカルチャーではないな。ただの消費行動だ。

2012-06-30 14:57:34
カイデュアイ @szkymdr

→たぶん、ある日を境にだれもネットをしなくなる日が来る。ネットが終わる日が来ると思う。ゲーム機だって、それが好きな人の世界だけのものになった。スマホも似たようなことになるだろう。メール機能だけの携帯に回帰する気がするな。

2012-06-30 15:00:57
カイデュアイ @szkymdr

→自分の実体験として、リア充っぽい生活と非リア充っぽい生活の両面があるが、後者に入り込んで飽きたときは「時間の浪費だったな」という感想が多い。一人のヒマな時間も、街歩きや映画・読書などネット以外の時間つぶしの方が後悔が少ない。「草食系ネット離れ」がこれから出現するかも。

2012-06-30 15:06:22
カイデュアイ @szkymdr

→「文藝春秋」「新潮45」「中央公論」なんかを見ていると、情報の質はネットより良い気がする。作家に原稿料があることと、雑誌は買う人しか読まない「クローズドサークル」だから、内容も言いたいことが言える感覚がある。右派・左派のバランスもいいし。

2012-06-30 15:14:53
カイデュアイ @szkymdr

究極の "Less Is More" はネットをやめることだな。

2012-06-30 15:25:58

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