いわゆる「邪馬台国」について(その2)

続きというかなんというか…。まだ思索の途中ですが、現状の思索を備忘的に開示しておきます。
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じねん @jinensai

「飾画」合評会より帰還。食事・雑談落ち着き、いざ始まったらのっけから私の作品評価からで意表をつかれしどろもどろ。主宰はやはり卑弥呼(箸墓?)に興味があるらしく話題を振られたので、思索中の案件を少し開示。

2012-07-21 21:54:42
じねん @jinensai

私は基本的に女王・卑弥呼が鎮座していた首都は発掘されたものと文献の照応から考えて、九州北部であることは動かせないと考えている。陸路・海路とも今日ほど整備されていないだろうし、緊急通信は狼煙が頼りとなれば、主要な直轄軍とともに九州に常時滞在していることが自然であり、必然であろう。

2012-07-21 22:03:13
じねん @jinensai

しかし問題はそうそう簡単ではない。もしそうならば「水行十日陸行一月」という記事など入れないほうが報告を読む魏の首脳には親切なはずだからだ。これを全旅程を里数ではなく日数で併記したとする古田武彦氏の説は一定の説得力を持つが、対馬・壱岐の半周読法という理論値の混入が弱点として残る。

2012-07-21 22:09:03
じねん @jinensai

魏志が魏略の記事をベースにしているという指摘は複数の研究者によってなされているが、魏志倭人伝に編纂する際に魏略時点で知りえなかった最新情報を盛り込んだとする説の方がまだ無理が少ないように思う。つまり「水行十日陸行一月」は魏略への追加情報の類と思われる。

2012-07-21 22:16:53
じねん @jinensai

「一月」が二倍年暦だと30日の半分の15日の可能性が考えられるが、それはひとまず擱こう。ここでは全体を俯瞰したモデルを提示してみる。要は卑弥呼共立の前段である。倭国は相攻伐して歴年主なしという大混乱に陥っている。こうした状況で担ぎ出される条件を思索する。

2012-07-21 22:23:27
じねん @jinensai

神武東征を机上の空論と考えず、実際に九州から大和盆地へ入植した一派がいたと仮定する。この場合、九州の倭国に対し自らを倭国と名乗り、九州の文化習慣風俗宗教を濃厚に、また離れることで一層純化され憧憬バイアスによってブラジルの日系社会のようなグループが形成されることは想像に難くない。

2012-07-21 22:30:54
じねん @jinensai

十津川村と新十津川村の例えで主宰には納得して頂いたが、つまり遠隔地の分家にタイムカプセルのようにオリジナルが失ったものが残る現象を想定しよう。お互いに攻め合って遺恨を残している国々が厭戦・和議への道を模索する際、遺恨が薄くプロトタイプを保持した者が選ばれないだろうか。

2012-07-21 22:39:46
じねん @jinensai

そういえば東の辺境(大和盆地)に昔ながらの(当世風ではないが、かつては皆がやっていた)鬼道に通じた女王がいるそうだから、その人物が(厄介で暗殺対象として狙われやすい)全体の王として据えられるのであれば、我が国はその決定に従おう、という筋道である。

2012-07-21 22:45:06
じねん @jinensai

かくて卑弥呼が共立されるわけだが、統治基盤が東の端っこではいかにも不都合だ。陸路・海路・通信手段が圧倒的に不備。一番簡単なのは、それらのインフラや既存設備が完備されている首都圏・九州北部へ卑弥呼とブレーン(弟)、側近、護衛の屈強な近衛兵の朝廷セットが大和盆地から出張することだ。

2012-07-21 22:53:02
じねん @jinensai

むろん、朝廷セットが九州へ出張してしまえば大和盆地に入植した現在の本貫地がピンチだが、留守居は当然いただろうし、大和盆地の他の氏族にとっても東の辺境の代表の誉れだから軽々に攻撃は行わない。後は不定期にでも卑弥呼がお忍びで本貫地に戻ってきてくれれば統治に支障はない。

2012-07-21 22:58:38
じねん @jinensai

ミステリ脳で思索を進めると、卑弥呼が弟としかコミュニケーションをとらない神秘の存在である必然とは、首都で政務を執っている間は本貫地では側近が空の屋敷に(あらかじめ何種類も占っておいた)託宣を受け取りに行き、首都を空にする際は、弟が同様に託宣を受け取りに行くことにすれば良い。

2012-07-21 23:05:55
じねん @jinensai

『萬葉集』にしばしば出てくる「やまと」の枕詞「そらみつ」(虚見津、空見津)とは、この「主がAに存在していると見せかけて遠隔地のA'に存在している」という単純なトリックを評したものではないだろうか?

