Munyu @mizutakara さんによる物部氏とニギハヤヒをめぐる古代史研究家について
饒速日命と物部氏を取り上げた本で、在野研究家に絶大な影響を与えたにも関わらず学術のほうからは完全スルーされてるものといえば、鳥越憲三郎『大いなる邪馬台国』と原田常治『古代日本正史』が双璧といえます
2012-07-18 19:03:501975年と1976年にあいついで刊行されているのは、松本清張や高木彬光たちの作った古代史ブームの流れに乗ってるんでしょうね
2012-07-18 19:03:58ところで、原田実氏の『幻想の荒覇吐秘史』に「オウム真理教と現代日本の偽史運動」という論考が収録されており、そのなかで武田洋一(裕)氏の『日本のピラミッド』について触れられています。1975年の発行だそうです
2012-07-18 19:05:27そのなかで「それまで天皇崇拝色の強かった日本の偽史運動を、日本列島への侵略者たる天皇家VS日本原住民という対立の構図により、反天皇制の側に誘因した」との評価を、武田氏の著作にされています
2012-07-18 19:05:34鳥越氏や原田常治氏の見解が長い間、消えずに支持されているのは、アイディアやストーリーが面白いためでしょうが、「天皇家に滅ぼされたニギハヤヒ王朝、支配者の地位を追われた物部氏」という見方が、なにか読者に訴えかけている面はないでしょうか
2012-07-18 19:06:36現代社会に生きづらさを感じている人たちや、自分が能力を持っていたり正しく生きているにもかかわらず充分に報われていないと考える人たちの中には、現代が間違っているのは過去の歴史が誤った歩みをしてきたからだと考える人がいます
2012-07-18 19:07:43その中では、日本史において中心的な位置を占める「天皇」の存在を非難・否定されることがあります。ニギハヤヒに過剰な思い入れをする人のなかにも、反天皇制的な考え方、弥生時代を美化してその後の時代を否定的に見る人はいないでしょうか
2012-07-18 19:08:23にしても安本美典氏の『古代物部氏と「先代旧事本紀」の謎』はうまいです。年代観では原田常治(弥生時代の最末期)と共通し、根拠に旧事本紀や銅鐸を使うのは鳥越憲三郎と同じ。いいとこどりってやつですね
2012-07-18 19:11:51原田常治説の普及に熱心だった関裕二氏はそれを撤回し、物部氏の起源を出雲から吉備へ転向していますね。ネット上をざっと眺めてみると、原田説を支持している人も多いですが、批判している人もそれなりにいて、初心者であろうと簡単に釣れる状況は終わった、と感じます
2012-07-18 19:21:51関氏が自ら新規参入をうながし育てた古代史ファンたちも、年数が経つにつれ目が肥えてきました。粗雑な原田説に拠っていたのでは、関氏の本は買ってもらえなくなる恐れがあったのかもしれません
2012-07-18 19:22:06でもまあ話題になると真っ先に景教とか日ユ同祖論とかが出てくる秦氏に比べれば、物部氏がらみのトンデモ説なんてまだまだありがたくなる程度よ…
2012-07-18 19:28:18鳥越憲三郎説を原田常治説とともに俗説扱いされることに、違和感を持つ方がいらっしゃるかもしれません。一見、まともな考察がされているように見えるからです
2012-07-20 18:57:18鳥越説が画期的だったのは、旧事本紀を根拠に用いたことです。物部氏の起源を北部九州にあて、弥生時代に四国北岸を経て畿内地方へ遷ったとする見方は、既に太田亮によってされていました。しかし、太田は天神本紀で物部が冠する地名が、九州と畿内に両方に存在することに、気づいていません
2012-07-20 18:57:52両地域に一致する地名の存在は、偶然ではありえません。問題は、同じ地名がふたつ生まれる時期です。鳥越氏は物部氏所縁の地に弥生遺跡があることを、弥生時代に物部氏が展開した根拠とします。しかし、その中には物部氏が確実に活動した六世紀代まで継続せず、断絶する遺跡も含まれているのです
2012-07-20 18:58:50つまり、弥生時代のある時点で記録が作られ、それが長い時間を越えて正確に九世紀の旧事本紀まで伝えられたことを立証しなければ、成り立たない議論なのです。現代の文献史学から相手にされないのが何故なのか、これでわかるでしょう
2012-07-20 18:59:10物部を含む部民制(部制)と国造制がいつ成立したかという問題もあります。一般向けの概論書をいくつか読んで考えてもらえばわかりますが、継体欽明朝(六世紀)というのが定説です
2012-07-20 19:00:01要するに、「某(地名)物部」や、物部氏同族の「某国造」が史料上に見えたとき、だだちに言えるのは、部民制や国造制が成立した後にまとめられた情報だということです。個人的には国造制は前身も含めれば五世紀後半からでもかまわないと思ってますが…
2012-07-20 19:00:26鳥越氏は、在地での支配力を認められた豪族が制度成立時に国造に任じられるのだから、古くからの豪族に違いないと強調します。でも、六世紀から鳥越氏が東遷の時期に想定する弥生時代前記までの長い長い時間を、特定の集団が絶えずに勢力を保ち続けたことを、どうしたら証明できるのでしょうか
2012-07-20 19:01:18近藤義郎編『前方後円墳集成』や石野博信編『全国古墳編年集成』を見ると、国造の存在したとされる地域で、古墳時代が始まってから六世紀に入るころまで、首長墳の系列が断絶せず、地域内で有力古墳群が変遷もしない地域は非常に稀です
2012-07-20 19:02:32越前の三国国あたりは国内の特定地域でずっと継続していてすごいなと思います。さすが継体天皇の母方。しかし、こういうのはレアケースだと思います
2012-07-20 19:03:41少なくとも、物部氏同族の国造がいた珠流河や三河では古墳時代全期を通じて有力古墳を特定集団が築き続けたのは退けてよいと思います。鳥越氏がいう「邪馬台国とは北九州から東海にまで及ぶ一大帝国なのであった。そしてその支配者は物部一族であった(『大いなる邪馬台国』」という見方は誤りです
2012-07-20 19:04:47弥生遺跡のあて方にも酷いのがあります。讃岐三野物部が天神本紀にみえることを根拠に使いたいのなら当然、讃岐国三野郡の遺跡をあてなくてはなりませんが、那珂郡や多度郡の遺跡を挙げています。鳥越氏の想像するストーリーに合致する弥生時代前期の遺跡が、三野郡地域に存在しないからです
2012-07-20 19:06:57