民衆知の可能性―「衆愚」とは何か?

自分のための備忘録。暫定的なまとめです。
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あらら @A_laragi

若い学生さんには、高等教育を通じて、ぜひとも年長世代の学者が口にする「おためごかし」や、既得権の維持へのあからさまな意志のようなものを、見抜けるようになって頂きたく。

2012-05-01 11:50:15
あらら @A_laragi

もともと「デモクラシー」というのは、悪口だったわけでして。

2012-05-06 13:02:32
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

@A_laragi 今でもそう思ってる人は多いかと。

2012-05-06 13:06:20
廣田鉄斎 @hirotatessai

独白。common peopleとかordinary peopleという、昔ながらの概念を全否定することはできないだろう。わたしが「ふつうの人びと」「一般市民」と言うとき、エリートでない庶民、テクノクラート(技術官僚だけでなく、学者、専門家をふくむ)でない一般民衆を意味している。

2012-07-07 00:06:39
廣田鉄斎 @hirotatessai

続。つまり、わたしは新旧エリート対民衆という三項図式で歴史をとらえたいわけだ。仏革命も露革命も・・・新旧エリートの交代劇だった。民衆運動はエリートから自立した存在であり、エリート交代劇を後押ししたり、それに利用されたりしてきたが、これまでのところ、自ら権力を握ることはなかった。

2012-07-07 00:20:03
廣田鉄斎 @hirotatessai

続。言うまでもないことだが、民衆の権力こそが民主主義の原義であり本質である。今「民主主義」と僭称されているものは、要するに「エリート支配の体制」であり、よくてもせいぜい多元的エリートの均衡ないし競争のシステムでしかない。民衆の権力という意味での真の民主主義はいかにすれば可能か?

2012-07-07 00:31:33
廣田鉄斎 @hirotatessai

「社会を構築し直す。すでに実例はある」>『世界』8月号(岩波書店)に「スペイン・「怒れる者たち」が創る市民運動」というきわめて示唆的な文章が載っています。日本の社会運動の今後に、示唆するところ大だと思われます。http://t.co/9VxJYL7D

2012-07-07 23:13:06
廣田鉄斎 @hirotatessai

↓東大はそもそもの最初から、富国強兵と国民支配のための管理層の養成機関だった。この本質は今も変わっていない(そこからはみ出る批判的な少数の人間を例外的に排出してはきたけれど)。東大に幻想をもってはいけない。

2012-07-08 09:57:43
廣田鉄斎 @hirotatessai

まあ、大学教員が大学と「学問」に幻想錯覚をもつのは、不可避的なことではあるけれど。自己批判能力――再帰・自省性――を欠いたアカデミシャンがいかに多いことか。

2012-07-08 10:00:57
廣田鉄斎 @hirotatessai

「社会運動は、そのアクションをつうじて、社会全体の再帰性=自省性を増強する」(スティーブン・ブシュラー『先進資本主義における社会運動』2000年)

2012-07-08 10:20:22
廣田鉄斎 @hirotatessai

追加。大学教員が学生や一般人に、大学と「学問」に対する幻想錯覚を「もたせようとする」のは、不可避的なことではあるけれど、それは「儲かりますよ」と言ってデリバティブを売りつけようとするセールスマンとあまり変わらない。

2012-07-08 12:30:20
廣田鉄斎 @hirotatessai

みずからの「立場性」を明確にし、かつ、大学の歴史的・社会的な意義と限界をきっちりふまえたうえで、学問と教育の可能性を論じるべきだな。

2012-07-08 12:35:30
廣田鉄斎 @hirotatessai

自分が幻想錯覚に騙されているのなら、たんなるアホかマヌケだが、わかっていて他人を騙そうとするのは、詐欺師か犯罪者だ。

2012-07-08 12:45:58
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

2.朝日は「参加者の数の差」と題した記事(7.7)で、その差は数え方の違いによるとしている。この参加者数をめぐる釈明記事は朝日の報道者としての衰弱と原発問題をめぐる不可解な姿勢をそのまま示している。われわれは参加者数の大きな懸隔にこそ追及すべき問題があるといっているのだ。

2012-07-09 11:47:24
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

3.一方が抗議の増大を自負するものの数で、他方が抗議を恐れ、抑制しようとするものの数であることは誰にも分かっている。にもかかわらずこの大きな数値の違いは、抗議する市民の無視しえない増大という〈街頭の真実〉を意味している。この真実を伝えないで、何を報道しようとするのか。

2012-07-09 11:54:27
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

4.朝日には真の報道とは何かが分からなくなっているのだろう。一週間前のことだが、鹿児島の阿久根市長であった竹原氏の市政の暴走問題をめぐるインタビュー記事を「民主主義は暴走する」のタイトルを付して掲載している(7.3)。このタイトルを付した真意はどこにあるのか。

2012-07-09 12:01:52
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

5.もし阿久根市長問題から学ぶべきことをいうのなら、「市民は民主主義を学び直した」とすべきであって、「民主主義は暴走する」といった民主主義に対する否定的タイトルであるべきではない。朝日はこの「民主主義は暴走する」といったタイトルで阿久根市長問題以外の何かをいおうとしたのか。

2012-07-09 12:14:02
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

6.もしこのタイトルで橋下大阪市政の暴走を警告しようとするならば、このタイトルですべきではない。それは民主主義の問題ではなく、大衆主義的なファッシズムの問題であることをはっきりというべきである。

2012-07-09 12:19:13
廣田鉄斎 @hirotatessai

子安さん、まだ朝日に何かを期待しているみたいですね。わたしは、まったく期待していない。

2012-07-09 12:23:44
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

7.私は「民主主義は暴走する」のタイトルを見て、私は咄嗟に原発再稼働に抗議する〈民衆の声・デモクラシー〉の拡大に、朝日は誰かの意を体して警告しているのではないかと思った。私のこの類推がそう間違いではないことを、この記事を解説する朝日好きの哲学者国分の文章が証明している。

2012-07-09 12:27:02
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

8.彼は「高度な専門的知識を必要とする分野の事柄が、民意という名の気分で決定されてしまうことについては、これを憂える気持ちもあります」と書いている。高度の専門的知識をもつ科学者・技術者・官僚などにまかせてきた結果が、いまわれわれが体験している〈生命の危機〉ではないのか。

2012-07-09 12:34:11
廣田鉄斎 @hirotatessai

マスメディアに期待をかけるのではなく、対抗メディアを続々と立ち上げ、対抗メディアのネットワークを作り上げるべきだろう。

2012-07-09 12:35:13
廣田鉄斎 @hirotatessai

子安氏いわく「高度の専門的知識をもつ科学者・技術者・官僚などにまかせてきた結果が、いまわれわれが体験している〈生命の危機〉ではないのか」。まさにそのとおり。「高度にみせかけた」というべきだろうが。

2012-07-09 12:36:20
廣田鉄斎 @hirotatessai

「エリート主義、専門家主義、代行主義」こそ、打倒し、乗り超えるべきものだ。民主主義が「多すぎる」などとふざけたことを言う「専門家」連中を相手にせず、人々のパワーで「未完のプロジェクト」たる民主主義を実現すること――民主主義をたたかいとることこそが、わたしたちの課題なのだ。

2012-07-09 12:42:07
廣田鉄斎 @hirotatessai

@Nobukuni_Koyasu まさにそのとおりだと思います。正確には「高度にみせかけた」というべきでしょうが。「エリート主義、専門家主義、代行主義」こそ、乗り超えるべきものです。

2012-07-09 12:48:34