【一夜漬け用】試験に出る仏像リスト

絶対に外せない仏像をリストアップしました。 通勤通学の際に御覧ください!
9
仏像紹介BOT @butsuzobot

飛鳥寺釈迦如来像(飛鳥大仏):蘇我馬子が建立した飛鳥寺の本尊で、鞍作鳥作の現存最古の仏像。後世の補修も多く、当時のまま伝わるのは、顔の一部と左耳、右手の中央の指3本のみである。北魏様式。http://t.co/6zE9p4MD

2012-06-25 22:00:13
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

法隆寺金堂釈迦三尊像:光背の銘文に、聖徳太子の死後、冥福を祈って一族が発願し、鞍作鳥に作らせたと記されている。北魏様式の代表的な仏像。http://t.co/ynrHHGVD

2012-06-25 23:00:00
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

法隆寺夢殿救世観音像:法隆寺夢殿の本尊で、聖徳太子の等身大像とされ、長年秘仏とされてきた。しかし、1884年にフェノロサと岡倉天心によって、何重にもおおわれていた白布がのぞかれた。保存状態が極めて良い北魏様式の仏像。http://t.co/12Uy3cTQ

2012-06-26 00:00:23
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

法隆寺百済観音像:百済(朝鮮半島に存在した国名)という名称を冠しているが、朝鮮半島ではクスノキは用材として使用しないため、日本で作られたものとみられる。左手の水瓶はヒノキで作られたもの。丸みの帯びた体躯が特徴的な、南朝様式の作品。http://t.co/Ep4JGyiX

2012-06-26 08:24:30
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

中宮寺半跏思惟像:片足をもう一方の足の上に乗せて台座に座る体勢を、半跏という。中宮寺では如意輪観音菩薩と伝えるが、実際は修行中の弥勒菩薩の姿を現す。南朝様式の仏像。http://t.co/9jJZbbmD

2012-06-26 10:59:58
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

広隆寺半跏思惟像:アカマツの一木造で、アカマツ材の木造は朝鮮半島に多い。秦河勝が聖徳太子からこの像と思しき朝鮮伝来の仏像を与えられ、広隆寺を創建したとされる。南朝様式の仏像。http://t.co/Q4DdVAZe

2012-06-26 11:59:58
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

興福寺仏頭:もとは山田寺の薬師三尊像の中尊であった。鎌倉時代に山田寺から奪われ、興福寺東金堂の本尊とされた。1411年の火災で頭部以外が焼失し、現本尊の台座下に安置されたが、1937年の改修中に発見された。http://t.co/J6vku2GV

2012-06-26 20:00:20
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

薬師寺金堂薬師三尊像:本尊の薬師如来を中央に、脇侍として右に日光菩薩・左に月光菩薩を配する。造像時期は、藤原京の薬師寺から移したか、平城京で新造されたかで学説が二分する。http://t.co/iGCnkmk0

2012-06-26 20:59:45
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

東大寺法華堂執金剛神像:法華堂の鬼門の守り神である。写実的な憤怒の表情や、邪悪な者を打ち据えようという力感あふれる表現など、天平彫刻の特色がよく表れている。秘仏であったがため、製作時の色合いが残っている。天平文化の代表作。http://t.co/y8CHQwtn

2012-06-27 10:59:55
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

唐招提寺鑑真像:『唐大和上東征伝』によれば、763年、76歳で死去する直前に弟子たちによって作られたものとされる。数々の困難を克服して渡日を果たした鑑真の不屈の精神を感じ取ることができる天平文化の傑作。http://t.co/SxRzv6n9

2012-06-27 18:00:01
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

興福寺八部衆・阿修羅像:八部衆とは、仏の眷属として仏法守護の役目を与えられた印度古来の神々を指す。通常武装した姿で作られるが、阿修羅のみ三面六臂で上半身裸である。 帝釈天と戦争をするが、常に負ける存在。この戦いの場を修羅場と呼ぶ。http://t.co/NHlhBxXn

