渡邊芳之先生ynabe39の「通常は「いじめも学校秩序の一部」だからですよね。 」

数日前までいじめられてる時は先生からも「お前が生意気だから」だと言われてまったく助けてもらえなかったのに,いじめる方になって怪我をさせたら「やっぱりとんでもないやつだ」「○○君とお父さんに土下座して謝れ」ということになるわけです。by 渡邊芳之
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五日前

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「学校はなんの目的で生徒のどのような権利をどこまで制限できるのか」をきちんと議論すべき。」 「いじめ自殺」が「殺人」とされないのも学校が「教育の目的で生徒の人権を制限する」ためになし崩し的に「外の法律の適用されない場」になっていることの結果。こういうことをなくすためにも「学校はなんの目的で生徒のどのような権利をどこまで制限できるのか」をきちんと議論すべき。 学校が「治外法権」になっているのは学校が機能するためには法律が保証するような生徒の人権をある程度制限しなければならないからだが,そのことが教師や生徒の不法行為も容認するように働いてしまっているのが問題なのだと思う。by 渡邊芳之 7439 pv 54 7 users 2

四日前

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「いじめは「指導」 道徳は「同意され正当化されたいじめ」ですからね。」 「心のノート」(小中学校の道徳の副読本)を見れば「どういう人をいじめたらよいのか」のヒントがいっぱい書かれていますよ。by 渡邊芳之 60051 pv 674 264 users 55

三日前

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「学校は命をかけて行くようなところではない。」 そんなことは誰でもわかっているはずで,だから病気になればみんな学校を休むし,それを先生が責めたりは(ふつうは)しない。しかし「いじめられるから学校を休む」ことはなぜか認められにくい。 怖いのはその「学校には行かなくてはならない」という価値観あるいは道徳が「いじめられている子」にも共有されていることだ。行けばつらいし行ったら生きられないのにがんばって行って,そして死んでしまう。 「いじめをなくす」ために行われることが「いじめそのもの」になるのも学校。by 渡邊芳之 5226 pv 11 2 users 2

二日前

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「正しいことを貫くよりも生きることのほうが優先。」 「正しいことをして死ぬ」のと「間違っていても生き残る」のでは後者のほうがいい、というのが私の言っていること。 「正しいものは救われ悪いものは報いを受けるべき」という「世界観」と「いまある個別の問題への対処や解決」を切り離して考えないといけない時があります。「自分は悪くないのだから逃げも隠れもする必要はない」といって死んでしまったらなんの意味もない。 たとえば無差別殺人みたいなものでむこうから刃物を持った男がこっちに走ってくるのに「自分は悪くないから逃げる必要はない」と思うでしょうか。「それとは話が違う」としたら,どこがどう違うのでしょうか。by 渡邊芳之 4870 pv 10 3 users 1

一日前

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「まず自分の子どもに「逃げずに死ぬより逃げて生きるほうがいい」「逃げろ逃げろ,どんどん.. 「逃げたら社会的に終わりだ」という人がたくさんいるということが「逃げた人を社会的に終わりにしている」んじゃないのか。「そんなことは社会で受け入れられない」という人こそが「それを受け入れない社会そのもの」なんだよね。by 渡邊芳之 4190 pv 8

渡邊芳之 @ynabe39

「○○だといじめられるから気をつけて」とか親切そうに言う人が「いじめる人」だったりするのが世の中のしくみ。

2012-07-09 07:50:33
渡邊芳之 @ynabe39

学級委員長にいじめられてツッパリに助けられる。

2012-07-09 07:53:28
沼崎一郎 @Ichy_Numa

「○○だったらいじめるよ」と言ってる訳だからね。 RT @ynabe39: 「○○だといじめられるから気をつけて」とか親切そうに言う人が「いじめる人」だったりするのが世の中のしくみ。

2012-07-09 07:53:51
沼崎一郎 @Ichy_Numa

その逆は滅多になさそうw。 RT @ynabe39: 学級委員長にいじめられてツッパリに助けられる。

2012-07-09 07:54:58
渡邊芳之 @ynabe39

その人ですよ「○○ってツイッターで変なことばっかり書いてるんだよ」と言いふらしているのは。 RT @Lisa__Lisa__: 「ツイッターであんまり変なことばっかり書いてると評判落とすよ」って忠告されたことがありますw

2012-07-09 12:05:41
渡邊芳之 @ynabe39

内藤朝雄さんの提唱する「いじめ解決法」が多くの人に非現実的に見えるのは、内藤さんがいじめをなくすために廃止しようとしているものが、社会にとっては「よいものを生み出す必要なもの」だからである。

