大江広元のプチ京都紀行

幕府の政所初代別当にして父上のブレーン、大江広元。 彼が所用で上洛した際に百人一首ゆかりの地をいくつか巡ってきてもらいました。
近畿 百人一首 京都
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Togetterにまとめる前にアイコンを変更してしまったため、私(実朝)が語っているかのようになっているが、京に行ってきたのはあくまで広元↓です。

源実朝 @m_sanetomo
突然ですが皆様こんにちは、政所別当を務めております大江広元と申します。私事ですが先日上洛して参りましたので、将軍家の許可を得て簡単なレポなどしたいと思います。少々連投になりますがご了承下さい。
源実朝 @m_sanetomo
まず嵐山に足を運びました。ここはいつ来ても観光客が多いですね。http://t.co/8llYiuLM http://t.co/fIu3pFoK
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源実朝 @m_sanetomo
渡月橋を渡り少し西に行った所にある小督塚です。尼にさせられた後、この地に隠棲していたとの事です。彼女の話は大河でやるのでしょうかね。http://t.co/fElcVDVd http://t.co/o9IQ4xLB
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小督(1157~?)藤原成範(信西入道の三男)の娘。
高倉天皇に女房として仕え、天皇の寵愛を一身に受けて皇女を儲けた。
しかし中宮の父である平清盛に憎まれ、清閑寺で出家させられたと「平家物語」に書かれている。

源実朝 @m_sanetomo
そこからさらに西に5分ほど歩きますと、百人一首をテーマにした博物館・時雨殿がございます。外観の写真をうっかり撮り忘れておりましたので、公式サイトの方で御覧下さい。http://t.co/QxCqbDhh
源実朝 @m_sanetomo
展示内容は歌仙人形や各種かるた、歌会の様子を再現したジオラマなどがございます。こちらは天徳4年(960)に催された、天徳内裏歌合の場面だそうです。あと天竜寺の宝物などもありました。http://t.co/yj0XyxRW http://t.co/FAmMmOtz
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天徳内裏歌合・・・天徳4年3月30日、村上天皇によって実施された内裏歌合。
作者には当代一流の歌人が名を連ね,規模の大きさや華麗さから後世の歌合の模範とされた。
平兼盛と壬生忠見の有名な勝負(判者が優劣を付けられず、帝が吟じた呟きにより兼盛の勝ちとした)は、この時の逸話である。

源実朝 @m_sanetomo
…正直申しまして想像していたよりもスペースが狭かったのですが、2階の「平安装束体験コーナー」は無料で十二単や狩衣などの着付けが楽しめますので、装束クラスタの方にはお得ではないかと思います。
ちくわぶ大樹公 @kirokuro_mk2
敦忠朝臣のリア充全開の詩歌がまぶしすぎますね。 RT @m_sanetomo そこからさらに西に5分ほど歩きますと、百人一首をテーマにした博物館・時雨殿がございます。外観の写真をうっかり撮り忘れておりましたので、公式サイトの方で御覧下さい。http://t.co/Q9WQaWej
源実朝 @m_sanetomo
@kirokuro_mk2 家柄も容姿も才能も優れていた方ですからね、羨ましいです(溜息)

藤原敦忠(906~943)左大臣藤原時平の三男。
母の在原棟梁女は「今昔物語」「少将滋幹の母」等に登場する北の方のモデルと言われている。
管弦の名手と謳われ、また美しい容貌も有名で多くの女性と浮名を流した。
百人一首では43番に入選。

源実朝 @m_sanetomo
こちらは亀山公園の中にある、後嵯峨帝・亀山帝・後伏見帝の火葬塚です。火葬塚とは火葬が行われた場所に設けられたもので、正式な陵は別にございます。http://t.co/KiEqpqkN http://t.co/Y9ONTW1R
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後嵯峨天皇(1220~1272)第88代天皇。
土御門天皇の皇子。承久の乱による父院の配流で、若い頃は日陰の生活を強いられたが、幕府の強い後押を受け即位。

亀山天皇(1249~1305)第90代天皇。
後嵯峨天皇の第七皇子。大覚寺統(後の南朝)の初代。

後伏見天皇(1288~1336)第93代天皇。
鎌倉幕府滅亡の際、弟の花園院と息子の光厳天皇と共に東国へ逃れようとするも、捕えられて出家した。

源実朝 @m_sanetomo
話は前後しますが、嵐山一帯には百人一首の歌碑が各所に建てられておりますので、いくつか紹介しますね。まずは阿倍仲麻呂の歌。http://t.co/7e5udlHu http://t.co/MoJtHBkx
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阿倍仲麻呂(698~770)奈良時代の遣唐留学生。
唐の朝廷において高官に上り、李白や王維らの詩人とも交遊をもつ。
日本に戻るため乗った船が難破し帰国を果たせず、そのまま唐で没した。
百人一首では7番に入選。

紀貫之(866?~945)平安時代前期の歌人。
最初の勅撰集である「古今和歌集」の代表的撰者で、仮名序を執筆。
また最古の日記文学と呼ばれる「土佐日記」の作者としても有名。
百人一首では35番に入選。

源実朝 @m_sanetomo
某漫画で大人気な、陽成院の歌碑です。http://t.co/nTc1MRLp http://t.co/nfS4yh4p
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陽成天皇(868~949)第57代天皇。
9歳で父の清和天皇を継いで即位するが、暴君の風評が高まり8年後に退位。
母方の伯父である摂政・藤原基経との仲が険悪であった影響という説もある。
百人一首では13番に入選。

源実朝 @m_sanetomo
権中納言匡房こと大江匡房、私の曾祖父でございます。http://t.co/ShCCY8Yq http://t.co/QkvlQ6Z2
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大江匡房(1041~1111)平安時代後期の学者。
「栄花物語」の作者と伝えられる赤染衛門は曾祖母にあたる。
幼少期から学才高く、歴代の東宮・天皇の学士や侍読を歴任し、「近古の名臣」と讃えられた。
百人一首では73番に入選。

*広元の出自については実は諸説あるのだが、説明すると長くなるので興味ある人は各自で調べて下さい。

源実朝 @m_sanetomo
我らが将軍家の歌碑です。野宮神社から少し離れた所の空き地に建っていました。http://t.co/Zmpm32IC http://t.co/9eYHk6UI
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源実朝 @m_sanetomo
こちらは藤原定家卿の歌碑です。揮毫されたのは現冷泉家当主の方だそうですよ。http://t.co/CFe7k6Ty
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藤原定家(1162~1241)鎌倉時代初期の歌人。
「新古今和歌集」「小倉百人一首」の撰者にして当時の歌壇の第一人者。
父・俊成から受け継いだ、御子左家の歌道の伝統を確立させた。
百人一首では97番に入選。

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