20120715 肥田舜太郎講演会「内部被曝の真実」愛媛県松山市
肥田舜太郎氏「僕らのように広島で被曝して生き残ったために、その日からずっと患者を診た医者は、みんなその病気を診るけどお互いにわからない。『なんだと思う?』『わからない』だけどわからないということを医者は言いたくない。それがずっと続いた。それが今は内部被曝という言葉に統一」
2012-07-15 12:50:53ぶらぶら病。検査しても医者がみたところ異常がない。その後死んでも何が原因か分からない。医者同志は何人もみてきて、何故か分からないと互いに話す、けれどわからないとはいいたくない。
2012-07-15 12:51:38肥田氏「ところが今、内部被曝というのは無い、放射線の心配は全くないという人がいる。その時に生きているわけないから、原爆でやられた人を診たことがない。アメリカで放射線の学問が進んで、放射線被害はこういうものだというのを作った。日本から留学して学び『オレは一番知識がある』と」
2012-07-15 12:52:20肥田氏「もうしばらくすると、後遺症がまとまって出てくるはず。広島の人は、原発から出た放射線は、広島の爆弾で使ったウラニウムと、長崎の爆弾のプルトニウムを混ぜて電気を起こして燃やしたのが福島。広島と長崎の人におこった病気が、この人達にも起こるはず。医者から診て」
2012-07-15 12:54:04肥田氏「私どもは入市被爆といって、直接放射線を受けてない。でも後になって被曝して、時間がたって病気が出てきた。その病気が一番たくさん出た時期は、3年目。最初子供が一番先にやられる。口内炎、口の中がただれる。次に鼻血。福島の場合は、広島で出た放射線の、爆弾の数で何十発分」
2012-07-15 12:56:02福島の人が浴びた放射線は広島と長崎の原爆を混ぜこぜにしたようなもの。内部被ばくの症状は必ずでる。原爆では三年目に一番多かった。口内炎、喉のいたみ、鼻血。放射線の出方にも違いがある。福島は広島の何十発。だが強さが違うのですぐには死なない。
2012-07-15 12:56:41肥田氏「いきなり人体にぶつかるのでないので即死するような人はいなかったけれど。最近福島の人から電話がくる。もう始まっていると。ひとつは、だるい。それから、女の人の髪の毛が抜ける。それが福島では出ている。出血も。広島長崎より早めに被害が出てくるだろう。それが怖い」
2012-07-15 12:57:12肥田氏「それを診てわかる医者がひとりもいないことが怖い。広島で当時医者でいて、患者をたくさん診た人が、みんな死んでしまった。私が一番若かった。それが今たったひとり生き残った。原爆の被害を受けた患者は、次から次に死んで、医者に診せても『病気なんかない』と言われて死んでいく」
2012-07-15 12:58:38僕は当時28歳。年上で内部被ばくをみてきた先輩の医者はみんな死んでしまった。話せるのは私ひとり。助けることのできなかった苦しさを経験した医者は沢山いた。
2012-07-15 12:59:23肥田氏「自分で診て、目の前で死なれて、本当に苦しかった。何をやっても助からない。何をやればいいかもわからない。教えてくれる人がいない。そういう経験をした人がいない。これから先、福島で原発から出た放射線を受けて、後から起こってくる、今の医学で名前をつけられない病気が出たら」
2012-07-15 12:59:36肥田氏「…『これは福島原発の影響だ』と言える医者がいないということ。全然関係ない、ノイローゼだ、神経衰弱だと言う、それが増えてくるだろう。『あんたは神経を病んでるんだ』と言われる。医者は自分が知っている医学でわからない。広島では、仮病と言われた人がたくさんいた」
2012-07-15 13:01:38被ばくの危険について言える人は誰もいない。今はノイローゼといってるが、当時は神経衰弱と言われた。仮病ともいわれた。医者に言っても被曝をそう片付けるだろう。自覚症状があるのに。
2012-07-15 13:01:42肥田氏「うちの人は死んだと思っていたら、ひょっこり帰ってきた、という家の話。何日かたつと、父ちゃん畑手伝ってとなるが、すぐにがっくりきて鍬を持っていられなくなる。膝も立たない。背中も立たない。父ちゃんどうなったんだその体は、と。しかし説明がつかない」
2012-07-15 13:03:36肥田氏「医者に診てもらっても『あんた病気じゃないよ』『おかしいよ、オレ起きてられないんだって』病気として診てもらえない。あっちの先生もこっちの先生も病気じゃないと。原爆浴びたならともかく証拠がない。どこからともなく『働きたくないから仮病使ってんだろ』と。警官が立つように」
2012-07-15 13:04:41肥田氏「マッカーサーが軍隊を連れて、9月2日から日本全国が占領下になった。どこの町にも市にも駐屯。『原爆の被害を受けた人たちの症状は、原爆そのものと合わせて米軍の秘密です、だから自分の体は原爆の影響でああなってるこうなってるという、どんな小さなことも喋ってはいけない』と」
2012-07-15 13:06:55アメリカが原爆を落としたすぐ後、マッカーサーがきて日本全土に駐屯した。彼のいうことがすべてになった。被曝症状は原爆そのものと同じ軍隊の秘密。しゃべっちゃいけない。違反したら米軍は厳罰に処するとなった。家の中でもだまるように。
2012-07-15 13:07:44肥田氏「『これに違反して言ったら、米軍が厳罰に処す』と。その日から、広島長崎の被害を受けた人間は、家の中でも黙ってしまう。医者や大学の医学者で、原爆被害者から体を診てくれと言われたら、診てもいいがカルテに詳しく症状を書き、論文にしたり複数人で検討したりしてはいけないと」
2012-07-15 13:08:40