2012-07-09 12:29:45
渡邊芳之 @ynabe39

彼の言っていることは例えてみれば「交通事故をなくすために自動車を廃止しろ」「アルコール依存をなくすために酒を禁止しろ」というのと同じことなのだ。

2012-07-09 12:31:36
渡邊芳之 @ynabe39

われわれはむしろ内藤さんの著作によって「いじめを生み出しているのはわれわれの望ましい社会を作っているシステムそのものなのだ」ということに気づいて戦慄するのだ。

2012-07-09 12:33:16
渡邊芳之 @ynabe39

大げさな表現ですw。 RT @jai_an: 大げさ。 RT @ynabe39: われわれはむしろ内藤さんの著作によって「いじめを生み出しているのはわれわれの望ましい社会を作っているシステムそのものなのだ」ということに気づいて戦慄するのだ。

2012-07-09 13:32:13
渡邊芳之 @ynabe39

いじめられっ子がひとたびいじめる側に回ると際限なくやっちゃうし、もともと大人に嫌われやすいタイプだから先生も見逃してくれない。自分の体験です。

2012-07-09 13:52:30
渡邊芳之 @ynabe39

「当たり前で誰でもわかっていること」の解決策が「文科省の役人もずっと言っているような当たり前の教育改革」だというのは理屈は通っている。ではなぜずっと解決されないのか。

2012-07-09 13:56:57
渡邊芳之 @ynabe39

自動車をなくせば交通事故がなくなることも誰でもわかっている当たり前のことだ。しかし自動車はなくならない。

2012-07-09 14:04:09
渡邊芳之 @ynabe39

いいえ,いじめられる「われわれ」も別の場所では同じ社会システムの恩恵を受けています。 RT @sayori27: 先生のおっしゃる「われわれ」にはいじめられるような子供や弱い者は排斥されてるのではないですか?

2012-07-09 14:24:41
渡邊芳之 @ynabe39

際限なくやった「結果」で先生が初めていじめに気づいたからです。レンガを投げつけて何針も縫う怪我をさせたんですけどね。 RT @123_euglena: 見逃してくれないのに、際限なくやれちゃったところがわかりません。

2012-07-09 14:27:38
渡邊芳之 @ynabe39

生物の「個体性」も(外部から)「別の個体と区別されること」であって内発的ななにかではないわなあ。

2012-07-09 14:28:59
渡邊芳之 @ynabe39

だから大怪我になったんです。 RT @kirasaki_kotori: 際限なくでどこまでですか?際限なくやられて大怪我になったらどうするんですか!?

2012-07-09 14:30:33
渡邊芳之 @ynabe39

数日前までいじめられてる時は先生からも「お前が生意気だから」だと言われてまったく助けてもらえなかったのに,いじめる方になって怪我をさせたら「やっぱりとんでもないやつだ」「○○君とお父さんに土下座して謝れ」ということになるわけです。

2012-07-09 14:32:25
渡邊芳之 @ynabe39

私に文句をいってこられる方々の圧倒的多数は私よりずっと良心的で,なにか心温まる価値のあるなにかを信じておられる。言葉はどんなに汚かったり偽悪的であっても本質的には純真な方々だ。私の考えはそういう純真さとはうまく折り合わないのだと思う。

2012-07-09 14:39:52
渡邊芳之 @ynabe39

通常は「いじめも学校秩序の一部」だからですよね。 RT @tailupper: いじめが良くないのではなくて、暗黙の内にオーケーとされてる範囲を外れてしまう事が糾弾の対象、といったところでしょうか?「学校に迷惑のかからないいじめ」ならば許容されてしまう、といった感じで。

2012-07-09 14:42:00
渡邊芳之 @ynabe39

ということで話は再び「学校は教育の目的のために子どものどの権利をどこまで制限できるのか」「教師は教育のために外の社会では許されないことのうち何をどこまでできるのか」をきちんと議論しよう,というところに戻ります。

2012-07-09 14:47:58

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の子どもには辛くなったら学校はやめてよいと言っている。そのことにどんな弊害があると.. 自分は学ぶことで幸福になった、自分は学ぶことで騙されなくなった、でも他の人は違うかもしれない。そういうイマジネーションを生み出すのも知識の力です。by 渡邊芳之 9345 pv 73 15 users 3

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「いじめられるほうにも原因がある」ということと「いじめられるほうも悪い」ということは「.. さて,その「いじめといじめでないもの」を分ける「本人が悪いか悪くないか」はいったい誰がどうやって決めるのだろう。 刑罰や法的な制裁が「いじめ」といわれないのは「本人が悪いかどうか」を決める基準や手続き,それに対する制裁の内容や方法が厳格に定められおおむね合意されているからだ。 by 渡邊芳之 ※捉え違いをしている方が多そうなので追記 朝から書いているように「被害者側に原因がある場合もある」ということも含んで「いじめの原因は加害者にも被害者にも,また学校などいじめが生じる環境にもある」と思います。しかしそのことと「被害者側にも責任がある」とか「いじめられるほうも悪い」というのは別。 そもそもいじめについて「加害者側に原因がない」なんてことはあり得ないでしょう。たとえそれが「人間すべてが生まれつき持ってい.. 61840 pv 257 159 users 118