科学のために社会があるのではないのだから

平川先生のツイートをまとめました。
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Hideyuki Hirakawa @hirakawah

あーこれか。ある種の人々に浪漫であるのは分るが、「復興の原動力に」とか「雇用創出に」というのはプロパガンダだと思うぞ。ていうか電力どんだけ食うんだよ。/河北新報 東北のニュース/「ILC、復興の原動力に」東北の産学官組織が誘致構想 http://t.co/27L9QiMK

2012-07-21 03:13:10
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

昨夜http://t.co/ITCYMndt でゲストの宮田先生が仰ってたが、大学や研究機関を集めたリサーチパークみたいなもの作っても、なかなか地域経済の浮揚にはつながらないんだとか。雇用創出は高給の研究職や管理職は外からやってきて、地元に対しては低賃金労働が増えるだけとか。

2012-07-21 03:22:24
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

ちなみに自然科学の基礎研究が半ば手放しで「社会がお金出す価値あり」とされたのは、歴史的に見れば第二次世界大戦後、冷戦終結くらいまでの話。特に素粒子物理のような高エネルギー物理学分野は冷戦下米国では国防使用からの予算がだいぶ流れてたわけで。

2012-07-21 03:28:26
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

欧州の大学が理系学部をおくようになったのは19世紀後半、そして原子物理のような基礎科学に社会が価値を見出したのはマンハッタン計画=原爆開発の成功がきっかけ。ヴァネバ・ブッシュのような同計画関係者たちが「こうやって科学に金をつぎ込めば国家に益がある」と政治家たちを説得した結果。

2012-07-21 03:32:09
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

その結果、戦後米国ではとくに国防省が、電子工学などだけでなく高エネルギー物理学にも多大な予算投入をしていく。宇宙開発だって軍事と抱き合わせ。そして冷戦終結後、当時計画中だった超伝導超大型加速器 (SSC)は議会で予算を認められず中止となった。

2012-07-21 03:38:13
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

で、90年代以降は、より直接的に経済競争力強化や、地球環境保全・回復、生活の質の向上など「社会のための科学技術」、イノベーションのための研究開発をどう進めるかが米国でも欧州でも焦点になっていく。

2012-07-21 03:42:42
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

米国では下院科学委員会報告書Unlocking Our Futureが98年に出され、EUでは報告書Society: the Endless Frontierが97年に出されて、そういう方向への転換が打ち出された。背景にはグローバル経済の進展がある。

2012-07-21 03:44:14
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

ちなみにEUの報告書Society: the Endless Frontierというタイトルは、米国の冷戦下での科学政策を方向付けた1945年のヴァネバ・ブッシュの報告書Science: the Endless Frontierをもじったもの。

2012-07-21 03:45:39
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

まぁ、そんなわけで、「基礎科学に対する公的資金投入」というのは、人類史はおろか、17世紀に始まる近代科学(そして19世紀のその制度化)の歴史から見ても極めて最近で、しかも戦後の冷戦体制とその下での日米欧の経済成長という時代文脈に相当に依存し拘束されている行為であり観念なんだな。

2012-07-21 03:50:21
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

しかも、基礎科学に公的資金を投入する理由は、どの国にとっても経済への貢献など何らかの社会的ご利益を狙ってのこと。「人類の夢」とか「人類の英知」という観念は、科学者コミュニティと一部科学ファンが共有しているだけの内輪のイデオロギーでしかなかったりする。

2012-07-21 03:57:48
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

では、冷戦も終わった現在、基礎科学に公的資金を投入する理由はもうなくなったと言っていいのかどうか。これは一概には答えられない問題だと思う。知識は重層的かつ複雑なネットワークを成しており、一見応用から程遠いものが応用の不可欠の基礎として、社会にとって重要なものであることもある。

2012-07-21 04:09:04
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

とはいえ、闇雲に科学者たちの言い値で公的資金を投入すればいいというものでもない。そもそも社会にとって必要な知は自然科学の知だけでないのは当然のこと。理系より人文・社会科学系はずっと費用が掛からないといっても、やはりそれなりの額は割かねばならない。

2012-07-21 04:11:19
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

ちなみに役人にとっては、大型の予算よりも小型の予算のほうが削りやすい。財務省との折衝でも人文・社会系や理学の小規模予算系は、「削りしろ」にされやすい。なので、ここは意識的に一定額を確保できるようにしておかねばならない。

