門外漢

自分用まとめ。
1
高橋源一郎 @takagengen

「午前0時の小説ラジオ」・「門外漢の言」1・そもそもの始まりは、おれが大江麻衣さんという無名の詩人の詩をツイッター上で呟いたことだ。おれは、その詩は読まれるべきだと考え、実行した。それは大きな反響を呼び、偶然それを読んだ「新潮」の編集長は、ただちに大江さんに連絡をとった。

2010-07-11 00:01:46
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」2・そして、大江さんは処女詩集そのものを編集し直して、「新潮」に掲載された。おれは単純にいい話だと思うんだが。ところが、ここから奇々怪々な話が始まったんだ。まず、「若手の詩人たち」が激怒している「らしい」という話が飛び込んできた。「らしい」っていうのが変だろう?

2010-07-11 00:03:49
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」3・なぜ「らしい」かっていうと、その連中が直接おれに文句をいってきたんじゃなく、その「代理人」らしい詩人が文句をいったきた。なぜ「代理」かというと、おれが中原中也賞(という詩の賞)の選考委員で、文句をいってるやつの中に、その賞の受賞者やこれからとるかもしれないやつ……

2010-07-11 00:05:59
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」4・つまり「利害関係者」がいるからっていうんだ。おれは爆笑したぜ。セコい…。まあ、そんなことで怒るほどおれは子どもじゃない。でも、その批判というのを聞いて、今度はたまげた。その批判の対象は、おれのツイートの一つ、それから大江さんの詩の解説の一行だったからだ。

2010-07-11 00:07:54
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」5・その短さが問題じゃない。その連中は、おれがいままで詩について書いたものをろくに読まずに批判してるんだ。まともに読んでれば、そんな批判出てこないだろうに。おれは古い世代の人間だから、誰かを批判する時には、そいつの主要著作ぐらい読んでからするものだと思ってるけど。

2010-07-11 00:10:03
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」6・ところがいまやツイッター上で一言漏らしただけで、嚙みついてくる。それがふだん言っていることならいいだろう。でもふだんとまったく違うのだったら、当人の考えが変わったか、ある文脈で「反語的表現」を使ったのかどちらかだ。おれの本を読んでなくてもその区別くらいできるだろ。

2010-07-11 00:12:49
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」7・「勘違い」して罵詈雑言を呟いた代理人には、「勘違いだよ」と丁寧に指摘しておいたから、今頃、恥ずかしくて死にそうになっているかもしれない。でも、そんなの、おれの知ったことじゃない。問題は、もう一つの方だ。その一行について、説明したい。

2010-07-11 00:15:04
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」8・おれはこう書いた。「みんなが『書きたい詩』を書いている中で、大江さんは『書かれるべき詩』を書いたのだ」と。それに対して、おれに文句をつけるやつは、とすべての詩を読めるはずもないのだから「みんな」というのはおかしい、「少なからぬ詩人が」にすれば問題はない、といった。

2010-07-11 00:17:37
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」9・それどころか、おれが大江さんを推薦しようとするあまり、つい言葉がすべったのだろうと親切に心配さえしてくれた。残念だが、「言葉」がすべった」わけじゃない。おれは、考えに考えて、ああ書いた。「少なからぬ」なんて、甘い表現では、なにも伝えることができないと思ったからだ。

2010-07-11 00:19:36
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」10・だから、おれは、これから、おれがその一行を書いた理由について話したい。そこには、おれが「文学」というものに触れておよそ半世紀近く、考え続けてきたことのエキスと言ってもいいものが含まれているからだ。

2010-07-11 00:21:26
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」11・おれが現代詩に初めて触れたのは13歳の時だ。その時、おれは初めて文学に触れたといっていい。それからざっと45年、おれはいまでも現代詩を読み続けているが、いったいどのくらい読んだんだろう。さすがに最近では新刊の詩集は年に100冊ほどに減ってしまった。

2010-07-11 00:23:08
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」12・たとえば「現代詩文庫」の最初の100人ぐらいなら公刊された詩はほとんど読んでいるだろう。おれは、生涯に読んだ詩集の数を計算しようとしたことがある。5千冊と1万冊の間でたぶん後者にかなり近いんじゃないだろうか。それでも「ふだん詩を読まないのに威張るな」といわれるが。

