デュルケム『自殺論』まとめ

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H.Takano @midwhite

しばらく前から、社会学が流行の学問となっている。この新しい科学の使命は増大し、それに対するある好意的な偏見が広まっている。寄せられている期待は大きい。しかし生憎、社会学はそれに応えられていない。それは社会学が、対象を明確に限定していないからだ。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-29 13:59:30
H.Takano @midwhite

社会学は未だに建設の段階と哲学的総合の段階をこえていない。社会的領域のある限定された部分に光をあてることに努めるよりも、好んでありとあらゆる問題に手を広げ、絢爛たる一般論を展開し、何ひとつ問題をはっきり限定して扱おうとしないのである。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-29 14:01:41
H.Takano @midwhite

このような方法は、いわばあらゆる種類の主題に照明を投げかけることによって、確かに多少は世人の好奇心を紛らわすことができるかもしれないが、なんら客観的なものに到達することはできまい。簡単な検討や軽率な直観が複雑な現実の法則を見いだすことはない。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-29 14:04:29
H.Takano @midwhite

自殺の定義として次のように述べることができよう。死が、当人自身によって為された積極的、消極的な行為から直接、間接に生じる結果であり、しかも、当人がその結果の生じうることを予知していた場合を、すべて自殺と名付ける。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-29 14:38:49
H.Takano @midwhite

精神病者の男女比は男子45に対して女子55ほどだが、自殺者の男女比は男子が女子の4倍にも上る。またユダヤ教徒千人あたりの精神病者数はプロテスタント、カトリックに比べてどの国でも高いが、自殺者数は最も低い。自殺は精神病理的状態と反比例する。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-29 15:56:33
H.Takano @midwhite

一般に自殺は知識の発達に合わせて増大する。この2つは同じ原因が別々の形で反映した結果である。即ち、人々が知識を学んだり自殺を図ったりするのは、彼らの属している宗教社会が凝集力を失ってしまったからである。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-30 20:19:53
H.Takano @midwhite

ひとたび確立された信仰が崩れ去ってしまうと、もはやそれを人為的に再建することはできない。残されるのはただ、生活の中で我々を導いてくれる反省作用だけとなる。人々の唯一の案内人は知性だけとなり、人はこれによって意識の再建を図らなければならない。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-30 20:39:39
H.Takano @midwhite

一般に宗教が自殺に対して抑止作用を及ぼす理由は、それが世俗道徳よりも仮借なく自殺を非難するからでも、神による自殺の禁止がその絶大な権威によって自殺の意志を挫くからでもない。宗教が人々を自己破壊欲求から守るのは、宗教がひとつの社会だからである。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-30 20:45:17
H.Takano @midwhite

その社会を構成しているのが、全ての信者に共通の、伝統的な一定の信仰と儀礼の存在に他ならない。そのような集合的状態が多ければ多いほど、また強ければ強いほど、宗教的共同体は緊密に統合されていて、それだけ自殺を抑止する力も強いことになる。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-30 20:48:26
H.Takano @midwhite

極端な早婚は自殺を促進する。これは特に男子の場合に著しい。ちなみにごく若い既婚男女の死亡率は、同年齢の未婚男女の死亡率より遥かに高いことが知られている。また20歳を超えると男女ともに既婚者が未婚者よりも自殺率が低くなるが、国によって男女差がある。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-30 21:37:18
H.Takano @midwhite

自殺は宗教社会の統合の強さに反比例して増減することと同様、家族社会や政治社会の統合の強さに反比例して増減する。即ち、「宗教」「家族」「政治」の性質が自殺を抑制するのではなく、それらが形成する「社会」が持つより根本的な性質が自殺を抑制しているのだ。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-30 22:42:39
H.Takano @midwhite

社会集団の統合が弱まると、社会的自我に逆らい個人的自我が過度に主張されるため、個人に特有の目的が専ら共同の目的に優越する。それを自己本位主義として良ければ、常軌を逸した個人化から生じるこの特殊なタイプの自殺を「自己本位的自殺」と呼ぶことができる。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-06-30 22:50:02
H.Takano @midwhite

自殺は個人の外部にある力に規定されている。その力は社会的な力の他にはあり得ず、その実在性は承認されなければならない。筆者は社会的事実は客観的なものである、というこの基本的な命題を『社会学的方法の規準』で証明し、社会学的方法の原理と見なしている。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-07-01 22:20:08
H.Takano @midwhite

逆に社会集団の統合が過度に強く、個人の自我が不自由であるために、個人の行為の基軸が自我の外部たる所属集団に置かれている状態を、集団本位主義と呼ぼう。そこで宗教その他の観念によって義務的に課される自殺を集団本位自殺と呼ぶ。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-07-01 22:20:23
H.Takano @midwhite

個人が自然の力に比べていかに劣っているか教えてくれたのは科学である。そもそも神とは、社会の実体化された形態に他ならず、宗教とは要するに、社会が自らを意識するための体系であり、集合的な存在の思惟様式である。(デュルケム『自殺論』1985)

2012-07-01 23:36:46
H.Takano @midwhite

【読了】『自殺論 (中公文庫)』デュルケーム ☆3 http://t.co/xcTJ9C65 #booklog

2012-07-02 13:37:12