津島原発建設計画への反対運動

今から45年前、伊方に原発が建設される前に、愛媛県津島町での建設計画がありました。当時の反対運動により建設は中止。その経緯を@bellocaribeさんがつぶやいてくださいました。
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さやか @bellocaribe

伊方原発が出来る前、津島町という小さな町に建設計画がありました。この原発誘致に反対して約20世帯の農家の人々が1年3ヶ月にわたって抵抗運動を展開しました。今から45年も前のこと。

2012-07-09 23:27:22
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話②】津島町での原発立ち入り調査は昭和42年8月25日に強行。この2日前から原発建設に反対する人々は朝6時ごろから2週間の座り込みを開始しました。

2012-07-09 23:38:10
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話③】 四電と県・町の「合同調査団」は人々が座り込み体制を崩さなかったことから、県の機動隊と宇和島署員ら約200名の動員を要請。大浜海岸の沖合いでは巡視艇2隻が警戒する物ものしさだったそうです。

2012-07-09 23:42:39
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話④】 昭和42年8月26日。前日に引き続き調査。反対する人々は農道に座り込んだり、測量機の前にむしろ旗や板を立てかけて阻止行動をとる。主婦ら数十人も参加。この行動にはちまき姿の子ども達も加わった。

2012-07-09 23:48:09
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話⑤】 9月に入りボーリングのための水道管敷設工事が大手建設業者により密かに行われるが、反対派に知られるこことなり、再び抗議行動が開始。この抗議行動の中で重体1名発生。

2012-07-09 23:53:59
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話⑥】 その後も強烈な抗議が繰り返される中、四電と県はボーリング調査を進める。が、昭和43年1月23日に愛媛新聞が「津島の原発、実現困難」と一面で報道。

2012-07-09 23:57:46
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話⑦】 結局、ボーリングの結果を検討した結果、砂岩と礫岩が混じっている断層があるなどとの理由で、原子炉の安全性から不適当とされました。

2012-07-10 00:01:25
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話⑧】 当時、共産党が初めての県議会議席を松山市区で獲得。山下悦良氏が原発の計画段階から反対。 計画の中止後、自民党の幹部議員に「住民の質の問題だったのでは?」と尋ねると「あんな岬にあんたらの仲間がいるとは思わなかった」との答えがかえってきたそうです。

2012-07-10 00:13:17
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話⑨】 津島原発建設計画は県自身が予算を組み推進。この計画に反対する中川県議が計画を追及した際の久松忠武知事の答弁。「世界で原発が70基運転しており、原発は絶対安全だ。偏見に基づく批判は迷惑でございますので、よしていただきたい。」 

2012-07-10 10:14:55
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話⑩】 この知事の発言は物議をかもし、2日後の愛媛新聞が社説で知事の態度を明確に批判。議会では社会党を始め保守系の議員や公明党も加わり、知事答弁ノン取り消しを求めることになりました。

2012-07-10 10:16:32
さやか @bellocaribe

【伊方原発が出来る前の話 画像①】 随分前の写真のデータなので、きれいにアップできずすいません。津島原発強制立ち入り調査に反対して座り込む女性たち。長靴、地下足袋姿。農作業をしながら仲間と交代で抗議していたのでしょうか。 http://t.co/RcJ9HwZe

2012-07-10 10:34:43
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@fuuasumma

これも歴史を知る上で参考に。原発はこうして建てられた…伊方原発の 30年 (1)http://t.co/LVNVnqpL (2)http://t.co/WOCS6JHF (3)http://t.co/0CPPeDlj

2012-07-10 22:47:17
@fuuasumma

津島の後、伊方でどのように原発誘致が進んだかを、http://t.co/WywPQbYK のブログより抜粋していきます。

2012-07-10 23:59:03
@fuuasumma

伊方原発を含め日本の原子力発電はエネルギー需要を満たすために必要だといわれる。その大義を振りかざす国の周りには、利権を求める集団や個人が集まり、権力・金力をふんだんに使って住民から土地と海を奪った。

2012-07-10 22:49:10
@fuuasumma

伊方原発は動きはじめ、そして今も動き続け、裁判も敗訴した。斉間さんが本書で詳細に、ある時は淡々と、ある時は怒りを込めて事実を書き留めているように、行政・議会・司法、そして警察・さらに学者までが一体となった原子力の推進は苛烈であり、住民の力はあまりにも弱い。

2012-07-10 22:49:49
@fuuasumma

刀折れ矢尽きるように、いや住民ははじめから刀も矢も持たず、ある時は警察に弾圧され、ある時はだまされ、ある時は私財を抛ったあげくに倒れていった。

2012-07-10 22:49:55
@fuuasumma

2006年 10月 17日、愛媛県八幡浜市と伊方町を購読エリアとするローカル紙「南海日日新聞」の社主であった斉間満さんが永眠。新しい本として再編集をしたものの、販売の見込みが立たず頓挫。

2012-07-10 22:50:55
@fuuasumma

四国の西の端、九州に向かって細長く豊後水道に突き出た佐田岬半島の中ほど、愛媛県西宇和郡伊方町に原子力発電所の誘致話が表面化したのは1969年7月。

2012-07-10 22:51:26
@fuuasumma

30年前、原発立地の白羽の矢が射たれた場所は、「鳥も通わぬ岬13里」と語られた細長い佐田岬半島の中ほどにあった。ヘアピンカーブが連続した、国道とは名ばかりの狭い道路からそれて山道に入り、瀬戸内海側に越した崖っ淵の海岸。

2012-07-10 22:51:56
@fuuasumma

山の中腹から海岸に向かって、崖沿いに這いつくばるようにして古い家が15戸ほど建っていた。ところが、明らかに人が住んでいるとみられた14戸は、戸口から中に向かって叫んでも応答はなかった。戸は開くが人影もなかった。

2012-07-10 22:52:27
@fuuasumma

やむなく、炉心予定地と見られる民家から300メートルほど離れた海岸へ行こうと雑木林に入ると、そこでやっと畑仕事をしている男女に出会った。

2012-07-10 22:52:30
@fuuasumma

「電力会社の人かと思った」と筆者の姿を見て言った夫婦らしい中年の2人は、ボーリング調査がすでに行われていることを教えてくれた。この時、すでに14戸は四電と家屋の立ち退きに仮調印していた。

2012-07-10 22:52:59
@fuuasumma

しかし、四電は地元の人たちには何のための調査、仮調印かは明らかにしていなかった。「何かできるのですか?」と、2人に逆に問われた。

2012-07-10 22:53:03
@fuuasumma

「原子力発電所/伊方町に誘致の動き/用地買収を始める/九町越の約50ヘクタール」7月8日付けの新愛媛の記事は、同町だけではなく周辺市町村、県下に大きな波紋を起こした。一般住民だけではなく、政界、経済界までも波及していった。

2012-07-10 22:53:21
@fuuasumma

新愛媛が報じた8日、香川県高松市の本社と愛媛県庁で、それぞれ「伊方町では、すでに土地条件のあらましなどを専門家が調べているほか、予備調査を始めている」と、伊方町に原発建設の計画を進めていることを表明。その時点で、関係地主、漁協などと予備調査の交渉を始めていることなどを発表した。

2012-07-10 22:53:46
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