2010-07-11 00:25:14
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」13・おれはそうやって詩を読みながら不満をつのらせていった。だが、困ったことに、その不満の理由が長い間わからなかった。おれの感受性がもう古いのだろうか? それとも、詩の方がおかしくなったのか? おれが、自分に対して説明できるようになったのは、最近のことなんだ。

2010-07-11 00:26:35
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」14・ところで、1990年代に入った頃だ。おれは『ゴーストバスターズ』という小説を書き始め、そして作家として深刻な危機に陥った。おれは確かに「書きたい小説」を書いていた。しかし、おれが書いているのは、ほんとうに「書かれるべき小説」なんだろうか、という声が絶えず聞こえた。

2010-07-11 00:28:35
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」15・もちろん当時のおれは「書かれるべき小説」なんて言葉は使っていなかった。「おれの小説に、ただ書きたい小説、という以上の意味や価値があるのか」と思ったんだ。つまらない悩みだというやつもいるだろう。そんなことで悩んでいる暇があったら、無心で書け、と。

2010-07-11 00:29:58
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」16・おれには、それができなかった。その声を無視できなかった。だが、それは、なにかを表現しようとする者が必ず聞いてしまう問いだと思う。「ただ絵を描く」「ただ曲を作る」「ただ小説を書く」「ただ詩を書く」、その先に、それ以上の「有用性」が問われるのだ。

2010-07-11 00:31:22
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」17・だが、その「有用性」は、「売れる」とか、「人に知られる」ということを、直接には意味しているわけではないことを知ってほしい。困惑したおれは、それでも小説を書きたかった。小説を取り上げられることは、おれにとっては死を意味していたから。

2010-07-11 00:32:38
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」18・だから、おれはおそろしくアホなことを始めた。近代日本文学がこの百数十年でどのように変化していったかを「すべて」調べ、それがどこに向かおうとしているのかを調べ、その流れの中で自分の小説がどこにいるのかを探ろうとしたのである。バカだ、こいつ……。

2010-07-11 00:34:32
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」19・1997年に「日本文学盛衰史」の連載を始めてからずっと、おれは、近代日本という時代、その時代と共に走り続けている「日本語という共同体」について読み、眺め、考えている。『日本文学盛衰史』550頁、『ニッポンの小説』450頁、(未刊の)『ニッポンの小説・2』700頁。

2010-07-11 00:37:04
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」20・そしていま連載中の「日本文学盛衰史・戦後文学篇」まで、おれはざっと5千枚も書いてきた(捨てたものも多い)。そして、なんとか、この「日本語という共同体」について、おれのイメージを掴めたと思っている。「でも、日本語をすべて読んだわけじゃないでしょ」なんて言うなよな。

2010-07-11 00:39:18
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」21・その5千枚は、おれの、「言語」に関する「資本論」だ。そんなものなしでもいくらでも書けるやつは書けばいい。おれには無理だと言ってるだけだ。誰もおれにはっきりとは説明してくれなかっので、おれは自分に説明するために、長大な「資本論」が必要だったんだ。

2010-07-11 00:41:05
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」22・おれの「日本語という言語」に関する「資本論」は、小説と詩を両輪としている。それに短歌が少々。俳句には手が回らなかった。それでもおれには十分だった。そこでおれが独力で発見したのは、ある意外な事実だった。小説では90年代以降、短歌では80年代から暫時90年代にかけて…

2010-07-11 00:43:33
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」23・ある特殊な作品群が、「現在の本質を呼吸していて、その作品を読むことで、この時代の息吹を嗅ぐことができる」作品群が出現する。小説では、阿部和重、中原昌也、舞城王太郎から最近では東浩紀、短歌では、穂村弘から斉藤斉藤へ至る一群の歌人たち。

2010-07-11 00:46:25
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」24・おれは、そんな作家や歌人の作ったものを「書かれるべき小説」、「書かれるべき短歌」だと考えている。だから正確にいうなら、それらの作品群は「現在を生きる多くの人びとが、その生について問おうとする時、本質的な応答の可能性を持った表現」と言い換えてもいい。

2010-07-11 00:48:10
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」25・そして、残念なことに、現代詩においては、その意味での「書かれるべき詩」は少ない。それが、表現としては新参者の小説が「現在」に深く関わる表現であるのに対し、人類と共に長い歴史を持つ「詩」は、「現在」より「言語」そのもの、あるいはもっと超越的なものに関わる表現だから…

2010-07-11 00:50:41