- cucamber_milk
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当時、末っ子は2歳。家に子供を残して離れた場所で店舗を借りて商売を始めました。父親がろくに仕事をしないので、生活のために始めたのです。
2010-07-04 00:32:51当時姉小4、わたし小2で、そのころから店の手伝いをずっと続けてきました。「焼肉屋さんだったらもう肉は飽きたでしょう?」とよく言われたけれど、切り落とした端っこばかりで、お客さんに出すようなきれいな肉は食べさせてもらったことがなく、食べたいな~と思いながらお客さんに運んでいました。
2010-07-04 00:36:44母は「女は教育受けなくていい」という封建思想の祖父の考えで、小学校しか卒業していません。ずっとそれがコンプレックスで、人前で字を書くのがとても恥ずかしいとずっと言っていました。実際はわたしよりずっときれいな字を書くのですが。
2010-07-04 00:39:42学校に行きたくてもいけなかった母は、4人の子供たちに「生活が苦しくても上の学校に行きたかったら絶対に行かせてあげるからね」とずっと言ってくれました。実際に、きょうだい4人はそれぞれ、短大や専門学校、大学へ進みました。
2010-07-04 00:42:44子供が独立し家庭を持ち孫も9人生まれました。ただみなそれぞれの生活に精いっぱいでなかなか親の面倒までは見ることができません。外国籍で自営業だった母は公的年金を受けられなかった世代なので、いくつになっても生活費を自分で稼がねばなりません。子供が独立しても焼肉屋を続けていました。
2010-07-04 00:45:30「いつまでお店するの?」と聞くと「自分の食べる分と店の家賃分は稼がないといけないからね」と言って、なかなかお店を閉める踏ん切りがつかないようでしたが、70歳の誕生日を前に「70になってもまだお店する?」と聞くとちょっと迷っているような表情でした。
2010-07-04 00:50:28そこで「70歳になったらなにがしたい?」と聞いてみたところ、「中学校に行きたい」と答えました。ずっとずっと胸にしまっていた思いだったのです。
2010-07-04 00:51:37店は大幅に営業日を縮小し、週末だけの営業にしたのです。母の行動力にはびっくりしました。平日夜は中学生、週末は焼肉屋のおかみです。
2010-07-04 00:53:46そんな二足のわらじをはいていた母ですが、年末からここ数カ月、冷蔵庫やガス湯沸かし器など、営業に不可欠な備品が次々故障したのをきっかけにとうとう店を辞める決心をしたのです。
2010-07-04 00:56:10わたしは専門学校の入試面接で「尊敬する人は?」ときかれた時、「母です」と答えました。当時そういう答えはめずらしかったようで、面接官は怪訝な顔をしていました。一緒に受けた隣の人は「マザーテレサ」だったのを覚えています。
2010-07-04 01:00:51わたしも親になりましたが、自分の母を絶対に越えることはできないと思います。学が無いからと卑下していた母ですが、誰にこびることも無く、胸を張って筋を通して生きてきました。人として誰に対しても公平で言うべきことはきちんを言い、また、常に自分のことより子供のことを考えてくれた人です。
2010-07-04 01:09:30オモニはどれだけの人々にオモニと呼ばれたことか。母ちゃん!と慕う人は国籍を意識していなかったのではないだろうか。RT @pukkochu: オモニ、39年間、本当にお疲れ様でした。これからは子供たちを頼って甘えてくださいね。
2010-07-04 01:25:34@pukkochu お母様のことを読ませて頂きました。簡単に感想を書けないほど、歴史と気持ちの重みが伝わってきました。お母様から他人に対する公平な心と真摯な姿勢が伝わっていたんですね。
2010-07-04 01:27:41@pukkochu 수고하셨습니다...数年前に亡くなった一世の祖母のことを思い出しながらツイートを拝見しました。私の祖母も若いころは神戸で焼き肉店をしていたんですヨ。
2010-07-04 01:34:25@KASE551 読んでくださってありがとうございます。でもこういう親の苦労はけっしてうちだけじゃなかったと、当時の在日の暮らしの難しさはあちこちで共通だったということも忘れていません。
2010-07-04 02:10:08@yongsugi コマッスムニダ。できれば「捨てる」ことなく未来が手に入るのがいいですよね。当時の在日の生活の厳しさについて、親は語ることもしないということがほとんどなのかも知れませんね。
2010-07-04 02:12:18@1042police ありがとうございます。本当にまっすぐな人なので、たくさんの人に愛されてきました。憎まれたりうとまれたりということは決してなかったと思います。閉店前の一週間は、それを知った常連さんで連日満席だったそうです。たくさんの人に「お母ちゃん」と呼ばれています。
2010-07-04 02:14:17