江戸ッ子生活

ご本人(hitten_atsumori様)がお纏めになったものと、だぶっております。ご了承ください。
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歳蔵 @hitten_atsumori

江戸ッ子は風呂が好きだ。というより、必要に迫られていた。江戸の気候は湿潤で、更に砂埃が舞っている。風が吹けばすぐに砂まみれだ。となりゃァ誰でも湯を浴びたくはなるってもんだろう #江戸ッ子生活

2012-07-01 01:30:33
歳蔵 @hitten_atsumori

そんな時は羽書を買やァいい。この羽書を持ってりゃ一月の間は何回でも銭湯に入れる。現代で言うところの「定期券」みてェなモンだ。料金は一四八文。一月、三十日のうち、廿五回行けば元が取れるってェモンだった。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 01:42:38
歳蔵 @hitten_atsumori

余談だが、後々この「羽書」に似ていたことから、文を書く紙を「葉書」って言うようになる、らしい。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 01:43:57
歳蔵 @hitten_atsumori

銭湯では男は風呂用のふんどし、女は湯文字を着けて入浴していたが、時代が後になるにつれて着用しなくなり、俺の時代には全裸だ。しかしその中で着用している男がいる。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 01:47:15
歳蔵 @hitten_atsumori

三助ってェ、風呂屋の奉公人だ。三助の仕事は当然ながら風呂焚きやらの雑用。しかし金を出せば客の体も擦る。それも男女問わずに、だ。マァ、だいたい混浴だったからな。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 01:55:07
歳蔵 @hitten_atsumori

体を洗ってくれるのは男の三助だけじゃねぇ。湯女もそうだ。ただ、湯女は男の体を洗うだけじゃなく、春も鬻いでいた。勿論というか、違法なんだがな。幕府は吉原以外のそういう営業は許可していなかった。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 02:00:30
歳蔵 @hitten_atsumori

幕府は人数制限したり、湯女自体禁止したりしているが、なかなか無くならなかった。それにそういう仕事をしていたのは三助も同じだったんだが、そちらはどちらかというと暗黙の了解みてぇなもんだった。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 02:04:08
歳蔵 @hitten_atsumori

三助を置いてるのは銭湯だけじゃねぇ。温泉にもいた。特に『子宝の湯』で有名な処にゃァ、男前の三助が居るのが相場で、種がねェ亭主の代わりにソチラで仕込んできたらしい。亭主としてはテメェの沽券に関るから泣き寝入りだな。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 02:09:46
歳蔵 @hitten_atsumori

風呂屋で売られる春は置いておいて…俺も熱い湯が好きだが、江戸ッ子も熱い湯が好きでな。現代で言うと四十七から八度ってェとこらしい。湯船はくれぇし、洗い場は湯気が酷く人形がようやくわかるって程度だ。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 11:43:00
歳蔵 @hitten_atsumori

昨日、ちらりと混浴だったという話をしたが、正確には二度ほど混浴は禁止されている。一回目は寛政三年。法度を出したのは松平定信公だ。って聞きゃァ「さもありなん」ってェとこだろう(笑) #江戸ッ子生活

2012-07-01 11:47:51
歳蔵 @hitten_atsumori

しかし、混浴禁止は定着しなかった。次第にまた混浴へ戻っていく。そこで二回目の法度が出された。天保十二年。俺ァ七つの頃だな。出したのは水野忠邦。『寛政の改革』と『天保の改革』の中に「混浴禁止令」があったとでも思えばいい(笑) #江戸ッ子生活

2012-07-01 11:51:52
歳蔵 @hitten_atsumori

結局はまた混浴に戻っちまったんだが。だが、混浴禁止になったことで、ひとつ風呂屋は細工を作った。風呂屋には男しか上がれねェ二階の座敷があるんだが…そこにゃ床の一部に窓があいててよ、下にある女湯が覗けるってェ塩梅よ。この座敷に上がるには追加で十二文かかる。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 11:58:40
歳蔵 @hitten_atsumori

混浴、といやァ男は喜び、女は嫌がるかもしれねェが…さっきも言ったように湯船は暗い。それにそんなつもりもなくても、どこかのお内儀の尻に指先でも触れようもんなら、脳天から怒声と水をぶっかけられる。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 12:02:50
歳蔵 @hitten_atsumori

若い娘は、常に母親や婆やが脇を固めていて近付くどころか、目が合うだけでも痴漢扱いにされるされるくれェだった。そんな銭湯で見合が行われることもあった。隠し事はできねぇな(笑) #江戸ッ子生活

2012-07-01 12:10:38
歳蔵 @hitten_atsumori

次は暗い湯船に入るときの断り文句だ。暗いから、先に入ってる人間に一声かけてから入らねェといけなかった。その一声も、江戸ッ子は普通にはいわねぇ。「枝がさわります」この枝は手足のことだな。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 12:14:55
歳蔵 @hitten_atsumori

「ひえもんでござる」ひえもんは「冷え物」、冷えた体が入ります、てェいみだな。炬燵なんかでも、温まった体に冷えた人の手足なんかが当たると驚くだろ。その辺の配慮だ。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 12:17:14
歳蔵 @hitten_atsumori

「田舎者でござい」俺ァ実際多摩の田舎モンなんだが、江戸ッ子でもこう言った。田舎者で不慣れだから無礼があったらすみませんってェことだな。無礼ってなァどういうのかってェと、なんせ暗くて見えないからな。出入り口付近の人間の顔にイチモツがあたる、なんて事もあった。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 12:27:34
歳蔵 @hitten_atsumori

江戸ッ子は日に最低二回は風呂に入る。朝の仕事前と、夕の仕事後の二回だ。気になりゃァ、日に何べんでもはいりゃいいんだがよ。一回の銭湯で八文、子供は四文だ。日常的に皆が使うモンだから、安くても風呂やは儲かる。しかしさすがに日に何べんも入りゃァ、次第に懐は痛む… #江戸ッ子生活

2012-07-01 12:43:18
歳蔵 @hitten_atsumori

最後に湯屋の道具でも書いとくか。まず桶は誰でも使える小桶と、有料の留桶がある。留桶は小桶より大きめでな、自分や家族の専用にできる。名前や家紋を入れてな。使用初めに祝儀として二百文から一分かかる。高価だが、女は使う者が多かった。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 13:03:22
歳蔵 @hitten_atsumori

体を洗うために必要なのはぬか袋。布袋の中にもち米のぬかを入れて体をこすりゃァ美肌効果があるとされ、女には必需品だった。男でも十人中七、八人は使ってたんだぜ。ぬかは番台で買え、使い終わったぬかは風呂場にある捨て場に捨てりゃよかった。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 13:06:53
歳蔵 @hitten_atsumori

洗い粉は小豆や大豆、滑石などからできた粉で、肌の色つやがよくなると女に評判だった。湯屋には爪切り用の和ばさみや櫛、毛抜きも常備されていたが、持ち帰られねェように、木札や紐がついていた。 #江戸ッ子生活

2012-07-01 13:14:42
歳蔵 @hitten_atsumori

だいたいこんなもんか… #江戸ッ子生活 ではまた江戸での生活について書いていこう。

2012-07-01 13:16:19