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茂木健一郎 @kenichiromogi
しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!
茂木健一郎 @kenichiromogi
連続ツイート第655回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、昨日、奥田知志さん、三宅民夫さんとのシンポジウムのときに考えていたこと。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じか(1)先日、ケンブリッジの恩師ホラス・バーロー教授を訪ねたときのこと。私の弟子の石川哲朗が、バーローさんに諭されていた。いいかい、君、英語の力をもっと身につけないと行けないよ。科学においては、議論できる、ということがとても重要だ。その姿を見て、ぼくは、一つのことを思い出した。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じか(2)ハーバードやケンブリッジ、オックスフォードの入試では、長い面接がある。なぜ面接が課せられるのか。一つの見方として、そこには共同作業があるから。面接が、ペーパーテストを置き換えたものだとしたら、大した意味がない。議論しながら答えを見つけていく知性こそが試されるのだ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じか(3)問題に対する答えに、「こんな見方もあるね」と試験官が助け船を出す。そのシグナルを拾えるかどうか。自分の最初の考えに固執してしまうのではなく、ちゃんと相手の話を聞けるかどうか。対話の技術の集大成が、インタビュウであり、孤独で机に向かうペーパーテストとはそこが違う。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じか(4)日本の教育、入試を見た際に顕著な特徴は、それが「個人競技」ということだろう。早い話、クラスメートと強力、議論しなくても、紙に勝手に書けばいい。そんな「競争」を切り抜けてきた日本の「エリート」が、現代社会に適応できないのは当然だ。ネットでは、共同こそが、本質なのだから。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じか(5)「ご冗談でしょうファインマンさん」の最後に、ファインマンがカルテクの卒業式でスピーチした「カーゴカルトサイエンス」という一節がある。南の島に飛行機が着陸して、白人たちが宝物を持ってきた。それで、また飛行機が来ないかと、滑走路を準備しているのがカーゴカルトである。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じか(6)「個人主義」、「競争」を巡る日本の昨今の論調は、まさに「カーゴカルト」である。自分たちの歴史の中で自発的に出てきたのではなく、欧米ではそうだからと、勝手に幻想を抱いて「自己責任」などと言っている。実際には、たとえばシリコンバレーでも、一人でやっている人などいない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じか(7)シリコンバレーはむしろ友だちの輪である。ジョブズだって、iPhoneを一人でつくっていたわけではもちろんない。日本の入試のペーパーテストのような、「個人競技」などそこにはないわけであって、むしろ結び合い、助け合い、強力しあってこそベンチャーも生まれるのだ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じか(8)アメリカでも、共和党支持者の一部などに「自己責任」を説く人がいる。しかし、シリコンバレーやハリウッドの多くは民主党支持者。貧しい家庭の子が教育を受けられないのは「自己責任」などという極論は、アメリカの政治の本流には決してならぬ。何よりも成功者は友情の大切さを知る。
茂木健一郎 @kenichiromogi
じか(9)結局、日本で近年唱えられてきた「自己責任」論は、科学的に言えば無知、「カーゴカルト」、自分の無関心の開き直りに過ぎないと言える。そして、相変わらず個人競技の「ペーパーテスト」を重視している日本の偏差値入試は、文化として共創から遠く、日本人の資質を劣化させている。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート第655回「自己責任って、勘違いだよね」でした。

コメント

浅井秀和 チャーティスト @hidekazuasai 2012年7月15日
@kenichiromogi 日本は伝統的に個人競技の国だと思う。剣道、柔道、茶道、ほか職人技?とよばれる技術。集団が強い社会だからかえって自我を出すには個人競技にはまるしかない。集団が強い社会だからかえって実は日本人は誰も信用できないから個人競技の成果だけに自信を持つ
なみのおと @73note 2012年8月16日
自己責任と言う言葉が、「出来ない人に対して使われる言葉」であることが多いような気がして、ゲンナリする。本当に自己責任ならばトライアンドエラーの機会が容易でないとヘンダヨネ。
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