ホラー映画の考察 ―恐怖の対象の可視化というジレンマ
ホラー映画はしばしば、恐怖の対象をいかに可視化するかという問題に直面する。例えば、幽霊や怪物というのは目に見えない間は非常に怖い存在だが、一度姿を現すと恐怖感は一気に薄れる。得体の知れない存在は恐ろしいが、その存在を可視化したことで恐怖が克服される、というジレンマを抱える。
2012-07-27 19:46:38多くのホラー映画にとって、このジレンマは克服困難であり、実際に克服できていない。典型的な例が『呪怨』だ。物静かな家屋で次々と人が消えて行く不条理、不気味さ、閉塞感はなかなかなのもの。しかし終盤で唐突に現れる伽倻子を目にした瞬間、どうだろうか。
2012-07-27 20:12:33ああ、これが伽倻子か。それ以上は恐怖が増すことは二度とない。あとは彼女の姿に慣れていくだけだ。目に捉えた瞬間から克服の過程に入る。これが『呪怨』の越えられなかった壁である。
2012-07-27 20:15:43一方で、このジレンマを逆手にとり、巧みに恐怖を演出した映画もある。『着信アリ』がそれだ。死の伝染から逃れられない恐怖を、着メロという音を使って聴覚に訴える。終盤にはそれらしきものも出てくるが、聴覚への恐怖がこの映画を圧倒的に印象づけている点で、ジレンマをうまくかわしたと言える。
2012-07-27 20:28:47古いものだと『エイリアン』もそうだ。船員が次々と襲われて恐怖が募るが、絶対に最後まで姿を見せない。完璧な見せ方という他ない。最後にはとうとう姿を見せさすがに恐怖感は薄れるものの、どうあがいても太刀打ちできない圧倒的な絶望感を放ち、恐怖の対象としての威厳は保っている。
2012-07-28 01:56:41逆に、このジレンマに真正面から挑み完全に打ち勝ったのが『リング』だ。この映画の最大な見所は言うまでもなく貞子がTVから這い出てくるシーンであり、日本のホラー映画史上最も有名な場面と言っても良い。
2012-07-28 02:05:26この意味は大きい。本来克服されるべきである貞子の登場場面が、逆に最も恐怖を植え付ける場面として多くの人々に記憶され共有されている。つまり、我々が貞子に対して感じる恐怖は永遠に克服不可能なのである。勿論個人レベルの克服は可能だが、集団全体の認識は覆せない。
2012-07-28 02:19:54この点こそ、『リング』が偉大な所以である。死の伝染という設定が似ている『着信アリ』との最大の違いもここにある。今後10数年は、この「完全克服型」の映画は出てこないのではないか。、
2012-07-28 02:27:13