二次元と三次元の壁とか、聖地巡礼に関する雑感

TLに流れてきたツイートを見ながらぼうっと呟いたものです。なお導入部分の@teramatさんや@SpANK888さんのツイートはちょっと切り取り過ぎているので、これだけ見て批判などはナンセンスかと思います(自分が切り取っておいてなんですが)。 関連するかもしれない: NHK「クローズアップ現代」を見て佐藤順一、錦織博両監督の感想  http://togetter.com/li/269207 続きを読む
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てらまっと𝕏 @teramat

呼ばれてもやることがないからといって、無理に背伸びして恥をかくのではなく、日常をできるだけ延長し、モバイルする方向を目指すべきだ。旅先の旅館でいつも通りアニメを見る子供のように。だがどうしたってそこには、変形と歪曲がともなう

2012-07-22 14:18:34
てらまっと𝕏 @teramat

非日常をそれとして満喫するのではなく、非日常と日常の曖昧な境界にフォーカスすること。「とくにやることは決まっていない」「話の流れで」「半ば強制的に」という前提を最大限活かせる選択肢は、日常のモバイル以外にはありえないと思う

2012-07-22 14:26:00
てらまっと𝕏 @teramat

そこで僕がいま考えているのは、離島のビーチにテレビを設置し、ニチアサを観賞して帰ってくるというもの。作品を制作するのでも、リゾートを満喫するのでもなく、ただみんなでテレビを見る。コンテンツを生み出すのは無理だから、外部委託する

2012-07-22 14:36:13
てらまっと𝕏 @teramat

そのための電気まで作れれば理想的。現地の子供と一緒に見られれば最高。あと別にニチアサじゃなくてもいいかもしれない

2012-07-22 14:41:34
すぱんくtheはにーMk-Ⅱ @SpANK888

てらまっとさんの言う「非日常と日常の曖昧な境界にフォーカスすること」を反転させ、「ただの日常を送ってるだけなのに、非日常にコミットしてる(そこに自覚のある/なしはあっても無くてもいい)」というのが結構自分のやりたい事だったりする。

2012-07-22 15:18:08
すぱんくtheはにーMk-Ⅱ @SpANK888

例えば、美しい夜景を見て感動する恋人達がいる。 でもその夜景を構成している「街の灯」は、人々がただ普通の日常を送っているだけの結果だ。 それでも「恋人達の非日常」に自覚なくコミットしている/させられている。

2012-07-22 15:20:08
すぱんくtheはにーMk-Ⅱ @SpANK888

「もう戻れない場所」をモバイルすることは、恒久的に失われたものを「持ち続けなければ」ならない事と表裏で、それはコストだったりストレスになりかねない。 だから日常に埋没させ、必要な時だけ起動できる「非日常」という持ち運び方をしなくてはいけないのだ。

2012-07-22 15:23:38
すぱんくtheはにーMk-Ⅱ @SpANK888

と、いうようなことを近いうちにまとめて書こうと思ってるんだ。

2012-07-22 15:27:09
ちゅん @thun2

半額弁当を買ったらベントーの世界に入っている感じですかね。

2012-07-22 15:21:33
ちゅん @thun2

わたしゃ頭が悪いので真意は分かりませんが、ふと二次元の世界と同化したいと考えた時に、三次元側へ引っ張ってくるということをしたい時、アイテムに頼ったりはする。キャラクターと同化するよりもちょっとだけレベルを下げて、半額シールを見てニヤニヤしたり、ドクペを見てニヤニヤしたり

2012-07-22 15:23:52
ちゅん @thun2

そういう意味で聖地(場所)なんかは行ってみて自分の側に作品を引っ張ってこれるのかどうかというのは結構重要なんですよね。例えば聖地に行って「やっぱりアニメと現実は違うな」と思うことはあるけれど、例えばその「景色」自体が素晴らしいものであった場合は、わりと行ってよかったなぁって思う。

2012-07-22 15:28:09
ちゅん @thun2

その場合その聖地が「アニメとしての聖地」だから良いのか、景色そのものが良いのか、は結構迷うことはある。多分両方でもっと言えば相乗効果なんだろうけれども、それは私が今まで行ったことのある聖地がそれなりに良い景色だから、というのも影響していると思うんです。白川郷も花いろの西岸駅とか

2012-07-22 15:30:32
ちゅん @thun2

でも例えば、そこら辺の都市例えばレールガンの多摩に行って都市を眺めた時に果たして本当に「行ってよかった」と思えるかどうかは結構微妙だとも思ったりするんですよ。つまり聖地巡礼っていうのは聖地巡礼という名前にかこつけただの観光をしているだけというような感じ。本当かどうかは知りませんよ

2012-07-22 15:32:37
ちゅん @thun2

でも例えば、パパ聞きで使われたカラオケ店にもし行ったとしたら凄くうれしくなる気はするんですよ。これを聖地巡礼と呼ぶかは人次第だろうけれど。最近の聖地巡礼は結構「景色」だとか「観光名所」に依っているところがあると思っている。

2012-07-22 15:34:19
ちゅん @thun2

でも更に踏み込むと、その作品に対して自分がどれだけ入れ込んでいたかということでもあるんですよね。だからパパ聞きのカラオケ店が人によっては「聖地()」となるかもしれないし「いやぁ何か感動するなぁ」となるかもしれない。

2012-07-22 15:35:05
ちゅん @thun2

私が制作側から聖地をプッシュしすぎていることに対してあまり良く思わない理由の一つにそういう「良い所!」を勧める傾向があるからなんですよ。間違ってもパパ聞きのカラオケ店を聖地として勧めないでしょ? だけどそういうところに意義を見出す人も居る。そういう部分を無視しているように思ったり

2012-07-22 15:37:42
ちゅん @thun2

何が言いたいかというと、やはり作品に対する想いからいろんなことが発生して欲しいという想いがあるということなんです。作る側とか地域にしたらまぁそんな事は言ってられないかもしれないけれど。やるな、ではなくて、押し出しすぎることは、ちょっとやめてほしいなと気持ち的には思ったりするのです

2012-07-22 15:39:57
ATTO @sky_of_moonlit

聖地ってのは自己を作品の中に投影するためのものであって、作品を現実に投影するためのものじゃないんだよね。

2012-07-22 15:45:50
ATTO @sky_of_moonlit

本質的な話をすればだけど。

2012-07-22 15:46:11
ATTO @sky_of_moonlit

虚構を現実にするのはすごく大変なんだよね。その一方で逆は比較的楽だから製作者側も現実の世界を作品内に落とし込みがちになる。

2012-07-22 15:49:06
ATTO @sky_of_moonlit

本当は虚構と現実をうまく混ぜあわせられるといいんだけど、なかなかうまくいかない。

2012-07-22 15:54:06
ATTO @sky_of_moonlit

現実に投影されうるような虚構しか楽しめない視聴者なら世間一般で言うリア充を目指した方がいい。

2012-07-22 15:57:16