2012-06-27 22:00:09
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

興福寺八部衆・五部浄像:像の冠をかぶる頭部と上半身の一部が残る。正面を見つめる少年のような表情が印象深い。http://t.co/kgraVTTA

2012-06-27 23:00:05
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

神護寺薬師如来立像:神護寺は、孝謙天皇の寵愛を受けた道鏡の即位を阻止した和気清麻呂が建立した寺。この如来像は道鏡を封じ込めた仏像とされ、不均衡な顔立ちが怪僧のもがき苦しむ姿を表すという説がある。http://t.co/4Qcq8C3S

2012-06-28 20:59:42
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

新薬師寺木造薬師如来像:一般の仏像に比べ眼が大きいのが特徴で、聖武天皇が光明皇后の眼病平癒を祈願して新薬師寺を創建したとの伝承も、この像の眼の大きさと関連づけられている。しかし、実際に制作されたのは平安初期であると考えられる。http://t.co/Zc3J1Ks2

2012-06-28 23:00:03
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

東寺不動明王座像:不動明王とは悪魔を降伏させるために恐ろしい姿をされ、すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わない者を 無理矢理にでも導き救済するという目的を持っている真言宗の教主「大日如来」の使者。http://t.co/1LKRUcP8

2012-06-29 16:00:05
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

蓮華王院千手観音像:蓮華王院は1164年に後白河法皇を願主に、平清盛が造営。本堂(三十三間堂)には千手観音坐像と千体の千手観音立像があったが、殆どが1249年に火災で焼失。1254年に運慶の子、湛慶により坐像が造立された。http://t.co/OhReZnWs

2012-06-30 16:59:54
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

中尊寺金色堂阿弥陀如来像:中央の須弥壇の中には、奥州藤原家、清衡・基衡・秀衡の遺体と泰衡公の首級が納められている。壇上の阿弥陀如来像は定朝様で、定朝から3代目の円勢などの円派仏師の作風に通ずる。http://t.co/xQpBATfg

2012-06-30 20:00:23
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

臼杵磨崖仏:大日如来を中心に、凝灰岩にきざまれた62体の石仏群で、日本最大規模を誇る。大部分は平安時代後期につくられた。http://t.co/S9GYD3DD

2012-06-30 21:59:58
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

六波羅蜜寺平清盛坐像:武士として初めての太政大臣に上り詰めた平清盛の坐像。経巻を手にしたその風姿は平家物語に描かれている清盛の傲慢さは全くなく、仏者としての気品を覚える。目には水晶が入っている。http://t.co/NbBscm5H

2012-07-01 08:59:39
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

六波羅蜜寺空也上人像:運慶の子康勝の作で、鹿角の杖をつき、鹿革をまとい、手に撞木を携え胸に鐘を抱いている。この像は念仏を唱え市中を巡る姿を表しており、唱えた念仏が口元の6体の阿弥陀仏になったという伝承にしたがっている。http://t.co/Coz8IkSv

2012-07-01 10:00:07
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

東大寺南大門 金剛力士像:重源の東大寺復興事業の一環として再建された。阿形(あ)・吽形(うん)があり、運慶・快慶・定覚・湛慶の慶派一門により、1203年に69日で制作された寄木造の傑作。http://t.co/yap9ynal

2012-07-01 20:00:11
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

東大寺僧形八幡神像:重源の依頼で、快慶が制作した。東大寺鎮守八幡宮の神体で、写実的な鎌倉彫刻。http://t.co/5QnykLgh

2012-07-01 20:59:43
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

東大寺重源上人像:東大寺俊乗堂の本尊で、1180年の平重衡による南都焼き討ちから東大寺復興造営にあたった大勧進俊乗房重源の肖像彫刻。重源に多くの造仏を依頼された慶派により、重源の死後、間をおかずに制作された。http://t.co/8OqduHi5

2012-07-01 22:00:01
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

興福寺無著・世親像:5世紀頃、北西インド・ガンダーラに生まれ、法相教学を確立した無著・世親兄弟の写実性の高い立像。http://t.co/0p6m85oe

2012-07-01 22:59:59
拡大
仏像紹介BOT @butsuzobot

高徳院阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏):鎌倉の大仏として知られる本像は、『吾妻鏡』に1252年造立の記事がある。礎石跡の残る大仏殿は15世紀末の明応地震(推定マグニチュード8.6)で生じた津波で流失した。http://t.co/k0LsU6EY

2012-07-02 14:00:20
拡大