2012-07-21 23:12:47
じねん @jinensai

そして、この特異な統治機構の仕組みの報告が不十分だったか記録した者の理解が及ばなかったため、魏略に新着情報を追加更新した魏志倭人伝において「女王国(卑弥呼の駐留する首都)」への行程と「邪馬壹国(卑弥呼の本貫地)」への行程(水行十日陸行一月)が混在することとなったのではないか?

2012-07-21 23:24:55
じねん @jinensai

証拠固めが不十分なので、とりあえず今のところはこんな段階の思索です。(うん、大分思索が進んできたな…。)

2012-07-21 23:26:39
じねん @jinensai

ちなみに以前の思索はこんな感じだった。→いわゆる「邪馬台国」について現状考えていること http://t.co/WQHU8NHP

2012-07-21 23:44:07
じねん @jinensai

銭湯サウナ脳内円卓会議の議題は久々に邪馬台国。昨夜と今日「さかのぼり日本史」を二度見したが、大分マシな方に舵が切れてきたように感じる。「積み木細工のような小国連合」とはなかなか良い表現だ。遼東半島の公孫氏にスポットを当てているのも良心的。

2013-03-20 21:16:52
じねん @jinensai

「中平」銘刀の出土した東大寺山古墳が「天理市」なのを省いたのはワザとなんだろうか…(つい深読み)。真偽が確定してないが河内・和泉辺りで銀印も出土してるし、西日本あちこちの有力王族が(侍ジャパンじゃないが)遣使の際に合同チームを組んでいたと考えても不思議ではないと思うんだが…。

2013-03-20 21:24:59
じねん @jinensai

邪馬台国続き。つまり何が言いたいかというと、古代から近世(江戸末期)まで、日本の歴史の基調は「割拠」ではないかということだ。相攻伐して疲弊・厭戦気分が蔓延すると王を「共立」するという繰り返しのダイナミズムが働いている。その際手本となったのが女王と男弟王のコンビという「型」である。

2013-03-20 23:44:16
じねん @jinensai

寝落ち後、一瞬脳味噌がクリアになるので少々備忘メモ代わりにツイート。(日曜だし大丈夫だろう)

2013-03-24 04:01:29
じねん @jinensai

「さかのぼり日本史」邪馬台国回で「帥升等」の「等」に注目してたのは評価出来る。遣使団が小国連合の合同チーム(侍ジャパン的な)だとした場合、その下限が問題だと思う。私は最近の掘り下げで、それは遣唐使までくだるだろうと推定しているのだ。

2013-03-24 04:08:05
じねん @jinensai

小野妹子や犬上御田鍬などの回が極端に遣使された使人の陣容が薄いのが前から気になっていたのだが、要は彼らは合同チームの一員で、遣使を主催した王朝のメンバーではないと考えれば腑に落ちる。むしろ必要最小限の人員を強いられ肩身の狭い思いをしてたのだろう。

2013-03-24 04:15:13
じねん @jinensai

有名な「国書」盗難事件(妹子が百済通過の際掠め取られたと証言)も「国書」は持参してたかも知れないが主催王朝(九州倭国か蘇我王朝かは現在思索中)を差し置いて頭越しに唐と遣り取りするわけにもいかなかったろうし、そもそもなかった可能性も高い。

2013-03-24 04:23:48
じねん @jinensai

小国連合の一員として関与はしていたが、それはあくまで「等」であり「従」である。それをあたかも自らの主催であったかのようにテキスト改変しているのだ。つまり「日本書紀」は実態を歪曲して近畿天皇家を観念的上位者とした「叙述トリック」を駆使している。

2013-03-24 04:36:58
じねん @jinensai

例えるなら徳川家が三河の土豪に過ぎなかった頃から日本を統治していたかのように叙述したということになる。それは実態とは違うと言うのが歴史家の「常識」ならば、その論理を「日本書紀」にも適用しなければならない。この論理の一貫性のなさこそ宿疴の正体だと思う。

2013-03-24 04:47:07
じねん @jinensai

従って神功皇后紀に卑弥呼と壹与の遣使記事が(注の引用の形で)ごったに記述されているという点から見ても、卑弥呼・壹与と近畿天皇家は別の王朝・家系であることはむしろ明白だと思う。「叙述」で誤魔化しきれない「遠さ」がそこにはある。

2013-03-24 05:03:36