#教えて麝香先生 他

とりあえずぶちこみーの
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細川の御隠居 @yuusai1534

∥η*・。・)η<ぬー RT @sito_toshimi2: |゚゚)ぬー RT @akc_hide3: 今朝箱からくりで「ふじたかぬー」という単語を見つけ「ぬー!?ぬーとは一体!?」とよくよく見てみたら「ふじた・かぬー」だった。…私は、疲れているのかもしれない…。

2012-06-29 14:27:16
細川の御隠居 @yuusai1534

∥*・_・)<そうですね、きっとぬーだったのだと思います。それか、もーかもしれません。 RT @satouiti: @yuusai1534 幽斎さまはぬーだったのですか?(^*・ω・)

2012-06-29 14:28:58
細川の御隠居 @yuusai1534

∥*・_・)<よくモーモー 言ってますしね。

2012-06-29 14:29:37
細川の御隠居 @yuusai1534

∥・_・)ノシ<こんにちは……

2012-06-29 14:32:19
細川の御隠居 @yuusai1534

 -○○○ヽ(・。・*)<御団子ありますよ…… RT @akc_hide3: 壁|三 ずざーっ

2012-06-29 15:03:45
細川の御隠居 @yuusai1534

きな粉餅を頂いています……。この手合いの菓子を頂く時には、細心の注意が入りますね……。粉が舞います。

2012-06-29 15:17:55
細川の御隠居 @yuusai1534

座敷の所作については一分の隙もなかった三好様を習っていると言われていた夫も、以前、きな粉餅を食べながらうっかり明智さま無双を見てしまい、思いきり鼻から粉吹いてましたしね……。

2012-06-29 15:26:16
細川の御隠居 @yuusai1534

粉が舞ってしまいましたか……、それとも室温の下げすぎ……? RT @satouiti: @yuusai1534 へぷちっ!(^*>ω<).'・

2012-06-29 15:27:05
細川の御隠居 @yuusai1534

今年も引き続き、節電の夏と言われています。心頭滅却すれば火もまた涼し、とは言いますが、あまり無理はなさいませんよう……。

2012-06-29 15:28:16
細川の御隠居 @yuusai1534

体の熱を持ちやすいポイントを押さえて、その患部を冷やすだけでだいぶ違います。

2012-06-29 15:29:09
細川の御隠居 @yuusai1534

あとはせめて、気分だけでも涼しくなっていただきたく……、

2012-06-29 15:29:38
@m2i046

こんにちは。先日中途半端になってもうた秀清の話でも

2012-06-29 17:18:33
@m2i046

いうてほとんど話しとらんな。秀清はよく物語なんぞで大坂屋敷の折り、老臣やなんやと描かれるが、……まあ生年には諸説あって不明とするんが大概やが、一応1547年説がある。私の三つ上やな、関ヶ原合戦のときで五十三。そう老臣老臣と連呼するほどのもんでもない。

2012-06-29 17:21:13
細川の御隠居 @yuusai1534

@AKC55_analog ∥*・_・)<きよしのずんどこ節だそうです。

2012-06-29 17:25:00
@m2i046

秀清が玉さまの介錯をしたゆえ、秀清の名が目立つが……秀清より河北……河喜多とも書かれるが、河北無世のほうが随分と老臣やな。河北は玉さまの輿入れとともに細川に従った、元は明智の者や。

2012-06-29 17:26:11
@m2i046

秀清の父である稙清どのが元幕臣で、義輝さまの近習やった話はしたな。秀清も義輝さまに仕えとった。永禄の変で稙清どのを喪ってから、藤孝さまに拾われて五百石。最初は客分やった。私と一緒やね

2012-06-29 17:28:17
@m2i046

少斎いうんは号でな、剃髪して少斎と号したんは藤孝さまと同年の本能寺のおり……天正十年(1582)とも、文禄五年(慶長元年/1596)とも言われとる。

2012-06-29 17:31:08
@m2i046

秀清の話とはちとずれるが、天正十年に剃髪したんは細川にはわりとおる。藤孝さまに倣ったいう形やな。立行の父である立言どのもそうやし、是政の父である求政どのもそうや。まあ、立言さまは譜代でよわっとった時期やったし、求政どのも藤孝さまとは同年代でずっとともにおったからな。

2012-06-29 17:32:51
@m2i046

「譜代でよわっとった」って、変な表現してもうたな。「譜代やし、体がよわとった」な。

2012-06-29 17:33:18
@m2i046

武家故実に明るい、いう話は幽斎さまがされとったな。これは小笠原が弓馬師範を勤める家柄やったからで……秀清もその流れに倣って、武家故実に通じとった。蜷川家文書には秀清の口伝を書写した「射禮私記」が残っとる。

2012-06-29 17:37:55
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