笠井潔氏による「デモ」に関する連続ツイートPart2

今後の抗議行動への何らかの助けになればと思い、Part1( http://togetter.com/li/330701 )に続き、まとめました。
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笠井潔 @kiyoshikasai

ヘーゲル=マルクス的な超越的認識の押しつけは、それ自体がオブジェクトレヴェルに蹴落とされた存在に対する精神的テロルだ。20世紀的な環境のもとで、それを実体化すれば、ボリシェヴィズムの収容所社会主義になる。

2012-07-08 00:47:04
笠井潔 @kiyoshikasai

昨年のアラブ(反権威主義体制)、北米と南欧(反貧困)に続いて、ようやく日本でも大衆蜂起の一時代が開幕した。と判断していいと思う。若いころから、願望の吐露にすぎない「情勢判断」は嫌いだった。新左翼の危機論型革命派に多かった、つねに「キキ、キキ」と囀っている類の。

2012-07-10 16:31:25
笠井潔 @kiyoshikasai

自分の期待と情勢判断が一致しているように思えたら、とりあえず眉に唾をつけてみること。そのように自戒してきたが、そろそろ判断を下してもいいと思う。間違っていたら反省しますが(笑)。

2012-07-10 16:38:11
笠井潔 @kiyoshikasai

2008年のリーマンショックからはじまるグローバルな危機は、40年前に匹敵し、あるいはそれを超えるかもしれない、世界史的な大衆蜂起の時代をもたらすだろう。すでにアラブと北米・南欧で開始されていた大衆蜂起は、ようやく日本まで波及した。もちろん、これは端緒にすぎない。

2012-07-10 16:39:52
笠井潔 @kiyoshikasai

そういえば昨年、栗原幸夫氏と「なんとなく1966年と雰囲気が似てきたように感じる」というようなことを話した。早まってはよくないので、私的なレヴェルの会話にとどめていたが。自慢しているように思われるのは心外なので、あまりいわないようにしてきたが、時代の変わり目には嗅覚が働く。

2012-07-10 16:44:45
笠井潔 @kiyoshikasai

1971年の時点で、67年以来の大衆蜂起の時代は終わりだと思ったし、1989年にはバブルの崩壊を直感した。後知恵でいっているのだろうと疑われるかもしれないが、事実だ。だから、今回の判断にも、ある程度までは自信がある。

2012-07-10 16:48:13
笠井潔 @kiyoshikasai

40年の待機は長すぎたと感じる。なにしろ、20歳の青年が60歳の爺になってしまったのだ。フランスではパリ・コミューン(1871)から人民戦線運動(1936)まで、65年ものあいだ蜂起と蜂起の谷間の時代が続いた。パリ・コミューンの出血は、それほど大きかったともいえる。

2012-07-10 16:59:30
笠井潔 @kiyoshikasai

65年と比較すれば40年は、まだまだ短い。生きているうちに、次の大衆蜂起の時代に際会できた幸運には、感謝しなければなるまい。

2012-07-10 17:00:39
笠井潔 @kiyoshikasai

60歳を過ぎた爺が先頭で旗を振るわけにもいかないから、できることは限られている。大江健三郎の『万延元年のフットボール』に登場する主人公兄弟の曾祖父のように、反芻してきたかつての経験を教訓として語ることが、たぶん中心的な仕事になるだろう。

2012-07-10 17:05:56
笠井潔 @kiyoshikasai

できる手伝いは、したいと思っている。

2012-07-10 17:06:49
笠井潔 @kiyoshikasai

首相官邸前の抗議運動で、警備車の上から解散を呼びかけている主催者の動画を見て、「それはないだろう」と感じた。しかし反原発首都圏連合の活動家の、「首相官邸前では警察も、市民警察と見られたいと思っているようだ」というツイッターを見て、僭越ながら、わかってるじゃないかと思った。

2012-07-10 17:15:34
笠井潔 @kiyoshikasai

「一部が過激化すると、市民が忌避して運動は退潮する」とか、下らないことをいっている連中と比較すれば、はるかに事態の意味を正確に捉えている。呟きの中身から判断して、さほど運動経験は長くないのだろうが、頭にカビが生えた元新左翼よりもまともな判断だ。

2012-07-10 17:24:21
笠井潔 @kiyoshikasai

政治とはヘゲモニー闘争である。大人と子供が裸の暴力で対決すれば、子供が負けるに決まっている。しかし大人の側は、裸の暴力で子供を制圧することが、いつでも望むままできるわけではない。たとえば、第三者の目があったらどうか。大人げないと非難されるのを警戒し、暴力を控えるかもしれない。

