茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第655回「自己責任って、勘違いだよね」

脳科学者・茂木健一郎さんの7月15日の連続ツイート。 本日は、昨日、奥田和志さん、三宅民夫さんとのシンポジウムのときに考えていたこと。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

2012-07-15 08:01:19
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第655回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、昨日、奥田知志さん、三宅民夫さんとのシンポジウムのときに考えていたこと。

2012-07-15 08:22:21
茂木健一郎 @kenichiromogi

じか(1)先日、ケンブリッジの恩師ホラス・バーロー教授を訪ねたときのこと。私の弟子の石川哲朗が、バーローさんに諭されていた。いいかい、君、英語の力をもっと身につけないと行けないよ。科学においては、議論できる、ということがとても重要だ。その姿を見て、ぼくは、一つのことを思い出した。

2012-07-15 08:23:56
茂木健一郎 @kenichiromogi

じか(2)ハーバードやケンブリッジ、オックスフォードの入試では、長い面接がある。なぜ面接が課せられるのか。一つの見方として、そこには共同作業があるから。面接が、ペーパーテストを置き換えたものだとしたら、大した意味がない。議論しながら答えを見つけていく知性こそが試されるのだ。

2012-07-15 08:25:01
茂木健一郎 @kenichiromogi

じか(3)問題に対する答えに、「こんな見方もあるね」と試験官が助け船を出す。そのシグナルを拾えるかどうか。自分の最初の考えに固執してしまうのではなく、ちゃんと相手の話を聞けるかどうか。対話の技術の集大成が、インタビュウであり、孤独で机に向かうペーパーテストとはそこが違う。

2012-07-15 08:26:25
茂木健一郎 @kenichiromogi

じか(4)日本の教育、入試を見た際に顕著な特徴は、それが「個人競技」ということだろう。早い話、クラスメートと強力、議論しなくても、紙に勝手に書けばいい。そんな「競争」を切り抜けてきた日本の「エリート」が、現代社会に適応できないのは当然だ。ネットでは、共同こそが、本質なのだから。

2012-07-15 08:27:49
茂木健一郎 @kenichiromogi

じか(5)「ご冗談でしょうファインマンさん」の最後に、ファインマンがカルテクの卒業式でスピーチした「カーゴカルトサイエンス」という一節がある。南の島に飛行機が着陸して、白人たちが宝物を持ってきた。それで、また飛行機が来ないかと、滑走路を準備しているのがカーゴカルトである。

2012-07-15 08:29:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

じか(6)「個人主義」、「競争」を巡る日本の昨今の論調は、まさに「カーゴカルト」である。自分たちの歴史の中で自発的に出てきたのではなく、欧米ではそうだからと、勝手に幻想を抱いて「自己責任」などと言っている。実際には、たとえばシリコンバレーでも、一人でやっている人などいない。

2012-07-15 08:30:21
茂木健一郎 @kenichiromogi

じか(7)シリコンバレーはむしろ友だちの輪である。ジョブズだって、iPhoneを一人でつくっていたわけではもちろんない。日本の入試のペーパーテストのような、「個人競技」などそこにはないわけであって、むしろ結び合い、助け合い、強力しあってこそベンチャーも生まれるのだ。

2012-07-15 08:32:53
茂木健一郎 @kenichiromogi

じか(8)アメリカでも、共和党支持者の一部などに「自己責任」を説く人がいる。しかし、シリコンバレーやハリウッドの多くは民主党支持者。貧しい家庭の子が教育を受けられないのは「自己責任」などという極論は、アメリカの政治の本流には決してならぬ。何よりも成功者は友情の大切さを知る。

2012-07-15 08:34:33
茂木健一郎 @kenichiromogi

じか(9)結局、日本で近年唱えられてきた「自己責任」論は、科学的に言えば無知、「カーゴカルト」、自分の無関心の開き直りに過ぎないと言える。そして、相変わらず個人競技の「ペーパーテスト」を重視している日本の偏差値入試は、文化として共創から遠く、日本人の資質を劣化させている。

2012-07-15 08:36:07
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第655回「自己責任って、勘違いだよね」でした。

2012-07-15 08:36:39