2012-07-21 04:12:50
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

ちょっと話が迂遠になりつつあるので、ポイントを整理すると、科学研究あるいは文系まで含めた学術研究には、社会に直接役立たないように見える領域の研究も含めて、ある程度の公的資金投入が不可欠である。

2012-07-21 04:16:23
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

ただし、公的資金投入が正当化されるのは、「人類の夢」とかそんなもののためではなく、あくまで社会に何らかの益をもたらすからということでしかない。そして何が役立ちうるかは時代・国の状況次第で変わり、重点配分すべき分野、優先順位は変わる。科学のために社会があるのではないのだから。

2012-07-21 04:20:14
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

ただ、「何が社会に役立ちうるか」は、当然ながら人間にすべて見通せるわけではない。なので、何もかも最初からきりきり有用性の観点から評価・選別するのは有害だろう。経済状況と社会の成員が許す範囲において、一定額はとくに重点配分せず、いわば「ベーシックインカム」的に与えたほうがいいはず。

2012-07-21 04:24:40
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

つまり、研究者の側から見て、応用を考えずに自由に「基礎科学」「純粋科学」に使えるお金というのは、社会から見れば知識生産の不確実性ゆえに、リスクヘッジで投資しているものという位置づけになる。それを今までは「夢」とか「英知」ってレトリックで覆ってきたわけだが、それらはもう失効してる。

2012-07-21 04:29:48
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

だから研究者としては、そういう手垢のついた修辞で誤魔化さず、正面から有用性(経済的なものばかりではない)を訴えるか、ポートフォリオの一部として「許容」してもらうか、何らかの形で自ら稼ぐかという、実はかつての学者たちがやってきたことに回帰せざるを得ないんじゃないだろうか。

2012-07-21 04:34:10
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

ちょっとつけ加え。西洋の文脈でいうと、自然哲学がキリスト教と袂を分かち、世俗化して近代科学となって以来、「人類」とか「人間」とか普遍的価値を喚起するレトリックによる正当化というのは、最初からいつかは破綻することが運命づけられていたのではないだろうか。

2012-07-21 04:39:58
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

人類とか人間というカテゴリーが普遍として概念化されたのは、キリスト教権威の没落の結果であるし、しかもそれらにまつわる普遍のイメージ自体は宗教から横領物だったりするので、キリスト教が衰退すればやがてそれらも消えてしまう。

2012-07-21 04:42:38
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

あるいは社会の現実として西欧が非西欧(あるいは西欧内の)文化的他者とぶつかる中で、人類/人間と言う観念自体も分裂・差異化していく(出発点のキリスト教自体も元来ローカルな宗教伝統だったわけだし)。そういう意味で人類/人間という観念による正当化は失効する運命だったし、実際そうなった。

2012-07-21 04:46:08
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

たとえば昔聞いた話にこんなのがあった。アフリカ(?)でのこと。毎日飛行機で空を飛びまわる西洋人の男がいた。ある日、飛行機から降りると、地元民である友人の老人がこう尋ねた。「今日も随分高くまで上がったね。神様には会えたかい?」

2012-07-21 04:49:11
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

これに対して男は「いや、別のそんなことのために空を飛んでるんじゃないよ」と。そして老人がいう。「それじゃ、あんた、なんで空に登ろうとなんかするんだい?神様に会うためでなければ無意味じゃないか。」

2012-07-21 04:52:31
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

要するに、何が意味ある探究や行為なのかは文化によって異なる。世俗化以前の時代には、どの社会でも宗教的な知が重要な意味ある知とされていただろうけれども、近現代社会のように世俗化が進み、高度に機能分化と価値の多様化が進んだ社会では個人によっても大きく異なり、もはや普遍は見出しがたい。

2012-07-21 04:56:27
Hideyuki Hirakawa @hirakawah

最期にもう一つ付け加え。「科学の面白さ」みたいな価値を、たとえば「サッカーの面白さ」など多様な事柄の一つとしてサポーターや後継者獲得のためにアピールすることは、なんというか、勝手にどうぞという感じ。そういうアピール努力をせずに「科学を好きになって当然」という態度が批判される。

2012-07-21 05:04:13