2012年7月28日ポーラ美術館館長・荒屋鋪透による記念講演会「コレクター鈴木常司 美術館の夢」

2012年7月28日に開催された10周年記念展記念講演会の生中継まとめです。 ルノワールや日本の洋画家に関する著書で知られる館長・荒屋鋪透が、日本の戦後最大の知られざるコレクター鈴木常司について語りました。
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ポーラ美術館 @polamuseumofart

本日14時からポーラ美術館館長・荒屋鋪透による開館10周年展記念講演会「コレクター鈴木常司 美術館の夢」を開催します。行きたいけど行けない!方のために、14時から生中継ツイートを行います。ご興味ある方は是非見て下さい!

2012-07-28 13:21:51
ポーラ美術館 @polamuseumofart

ポーラ美術館館長・荒屋鋪透による講演会が始まりました。 当館のコレクション9500点を集めた鈴木常司の紹介と、10周年記念展「コレクター鈴木常司 美へのまなざし」展をどのように準備したかということをお話します。宜しくお願いいたします。

2012-07-28 14:03:43
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コレクターの紹介をするときに重要なことが2つあります。 1つは、どのようなきっかけでコレクションしたかということ。2つめは、コレクションの特徴がどういうものか、ということがということです。

2012-07-28 14:04:41
ポーラ美術館 @polamuseumofart

ただ、当館コレクションを集めたコレクター鈴木常司がコレクションを始めた「きっかけ」を探ることは、なかなか難しいことでした。 なぜなら、鈴木はポーラ美術館が開館する前に亡くなり、あまりコレクションに関して言葉を遺していなかったからです。

2012-07-28 14:06:37
ポーラ美術館 @polamuseumofart

本展を準備し始めたのは2009年5月から。鈴木常司と関わりが深かった人物にインタビューすることから始めました。会社の関係の人、友人、お付き合いのあった画廊など。生きていれば80を越えた鈴木の関係者に話を聞くことは今のうちにしかできなかったことでもあります。

2012-07-28 14:08:16
ポーラ美術館 @polamuseumofart

鈴木がコレクションに関して残した言葉の数少ないもののひとつとして、「ビックエー」という雑誌でのインタビューがあります。岡鹿之助の作品を特に好きだと語っています。

2012-07-28 14:09:23
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コレクションを初めて買ったのは、静岡県の田中屋というデパートです。フジタの《誕生日》と荻須高徳の《バンバラ城 》を買いました。これが田中屋。1931年の頃の写真です。 http://t.co/Dh9dWAtY

2012-07-28 14:11:17
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1958年に田中屋で作品を買う4年前、1954年、静岡新聞の記事で「静岡県民会館」に梅原龍三郎、安井曾太郎ら、「日本洋画代表作家展」という展覧会が行われ、そこに鈴木が訪れていたことを、日動画廊の社長が証言しています。

2012-07-28 14:15:51
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スライドでは、静岡県民会館で行われた展覧会の記事を紹介しています。鈴木がコレクションを始めたきっかけは、「静岡県民会館」で行われた展覧会を訪ねたこと、田中屋で行われた販売を目的とした展覧会を訪れたことが大きいようです。

2012-07-28 14:18:31
ポーラ美術館 @polamuseumofart

コレクションの第一号となったフジタの《誕生日》と荻須の《バンバラ城》は全く性格の異なる作品です。鈴木がなぜこの2点を選んだのか、そのことをご紹介していきます。

2012-07-28 14:21:15
ポーラ美術館 @polamuseumofart

鈴木の生いたちを紹介しています。その中で母美千代の日記が紹介されています。「ある日鈴木の学校帰りが遅く心配したことがありました。いつも自転車で学校に通っていたのですが、自転車が盗まれてしい、4里離れた学校からとぼとぼ歩いて帰ってきました。」

2012-07-28 14:25:24
ポーラ美術館 @polamuseumofart

鈴木は立教大学卒業後、アメリカに留学。この留学は5,6年の予定でしたが、留学後まもなく父が51歳の若さで急逝、帰国しました。

2012-07-28 14:27:35
ポーラ美術館 @polamuseumofart

ポーラを創業した鈴木常司の父、鈴木忍の紹介です。戦時下、忍はポーラ苦労しながら経営していたわけですが、このポーラという社名は戦時中、敵性語とされ、再三社名を変えるように求められましたが一切応じなかったといいます

2012-07-28 14:31:21
ポーラ美術館 @polamuseumofart

鈴木はこういった状況の中で、アメリカへ留学します。焦土と化した日本を目の当たりにした若者がアメリカの地に降り立った時の気持は如何なるものだったかと想像します。 http://t.co/IA85tgrY

2012-07-28 14:35:14
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鈴木が最初に留学したのはウィリアムズカレッジという学校でした。経営学を学びにいきましたが、建築にも興味があったようです。この頃鈴木は学校から帰ると直ぐに就寝し、夜中に勉強するという生活を送っていたようです。(留学時の親友談)

2012-07-28 14:38:28
ポーラ美術館 @polamuseumofart

父の急逝の知らせを受け、23歳の鈴木は帰国。当時静岡・草薙に建設中であった工場の建設に尽力しました。ヘルメットも被らず、足場を登り現場に立ち会ったそうです。

2012-07-28 14:41:49
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この草薙の工場は当時アジアでも一番の生産能力を持つ工場で、その前にポーラが持っていた町工場の10倍の規模がありました。この工場を建設するために当然ポーラは借金をしたことになります。鈴木の仕事は借金を返済することから始まりました。

2012-07-28 14:45:09
ポーラ美術館 @polamuseumofart

こういったことがコレクションを収集することと何が関係するのかと思う方もいらっしゃるかもしませんが、大きく関係があるのです。

2012-07-28 14:47:21
ポーラ美術館 @polamuseumofart

留学を中断し、父の会社を次がねばならなかった若者は、外国への憧れを強く持っていました。そのため当時、パリで芸術家のアトリエ写真や肖像写真などで活躍していた阿部徹雄という写真家と交流しヨーロッパの写真を長い時間みせてもらうなどのことをしていました。

2012-07-28 14:52:10
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こういった外国への憧れが、当時パリで活躍していたフジタや荻須などの作家を選ばせたのかもしれません。

2012-07-28 14:54:20
ポーラ美術館 @polamuseumofart

この1958年のコレクション第一号から、約40年コレクションを続けることになるわけですが、鈴木がコレクションをする中で一つ重要な要素となるのが彫刻への興味です。

2012-07-28 14:58:51
ポーラ美術館 @polamuseumofart

今日はパソコンでバックヤードにきているのですが、パソコンの動きが重くなってきました・・・中の人の頭も重くなってきています・・・

2012-07-28 15:01:24
ポーラ美術館 @polamuseumofart

コレクターの彫刻への興味へ戻ります。1971年にポーラ五反田ビルが完成したのですが、これはパレスサイドビルも手がけた林昌二氏によるものですが、このビルに飾るための彫刻を集めました。これもそのうちの一つです。 http://t.co/kL8k5vEQ

2012-07-28 15:03:31
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五反田ビルができた年に印象派のコレクションの第一号であるドガのパステルを購入しています。 http://t.co/K1NcV6Ir

2012-07-28 15:04:35
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コレクションの特徴にうつります。当館のコレクションの特徴は「作品がまとまって収蔵されている」ということです。例えばピカソは19点、モネも19点、ルノワール16点、杉山寧43点などなど・・・

2012-07-28 15:07:51