哲学・宗教・科学

h_hirakawaさん達の議論
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@h_hirakawa

ハイデガーの「存在論的差異」とかを一度考察されるといいかも。RT @kikumaco: 科学は世界の仕組みを描くことはできても、世界の意味を教えてはくれませんよ。宗教を馬鹿にしてはいけません RT @o_norimi: だって、物理学(理論物理も宇宙物理学)も数学も生物理学も

2010-01-16 14:01:30
@h_hirakawa

あとこの言葉の意味も考えるといいかも。「世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ。」(ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』,6.44) @kikumaco @o_norimi

2010-01-16 14:03:32
@h_hirakawa

ぼくの座右の銘ですw RT @kikumaco: しまった。今書いてる本は、まさにその話に終始しているのだ。でも、ウィトゲンシュタインの言葉なんて知らなかった世 RT @h_hirakawa: 「世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ。」

2010-01-16 14:09:02
@h_hirakawa

それに関連して昔書いた雑文です。http://tinyurl.com/kprq6h RT @marianna_ave: ふむ。面白い。RT 「世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ。」( @kikumaco @o_norimi

2010-01-16 14:13:06
@h_hirakawa

.@gnsi_ismr 越境することによって境界が(事後的に)「発見」され、その行為が「越境」であったことも発見される、というパターンもあるのでは? いや、まぁ、ただの脊髄反射的レスですが。

2010-01-16 14:22:30
ぱれあな @pollyanna_y

やる夫で学ぶ…は、サイエンスライティングのスタイルとしては正統派の優れたスタイルだと思う。RT @ublftbo やる夫で学ぶ科学哲学、とかあれば。

2010-01-16 14:32:06
@h_hirakawa

「こまけぇこたぁいいんだよ!!」 って感じですかね?RT @pollyanna_y: やる夫で学ぶ…は、サイエンスライティングのスタイルとしては正統派の優れたスタイルだと思う。RT @ublftbo やる夫で学ぶ科学哲学、とかあれば。

2010-01-16 14:38:13
@h_hirakawa

@pollyanna_y おーそれは面白そうなアプローチですね♪

2010-01-16 14:42:54
@h_hirakawa

「リア王」なんかにも出てくる「王と道化」みたいな関係かな。RT @fj_n: @kasoken 役割をそのままにしながら、助手が徹底的に、ハカセをいじくりまわして、知識を聞き出して利用しながら、ちょっとこけにする、とかいうモデルを強く作っちゃえば、うまく逆利用できたりしないかな。

2010-01-16 15:29:44
ぱれあな @pollyanna_y

そうそう! そこがおもしろくなるポイント。RT @kasoken 広い意味で「先生と生徒」で古典的なんだけど、やる夫の場合はその上下関係が明確じゃないところが。サイエンスに関しては特に弟分の「鋭いツッコミ」重要。RT @pollyanna_y: @h_hirakawa

2010-01-16 15:02:22
@h_hirakawa

有難うございます!RT @marianna_ave: 密度が濃い。「居心地の悪さ」、共感 RT @h_hirakawa それに関連して昔書いた雑文です。http://tinyurl.com/kprq6h .. 「世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるというその事実が神秘

2010-01-16 15:59:29
@h_hirakawa

それはある意味ピッタリの組合せかもw RT @marianna_ave: こちらこそ大感謝です!今「ひらめき脳」(茂木健一郎)読みながら、複雑な気分に陥ってます。 http://bit.ly/6Zq8Nr RT 昔書いた雑文 http://tinyurl.com/kprq6h

2010-01-16 16:10:16
@h_hirakawa

それ面白そう。仏教に限らずマトモな宗教には必ずありそうな話だし。RT @fj_n: 昔、仏教(もしくは印哲)でも、「大奇跡」「中奇跡」「小奇跡」(?)みたいな感じで、中村元さんの文を読んだ記憶。RT @h_hirakawa: ぼくの座右の銘RT @kikumaco:

2010-01-16 16:21:20
@h_hirakawa

なるほど!宗教における奇跡論というのは、そういう「似非」に惑わされないためのものでもあるからね。RT @fj_n: 確か、オOムの時なんです。飛ぶ、とか、潜れるとか、小奇跡。小奇跡は、世界が世界として在るという大奇跡の前に、瞬時に滅びる、と。