2012-07-10 17:29:57
笠井潔 @kiyoshikasai

闘争空間に第三者の目が導入されることで、両者の闘争はヘゲモニー闘争に、ようするに政治闘争に転化する。ヘゲモニー闘争=政治闘争では、第三者の支持獲得をめぐって、たがいに知恵を絞りあうことになる。ちょっと小突いてみるといった間接的な「暴力」も、ヘゲモニー闘争の一部にすぎない。

2012-07-10 17:35:01
笠井潔 @kiyoshikasai

「68年」のゲバ棒や投石や火焔瓶は、「ちょっと小突いてみる」類のことにすぎない。67年羽田から68年新宿までの一年ほど、ゲバ棒や投石もヘゲモニーをめぐる政治の一部だった。68年新宿まで、学生の実力闘争と市民の平和的な抗議活動は共存していた。

2012-07-10 17:42:08
笠井潔 @kiyoshikasai

たんに共存していたというより、相互に刺激しあい、双方とも運動のエネルギーが増加するような好循環が、そこにはあった。しかし、それで大衆蜂起に押しまくられていた政府と治安権力は態勢を整え、反攻に転じる。69年1月の東大安田講堂攻防戦や4・28沖縄闘争で、潮目は反対方向に変わる。

2012-07-10 17:49:00
笠井潔 @kiyoshikasai

本当はこのとき、逆転しはじめたヘゲモニー関係を再逆転しうる発想が求められていた。しかし現実は、それとは正反対の方向にむかう。市民の平和的なデモはもちろん、それまでのような学生の実力闘争でも、機動隊には勝てない。大学のバリケードを守ることも、安保自動延長を阻止することもできない。

2012-07-10 17:54:00
笠井潔 @kiyoshikasai

そして赤軍派が誕生する。赤軍派は、ヘゲモニーの攻防をめぐる政治闘争の敗北を、軍事闘争に切り替えることで展望が開けると信じた。後知恵でいえば、愚劣きわまりない発想だった。第三者の目が消えれば、大人と子供は裸の暴力で向きあうことになる。子供が負けるのは必然的だ。

2012-07-10 17:57:47
笠井潔 @kiyoshikasai

石を投げる類の、大衆的な実力行使はヘゲモニー闘争の不可欠の部分だが、それと軍事闘争(戦争)は存在する次元が異なる。ロシア十月革命の場合でさえ、ボリシェヴィキによる武装蜂起は、「戦争」とは違う次元で決行された。

2012-07-10 18:03:57
笠井潔 @kiyoshikasai

ケレンスキー政府と労働者ソヴィエトの二重権力状態まで成熟した、政治的なヘゲモニー空間を前提としてのみ、権力奪取のボリシェヴィキ蜂起は可能となった。

2012-07-10 18:05:18
笠井潔 @kiyoshikasai

中国やヴェトナムの人民戦争は、まさに裸の暴力の衝突で、「革命=戦争」だったように見える。しかし、そうではない。仕事に戻らなければならないので、詳しいことは書けないが(今度書きます)、前近代的な諸社会では、戦争それ自体がヘゲモニー闘争だ。これは関ヶ原の合戦を想起すれば、わかるはず。

2012-07-10 18:15:21
笠井潔 @kiyoshikasai

関ヶ原では、裸の軍事力が勝敗を決したわけではない。小早川の裏切りというファクターが勝敗を決めた。ようする東軍は、軍事で勝利したというより、政治で勝利したのである。人民戦争も同じことで、根拠地革命では政治闘争(ヘゲモニー闘争)が軍事的形態をとるにすぎない。

2012-07-10 18:18:42
笠井潔 @kiyoshikasai

もしも人民戦争から学ぶなら、政治を軍事に還元するのではなく、根拠地革命の先進国的形態を発見するべきだった。これを、ヘゲモニー闘争に敗北しつつあった1969年の時点に置き直せば、どうなるのか。69年の敗北をへて発見されたのが三里塚闘争だったわけだが、これも後述としよう。

2012-07-10 18:22:49
笠井潔 @kiyoshikasai

赤軍派の革命戦争論は、政治の敗北を軍事への逃亡で糊塗しようとする、姑息な発想だった。「戦犯」は塩見隆也だろうが、塩見一人に責任を追わせるわけにもいかない。ヘゲモニーを権力に奪われたという閉塞感は、69年の時点で大衆的に共有されていたし、戦闘的大衆は赤軍派に喝采したのだから。

2012-07-10 18:26:49
笠井潔 @kiyoshikasai

われわれの多くがバカだったと、いまとなっては総括するべきだろう。大急ぎで話を戻すが、「警察は支配階級の暴力装置である」というレーニン主義は、グラムシの陣地戦論を参照するまでもなく、20世紀前半の時代でさえ先進諸国では有効性を欠いていた。

2012-07-10 18:31:15