【三国志】第四次北伐-諸葛亮の北伐、祁山会戦

実は司馬懿は諸葛亮のことをよく理解していた。 第四次北伐の司馬懿は、諸葛亮の考えを見通した上で行動しようとしていたのだ。 だが、諸葛亮は更にその上を行っていた
歴史 諸葛亮 北伐 祁山 司馬懿 三国志
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Jominian @Jominian
5月にした、諸葛亮の第一次北伐に関するツイートは、もっと注目されてもいい、と思うのは自惚れか?斬新ではあるが、ある程度の説得力を持たせてると思う
Jominian @Jominian
地理に対する理解が深まると、戦役の考察も深みを増す。隴右のエキスパートになれば、北伐の考察は、その完成度を大きく高められるだろう
Jominian @Jominian
実は、第四次北伐の司馬懿も、相当巧みに軍を動かしている。何より、第一次北伐をよく研究している。
Jominian @Jominian
第四次北伐は、追撃中止の進言のせいで、張コウが終始司馬懿より正しい判断で行動していたように思っている人がいるが、事実はそうではない。
Jominian @Jominian
司馬懿は、雍やビに軍を置いて敵に備えるべき、という張コウの進言をまず蹴る。この判断は正しい。諸葛亮という人を理解していれば、こんな危惧は不要だからだ
Jominian @Jominian
そして、隴右に出ると、軍を二手に分け、張コウには街亭から略陽へ向かわせ、自身は真っすぐ南下して渭水を目指した。これが、司馬懿が諸葛亮を知っていたことを示している
Jominian @Jominian
さて、なぜ、隴右において軍を分けたことが、司馬懿が諸葛亮を知っているということになるのか?これは、諸葛亮の第一次北伐 http://t.co/GWAlp08U を考えると分かる
Jominian @Jominian
諸葛亮は第一次北伐において、街亭に軍を置いて敵を清水方面に誘導することで、強固な陣地を敵に攻めることを強いようとした。司馬懿をそれを知っていたので、隴右に入ると一軍を街亭へと進ませつつ、上邽に籠もる郭淮らを救うため急ぎ渭水へと向かったのだ。
Jominian @Jominian
この道の繋がり方を見ると、王経が為翅と祁山で姜維を防ごうとした時に、魏の勢力がどれだけ押し込まれていたかが分かる
Jominian @Jominian
司馬懿が張郃を街亭に行かせたのは、彼が三年前にその戦場を経験しているから。そして、街亭、略陽と繋がる道を通ることで、上邽に居るであろう諸葛亮を後方から脅かすため。だから、渭水に着いた時、司馬懿としては諸葛亮に攻め掛けられては困る状況だった。司馬懿は張郃を待ちたかったから
Jominian @Jominian
司馬懿が、強行軍で渭水に着いた自軍に諸葛亮が攻撃を掛けないのを見て、諸葛亮が冒険を嫌う性質であるが故に与しやすいと思ったわけだ。司馬懿には待っていれば張郃の援軍があり、その張郃は諸葛亮の後方を遮る場所に出るはずだった
Jominian @Jominian
しかし、諸葛亮の神算は、司馬懿の上を行っていた。諸葛亮は第一次北伐を微妙にアレンジした戦略で戦っていたのだ。彼は上邽近傍の麦を刈り取ると、司馬懿相手に粘ることなくさっと退いた。これでは張郃の機動は意味をなくし、退く諸葛亮を尻目に張郃と司馬懿は合流することになる
Jominian @Jominian
張郃と司馬懿は上邽で合流し、郭淮らを迎え入れ、更に諸葛亮を追撃する。最初の作戦は失敗し、諸葛亮の意図は読めないが、祁山を救えていない以上、彼らは前進を続けなければならなかったのだ
Jominian @Jominian
祁山へ向かうと、諸葛亮が川を利用した堅固な陣地を築いていることに気付く。また、上邽からこの城までの途上に食料は無く、次の収穫まで持つような食料は手持ちには無い。司馬懿は焦ったはずだが、ここまで来ては腹を括り、諸葛亮と根比べをするしかない。食糧事情は蜀の側も決して良くないはずだと
Jominian @Jominian
しかし、祁山の軍は、救援の軍が目前に迫りながら動かないことに納得がいくはずがなかった。司馬懿に再三攻撃を迫り、それに応じてか部下も攻撃を求めだす。司馬懿も動かざるを得なくなった。
Jominian @Jominian
こうして諸葛亮攻撃が行われたが、結果は惨憺たるものだった。戦略状況の変化から街亭に軍を派遣できないため、上邽ではなく、その後方での決戦に切り替えた戦略を練った諸葛亮の目論見通りである。
Jominian @Jominian
司馬懿は攻撃に失敗したものの、依然として軍としての能力を保持し続けた。そして、当初の予定通り、諸葛亮との根比べに入った。これは実は、諸葛亮の方に分があり、そのままいけば司馬懿は退かざるを得なかったのだが、その状況を郭淮が救った
Jominian @Jominian
郭淮は羌族から食料を調達し、諸葛亮の食料が尽きるまでの時間を司馬懿の為に稼いだのだ。結局、秋になって諸葛亮の方は食料が尽き、後方の李厳と相談して撤退を決めたのだった。
Jominian @Jominian
司馬懿は、諸葛亮の撤退が万策尽きた上の撤退であると考え、追撃を実施しようとした。諸葛亮の意図が、魏側の食糧不足を以って堅固な陣地に攻撃を掛けさせ、更に食料が尽きて撤退するところを攻撃しようとすることにあったのが明白だったからだ。司馬懿の判断は妥当である
Jominian @Jominian
しかし、諸葛亮は更に奥の手を用意していた。退路となる険しい道に兵を伏せ、追撃した敵への逆撃を準備していたのだ。しかし、奥の手と言っても、これは撤退を安全にする為の手であって、積極的に魏軍を撃ち破ろうとするものではない。結果的には諸葛亮の敗北に変わりは無かった
Jominian @Jominian
司馬懿を撃破し、張郃を撃ったことで気勢を上げたが、この第一次北伐のアレンジである第四次北伐も、最終的には失敗し、勝者としての栄光は司馬懿の手に帰した
Jominian @Jominian
また諸葛亮を褒めてしまった。そろそろdisもしなきゃならないのに
Jominian @Jominian
祁山会戦 http://t.co/2QSmX2Q6 第四次北伐 http://t.co/I4gBh8FY 昼間に話したので、ブログの当該記事を。この頃は、まだ要衝の位置を誤解している。しかし、基本的な部分は変わっていない。

コメント

Jominian @Jominian 2012年7月22日
まとめを更新しました。
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