「原発」って社会的にみたら「神」や「妖怪」に近いもの

日本人の感性では原発が「神」とか「妖怪」に近いものに感じる、ってお話です。キリスト教圏の考え方とは確かに違うかもなー。興味深く拝読しました。
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最近ちょっとずつ考えをまとめているんだけど、「原発」って社会学的・民俗学的な意味で〈神〉や〈妖怪〉に近いのだと思う。もちろん物体としての「原子力発電所」には神性や神秘的エネルギーなんてないのだけど、「原発」と呼ばれ、知識のない一般人に認知された瞬間に、それは日本的な〈神〉になる。

2012-07-02 18:01:31
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〈神〉や〈妖怪〉といった超常的な存在は、たとえば自然災害や疫病のような「人には制御できない現象」の象徴だ。ヤハウェ一神教系の文化圏の神話では、モンスターは討伐され、駆除される場合が多い。一方、日本の神話や説話では追い払ったモンスターを「祀る」場合がまま見られる。

2012-07-02 18:08:55
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『憑霊信仰論』では「夜刀の神」の例があげられている。「夜刀の神」とは角の生えた蛇で、開墾を邪魔するモンスターだ。麻多智という英雄がこのモンスターを討伐して山奥へと追い払う。ここまでは「怪物討伐モノ」の物語の典型的なプロットだ。しかし麻多智は、夜刀の神を駆除・根絶しなかった。

2012-07-02 18:15:54
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怪物討伐の物語は世界中にあるが、多くは(とくにキリスト教文化圏では)モンスターの息の根を止めたところで幕となる。主人公が財宝もしくは捕らわれの姫君を手に入れてめでたしめでたし、となるのが普通だ。しかし「夜刀の神」の麻多智は山の入口に祠を建てて、モンスターを〈神〉として祀るのだ。

2012-07-02 18:20:27
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QT 「ここより上は神の地となすことをゆるさむ。ここより下は人の田となすべし。今より後、われ、神の祝となりて、とこしえに敬ひ祭らむ。ねがはくは、な祟りそ、な恨みそ」──麻多智『常陸国風土記』「夜刀の神」

2012-07-02 18:24:32
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怪物を追い払った後、山の入り口に祠(ほこら)を建てて「あなたを神として祭ります。どうか祟らないでください」とお願いしているわけだ。「夜刀の神」は典型的な例だけど、似たような説話や神話が日本にはたくさんある。ヤハウェ一神教にはありえない、日本の〈神〉の特徴だ。

2012-07-02 18:31:14
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ヤハウェ一神教が生まれた南西アジアは、もともと豊かな草原が広がる場所だった。麦の野生種が群生し、穂を揺らしていたと思われる。農耕が始まる前から「秋に麦穂を拾い、それを蓄えて定住する」という暮らし方が可能だった。いつしか人々は麦の種を食べずに蒔くようになり、そして農耕が始まった。

2012-07-02 18:35:53
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これはヤハウェ一神教が生まれるよりもはるか昔、石器時代の話だ。農耕を覚えた人々はやがて森を切り開き、麦畑や牧草地へと変えていった。信じがたいことに、当時のレバノンやシリア、イスラエルには豊かな樹林が広がっていたらしい。人々はそれを開墾し、乾いた砂漠へと変えてしまった。

2012-07-02 18:40:03
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荒れ野に囲まれた厳しい自然環境のなかで、人々は規律の行き届いた、社会的な生活をせざるをえなくなった。ジョゼフ・キャンベルはヤハウェ一神教の神話を、砂漠で暮らす人々の社会的で父性的な神話だと評している。自然は(共存ではなく)克服するものであって、神が人の子に与えた試練なのだ。

2012-07-02 18:47:08
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だからこそ楽園から追放された夫婦は、「荒れ野」へと放り出される。/一方、日本の神話や説話では、自然は「共存すべきもの」として描かれる。「夜刀の神」は典型だが、日本のモンスター(=自然の象徴)はヒトの隣人として、山奥(="あちら側"の世界。常世の国?彼岸?)で生き続ける。

2012-07-02 18:51:51
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ここで日本の神話や説話がモンスターとして象徴した「自然」の解釈をもう少し広げてみよう。日本の〈神〉は、災害や疫病を象徴している存在ばかりではない。なぜ受験の直前に中学生が北野天満宮を訪れるのか、なぜ豊かな家には座敷わらしがついているのか。「学業」や「繁栄」は自然現象ではない。

2012-07-02 18:59:04
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小松和彦は「つき」や「もの」という概念で説明しているが、要するに私たち日本人は「自分たちの力で制御できないもの」に〈神〉〈妖怪〉〈もののけ〉といった超常的な存在を仮定してしまうらしい。ついてなかった、つきが回ってきた、つかれたように勉強する、彼はAKB48にとりつかれている……。

2012-07-02 19:04:55
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「憑かれる」という表現はいまでも日常的に使われている。「夜刀の神」に垣間見ることのできる精神性が、いまの日本人にもある程度は継承されているはずだ。それを踏まえたうえで、デモを巡る状況を考えてみたい。なぜデモをする人々がいるのか、なぜデモを批判せずにはいられない人々がいるのか。

2012-07-02 19:10:39
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ほとんどの一般人にとって原子力発電の仕組みは「本で読んだ知識」でしかない。原子核崩壊の実験をしたことのある人は少ないし、本で勉強できる知識すら持たない人がたくさんいる。私たち一般人にとって原子力発電は「専門家だけが仕組みを理解しているもの」であり、平安時代の陰陽道と大差ない。

2012-07-02 19:15:21
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だから原子力発電所について一般人が議論するようになり、「原発」と呼ばれるようになった瞬間に、それは「自分たちの力では制御できないもの」として扱われる。とくに事故を起こしてからは、この傾向が顕著になったように見うけられる。「原発」は、日本的な〈神〉もしくは〈妖怪〉になったのだ。

2012-07-02 19:19:26
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忘れてはいけないのは、日本の説話・神話にも「怪物の息の根を止める」パターンのものがあることだ。モンスターとの共存は日本文化の特徴だが、しかしそれがすべてではない。ヤマタノオロチは首を切り落とされた。

2012-07-02 19:21:21
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したがって「原発」を〈神・妖怪・もののけ〉のようなものだと捉えた場合、それを「討伐しよう」と考える人々と、それを「祀り上げよう」と考える人々とに二分されてしまう。前者はデモを起こしてシュプレヒコールを上げ、後者はデモを許しがたい反社会的行為として糾弾する。

2012-07-02 19:29:30
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以上が「原発(原子力発電所ではない)」についての日本人の信仰・精神性にもとづく考察だ。私に言えるのは「冷静になれ」ということだけだ。日本人が脱原発派と原発容認派に分断されたとき、いちばん得をするのは誰だろう。分断により議論や政策決定が遅滞したときに、いちばん得するのは誰か。

2012-07-02 19:34:43