2010-01-16 16:27:28
@h_hirakawa

科学に「似非科学」があるように、宗教にも「似非宗教」がある。当たり前の話だが。で、どちらも似非との境界線は、「神秘」に対する態度の違い、あるいは「神秘(mystery)」(解きえないもの・語りえないもの)と「謎(riddle)」(解きうるもの・語りうるもの)の区別があるかどうか。

2010-01-16 16:32:34
@h_hirakawa

なるほど!魔境の話は昔聞いたことあります。RT @Clunio: 座禅をある程度深く修行したときの神秘体験を「魔境」といって、禅宗では真の悟りの境地ではないと師が戒めるのだそうですね RT @h_hirakawa: 宗教における奇跡論というのは、そういう「似非」に惑わされないため

2010-01-16 16:36:09
@h_hirakawa

.@Clunio いわゆる「公教(exoterism)」と「密教(esoterism)」の違い、どの宗教にもありますよね。で、前者は一般宗徒向けで後者は相当に特殊な信仰者向けと使い分けるのが本筋なのに、オ○ムとか似非宗教は、後者を一般向けにやってしまうのが大きな誤り。

2010-01-16 17:04:51
@h_hirakawa

まさにそうだったんでしょうねぇ。RT @complex_cat: @h_hirakawa 魔境は割と体験できます。オウムはそれを,あたかも特殊な真理があるように営業的に使いました。素人が瞑想ごっこやると数人に一人は魔境に陥る人間が出てきます。グルがまともならひっぱたいて状態を破る

2010-01-16 17:06:07
@h_hirakawa

ちゃんと求道者として資質があり(魔境とかに囚われずその先に行けるとか)、人生を信仰生活に全部捧げちゃうような特殊な人たちです。RT @o_norimi: @h_hirakawa 相当に特殊な信仰者?

2010-01-16 17:09:07
@h_hirakawa

まさしく。RT @Clunio: .@h_hirakawa 結局、「公教」と「密教」双方の奥義を極めた人間以外が「密教」を生半な一般大衆に解いたら非常に危険なんですよね。脳の元々持っているトリップ機能の暴走に耽溺して制御不能の境地に陥ってしまう。

2010-01-16 17:16:01
@h_hirakawa

オ○ムで思い出すのは91年9月の朝生で「幸○の科○」と対決したやつ。原典まで取寄せて修行してるっていう前者に対して後者が薄っぺらくショボすぎて。「こりゃあ、騙されてオ○ムに入っちゃうやつ増えるだろうなぁ」と危機感を感じた。そしてその3年半後に起きたのが地下鉄サリン事件。悪寒的中。

2010-01-16 17:16:17
@h_hirakawa

そういえば一休上人は、強烈なエロ体験wを、そういう暴走トリップ=魔境トラップを超える修行の一つにしてたような。RT @Clunio: .@h_hirakawa 脳の元々持っているトリップ機能の暴走に耽溺して制御不能の境地に陥ってしまう。

2010-01-16 17:19:36
@h_hirakawa

.@Mochimasa 科学に「似非科学」があるように宗教にも「似非宗教」がある・・どちらも似非との境界線は、「神秘」に対する態度の違い、あるいは「神秘(mystery)」(解きえないもの・語りえないもの)と「謎(riddle)」(解きうるもの・語りうるもの)の区別があるかどうか

2010-01-16 17:24:55
@h_hirakawa

あ、それRT元の後半に書いてました。自己RTこの後します。RT @Mochimasa: 宗教と似非宗教の判別基準は? RT: @K_Tachibana: 似非宗教,なんとなくアレだなというのは連想 RT @h_hirakawa 科学に「似非科学」があるように、宗教にも「似非宗教」

2010-01-16 17:23:04
@h_hirakawa

.@Clunio そこが偉いところでもあったんだけど、所詮は神秘理解が間違ってたから、その「本物感」が却ってヤバイ方向に働いちゃったな、って思いますね。神秘体験をテクノロジーで操作するなんてことまでやって、似非科学かつ似非宗教になっちゃった。

2010-01-16 17:29:49