【哲学の小授業2】デリダの太極拳、その道すじ~はかないきずあとともに
- L_O_Nihilum
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RT @cncsrcnc: 「難しいですね」で片付けるようなひとには、なにを話したってムダさ。そんときは、どこの猫缶がうまいとかいったような話でもしておけば良いんだ - スニャフキン
2012-07-08 21:35:19同時に、難しい言葉でなんでも考えたりしようとする人にも何も通じないね…他人に開けていない、というのは哲学をするなら大きな過失だよ。
2012-07-08 21:36:04”しろやぎさんからおてがみついた、くろやぎさんたらよまずにたべた しかたがないのでおてがみかいた さっきのてがみのごようじなあに” …これほどデリダの思想を忠実に表現した歌もないよねぇ。
2012-07-08 21:48:21一方のやぎさんはなにか伝えたいことが在って、自分の言葉でお手紙を書いた。書いたお手紙は、ちゃんともう片方へ届くんだ…けれど、それは”届いたのに伝わらない”。なぜなら、届いた手紙は食べられちゃうからだ。
2012-07-08 21:51:25どうしても返事が来ない。だから、もいちど伝えようと思ってまた手紙を書く。『さっきの手紙のご用事なあに』。先延ばしにされてしまう言葉の意味。それを伝えるために、更に「さっきの」言葉を表現するのに、言葉が費やされる。
2012-07-08 21:53:52僕たちは手紙を食べたりなんてさすがにしないと思うけれど…けども、届いたはずの言葉が伝わらない、ってことはよくあるよね。例えば、恋愛の瞬間さ。
2012-07-08 21:55:01好きと言いたい。今すぐ伝えたい。けれど、伝えてうまくいかなかったらどうしよう。いや、好きと言い伝える直前であってもそうだ。それ以外に、二人きりになったっていうシーンで何を言いだそうか、凄く迷ったりするだろ。だからいつもたわいない話だけして済ませ、結局バイバイしてしまう。
2012-07-08 21:57:50伝える言葉。けれどそれがカン違いして、向こうに意図せざる意味で伝わったらどうしよう。だから当たり障りのない言葉で距離を取る。意図せざる意味で伝わる…てことは、言葉は「食べられ」てしまっていて、もう放った人のものではなくなってるってことだ。
2012-07-08 22:00:121つ放ったその言葉が、その瞬間から、自分では操作不能なものになっている。だから、本当の(?)…ていうのかな…その時その子が伝えたかった「その言葉に込めた実際の想い」とは<違う>ように、彼(彼女)には受け取られている。
2012-07-08 22:04:47言葉のなかの、その気持ちが、伝えられない。伝えたら怖い。だから、<先延ばし>にする。届いたとしても、その言葉が「違って」伝わっている。本当の(?)意味は<先延ばし>にされ、違う意味にとられ<ずれ>てしまう…。言葉の儚さだ…。
2012-07-08 22:09:45デリダが注目したのは、まさにこのような「言葉のずれ・おくれ」なんだ。言葉、表現というのが、実に明確な意味と使い方を持っているようで、それがとてもあいまいで、儚く、まるで灰のように目に見えない…。
2012-07-08 22:11:59このことは、言葉を使うシーンであればいかなるときもそうなんだ。例えば…そうだなあ、「さくら」って言葉。思い浮かべてほしい。それを使う時、どういう意味で、あなたは使うだろうか?
2012-07-08 22:20:39どういう意味で、キミは「さくら」という言葉を使う?もちろん、桜の木のことを指していうのだろうね…いや、ほんとうかな?
2012-07-08 22:23:22もしかしたら、人の名前かもしれないよね? こっちには伝説で伝わっているけれど、「さくら」っていう名前の、札魔術師がそっちの世界にいたそうだね。
2012-07-08 22:24:02それとも「さくらのように綺麗なピンク色」の意味でも使ったかもしれない。「さくらいろ」のことで、「さくら」と使うかもしれないね。
2012-07-08 22:25:47もし「さくら」と言って。それがどう伝わるかが今言ったなかで、どれでもなかったら。そうしたら、あれ、何の話だったっけ?と言い換えを繰り返さなきゃいけない。けれど、言い換え…って、それも「言葉」だね。言葉を表現するのに、さらに言葉が使われなければいけないんだ。
2012-07-08 22:26:59さらに、その「さくら」を「きれい…!」と思って、「綺麗」と言い放つ。それも、どうだろう。どう「綺麗」なのかは、その人の感じた感じ方の中にある。てことは、その人の言葉の使い方に「綺麗」が囚われていると言えるのではないかな。
2012-07-08 22:29:53言葉が伝えようとする瞬間から(?)「ずれて」いて、そして伝わるタイミングも「おくれ」る…<ずれ(差)>、そして<おくれる(延)>…そういう、言葉のもつ奇妙な運動のことを、デリダは「差延」(さえん)と呼んだんだ。
2012-07-08 22:36:02放つ瞬間から…とは言ったけれど。ほんとうかな?っていうのは、放つ以前にも差延していたのではないかな?って思う。で、実際、そうなんだ。
2012-07-08 22:36:51さてこの言葉は伝わる、ものなんだね。伝わる、ってことは、向こうにも、同じ言葉がある、同じ言語が話されている、と言う事だ。
2012-07-08 22:37:24と言う事は、それは「君の言葉」ではなかったということだね。というか、実に、そういうわけで、言葉は「誰のものでもない」し、「誰のものにもできない」んだ。
2012-07-08 22:37:55言葉を自由に使う…けれども、そう使えるのは、…よく考えて見てくれ、それは君が他人から、母親や友達、近隣の友人たち、じつにいろいろな人たちから教えてもらったからこそ、使える言葉なんだ。そう、誰かからもらった、だからこそ、言葉を使うことが出来る…。
2012-07-08 22:41:46そうだよね…注意してよく考えて見れば、そりゃあ奇妙な話だ。だって、伝わるときに差延運動はおきているんだよ。もう子供に言葉を「教える」地点でも、その運動からのがれることはできない。
2012-07-08 22:43:25ただですらずれて伝わる曖昧な言葉を、伝えることによってどこか共有して、それで覚えた言葉で、やっとのこさその周りの人たちと話ができる…思えば、その言葉はずっと昔から来ているからこそ、同じ言葉なのだろうし、だから使うことが出来る…ん?
2012-07-08 22:46:04