渡邊芳之先生@ynabe39の「そもそも「対案を出せというレトリック」は基本的に「対案は出せないはず」ということを前提に用いられるんだよね。そんなレトリックが「建設的な議論」など生み出すはずがない。」

前から何度も言っているように「議論と称するもの」の大半はおそらく議論ではなくて「感情のぶつかり合い」に議論風のレトリックが添えられたものだと思う。「対案を出せ」というのも「お前の意見に従う気はない」という感情を議論風に化粧するためのレトリックなのだと思う。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

「(俺の賛成していることに)反対するなら対案を出せ」。この()内が本質。

2012-07-19 22:34:00
渡邊芳之 @ynabe39

ツイッターやネットでおかしなことを言ってdisられている人はリアルでもおかしなことを言っている。リアルではその人に「あなたの言っていることはおかしいですよ」と言ってくれる人がいないだけの話。

2012-07-19 22:42:36
渡邊芳之 @ynabe39

「自分にわからないことは他人にもわからないに決まっている」という自信の大半にはこれといった根拠はない。希望的推測。

2012-07-19 22:44:55
渡邊芳之 @ynabe39

職場の会議などに出席すれば「おかしなことを言う人」と言うのはいくらでもいるのがわかる。ただそれが単に耳に聞こえるのと文字に書かれて見せられるのでは印象がずいぶん違う。

2012-07-19 22:50:03
渡邊芳之 @ynabe39

対案が必要になるのは主に「現状維持に反対する場合」だけど,それも必須とまではいえない。

2012-07-19 22:55:59
渡邊芳之 @ynabe39

大事なのは「対案を出せ」というのは「反対への反対」のためのレトリックであって道徳や倫理基準ではないということ。

2012-07-19 23:03:53
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも「対案を出せというレトリック」は基本的に「対案は出せないはず」ということを前提に用いられるんだよね。そんなレトリックが「建設的な議論」など生み出すはずがない。

2012-07-19 23:10:43
渡邊芳之 @ynabe39

まさにまさに。「対案を出せ」といっている時点で対案を採用する気がないことがほとんどですしね。 RT @mi_to_mu: 採用されることのない対案を考えるのは無駄。

2012-07-19 23:26:19
渡邊芳之 @ynabe39

「客観性が求められる議論」かどうかは何で決まるんでしょう。 RT @ceno_sougou: 「がまんできる」「思う」は主観的な話なので、まがりなりにも客観性が求められる議論においてはノイズではないでしょうか。

2012-07-19 23:47:42
渡邊芳之 @ynabe39

「まがりなりにも客観性が求められる議論においては」というからには「客観性が求められる議論」と「そうでない議論」があるとセノさんが考えているということじゃないんですか? RT @ceno_sougou: 逆に、客観性が求められない議論って、どういうものでしょうか?

2012-07-19 23:54:21
渡邊芳之 @ynabe39

前から何度も言っているように「議論と称するもの」の大半はおそらく議論ではなくて「感情のぶつかり合い」に議論風のレトリックが添えられたものだと思う。「対案を出せ」というのも「お前の意見に従う気はない」という感情を議論風に化粧するためのレトリックなのだと思う。

2012-07-19 23:58:52
渡邊芳之 @ynabe39

「あんた方」って私以外に誰のことですか? RT @Fantasy_Euphony: それ単にあんた方が考えを放棄してるだけだろww同じ土俵に立ってんだからちゃんとしなさいよw

2012-07-20 00:01:37
渡邊芳之 @ynabe39

そういうことですね。 RT @Rin_Subaru: 場の雰囲気により変わるのでしょうが、形式論理的には正しいのであろう言明が、実質完全な心理、感情表出になっていることがありますね。論理の情緒的なメタメッセージというか

2012-07-20 00:01:59
渡邊芳之 @ynabe39

それは私ではないですね。 RT @Fantasy_Euphony: そりゃあ原発反対って言って代替案は?って聞かれた時に「いやいや、それを私達に聞くのはおかしいでしょう。」とか言ってる方々ですよ。ネットのいろんな記事でそういうの書いてる人をたくさん見かけるんですよ。

2012-07-20 00:06:07
渡邊芳之 @ynabe39

「客観性」というのはつまり「他人事としてみる」ということなんだよね。

2012-07-20 00:10:04
渡邊芳之 @ynabe39

「傍観者になるのではなく自分の問題として考えろ」というのと「客観的に考えろ」というのは両立しないんだよね。

2012-07-20 00:11:49
渡邊芳之 @ynabe39

人文学における「研究者の訓練」の中心はそのことになります。 RT @sweets_street: 自分が当事者である事象を他人事として見るのは難しいですね。自分をも第三者の目で見ないといけないです

2012-07-20 00:16:52
渡邊芳之 @ynabe39

「客観的=よいこと」ではないですよ。「こんな状況で客観的というのはちょっとバカじゃない?」ということだってたくさんあります。

2012-07-20 00:32:22
渡邊芳之 @ynabe39

まさにそういうことで,そういう前提に基づいて「対案を出せ」ということが言われるわけです。 RT @yamamoto8hei: そもそも対案を要求される側に建設的な議論をする姿勢が無いのが殆どなのに、そう言われても。

2012-07-20 00:33:48
渡邊芳之 @ynabe39

つまり「対案を出せ攻撃」という「技」なんだよね。

2012-07-20 00:34:18
渡邊芳之 @ynabe39

まさにそれが「他人事として考える」ということです。 RT @kentosho: 客観的な第三者の立場で考えればいいことでは? RT @ynabe39: 「傍観者になるのではなく自分の問題として考えろ」というのと「客観的に考えろ」というのは両立しないんだよね。

2012-07-20 00:34:55
渡邊芳之 @ynabe39

学者とか研究者とかいう人種は人生で何度かは「客観的であることが不適切な状況で客観的であったために対人関係的に失敗する」という経験をしている。

2012-07-20 00:40:56
渡邊芳之 @ynabe39

原発問題に限らず,その問題についての専門家に尊敬を置くことだと思います。RT @ttakku: では、どうすれば建設的な議論が出来て、原発問題が前進していくとお考えですか?

2012-07-20 00:51:19

渡邊芳之 @ynabe39

眠りながら考えたが,「対案を出せ」が有効であるためにはいくつかの重要な条件があって,むしろ「反対論への反対」に「対案を出せ」が有効であることのほうが「特殊例」であるように思える。

2012-07-20 07:19:13
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