周辺から見る60年安保――加太こうじ「あんちゃんのゼネスト論」(1960年)より

 1960年、日米安全保障条約の改定をめぐって、日本中で反対運動が大きな盛り上がりを見せました。ひとびとはどのような思いから運動に参加したのでしょうか。  これまでは抗議やデモにかかわってきた方々の証言や記録を紹介してきました。これからは抗議やデモに参加していなかったひとびとや傍観者にとどまったひとびとの見解をとりあげてみましょう。今回は、『思想の科学』誌に掲載された葛飾区在住の一市民への聞き取りを紹介します。 出典: 『思想の科学』1960年7月号(特集:市民としての抵抗) 続きを読む
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dabitur @dabitur

[paper] 今日はこのへんいっとくかな / 加太こうじ(1960)「あんちゃんのゼネスト論」 『思想の科学』1960年7月号, pp.94-6 http://t.co/itmVgZMT

2012-07-30 01:49:28
dabitur @dabitur

「安保批准阻止の大きなデモがあった夜である。*顔を見ようと思って帰路をまわり道して葛飾区H町へいった。あんちゃんとは、彼の妹がそういっていることから、私もついいいならしてしまった、つまり異名である」(加太こうじ(1960)「あんちゃんのゼネスト論」, p.94)

2012-07-30 01:51:05
dabitur @dabitur

「K電鉄のガードをくぐると、九時前だというのに大通りは妙にさびれた感じで*さむざむしい。横丁へはいって二、三度曲ってあんちゃんのアパートへ着いた。階下の二畳と三畳のふた間つづきが彼の部屋である。奥の三畳に三人の子供が枕を並べて寝ていた」(ibid., p.94)

2012-07-30 01:51:53
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「甘辛せんべいにお茶が出ると、あんちゃんは*私にいった。『なんにもなくて気の毒だね、先生。今夜はわざわざ来てくれたのかい』私が安保反対のデモの帰りだというと、彼は食べかけていたせんべいを置いてきいた。『俺がデモに行ったら先生の方じゃア、いくらくれるんだい』」(ibid.)

2012-07-30 01:52:37
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「私は質問の意味がよくのみこめないから『いくらって、デモってものは日当なんか払わないよ』と答えた。すると、あんちゃんは『そんなことはねエ。昨日、パチンコ屋へ、デモにくるんなら日当五百円で弁当つきだといって人を集めに来た』」(ibid., p.94)

2012-07-30 01:53:43
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「『俺は五百円ぽっち貰ってシャツでも破いたら間尺にあわねえから行かなかったんだ。第一、よびに来たやつが気にくわねエもん』といった」(ibid., p.94)

2012-07-30 01:54:10
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「私がどこの組合がよびにきたのかときくと、あんちゃんは『組合なんてもんじゃアねエや。土地の愚連隊の兄い株が狩り出しに来たんだ』という。私はようやくわかった。『なんだ、右翼の方へいくのかい』」」(ibid., p.94)

2012-07-30 01:55:11
dabitur @dabitur

「『失業してぶらぶらしているよりはいいだろう』というと、あんちゃんは『よせやい。五百円と弁当一本で五万も十万もくるデモの向いぶちに狩り出されてたまるかい。右翼はせいぜい五百人くらいだろう。いざって時にはとても、かなわねエよ』(ibid., p.94)

2012-07-30 01:56:09
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「『命あっての物種だ。第一よ、デモやストには無関心な俺でも、こんどのことは吐にすえかねらア。日本も南鮮と似てきたよ。だれかがいってたが、岸信介は南平台、李承晩は景武台〔どちらも居住地の地名―引用者注〕、ふたりそろって絞首台だってさ』と、案外なことをいうのである」(pp.94-5)

2012-07-30 02:00:29
dabitur @dabitur

「『あんちゃん、吐にすえかねるってのは、もちろん、岸内閣と自民党が安保批准の単独審議をやったことだろうね』と私が念を押すと、あんちゃんは『それと、社会党の代議士をおまわりの力でおつぶせたってことさ。あれじゃア民主主義もへったくれもねえや』とつけくわえた」(ibid., p.95)

2012-07-30 02:01:15
dabitur @dabitur

「私は四、五日前の或る研究者の集会で高名な大学教授が岸一派のやり方を怒って決意を語ったことと、その大学教授がゼネストをもって岸内閣を倒し安保批准を阻止しなければならないが、ゼネストは国民になるべく迷惑のかからぬように行ないたいものだ、といったことを話した」(ibid., p.95

2012-07-30 02:01:43
dabitur @dabitur

「すると、あんちゃんは、『めいわくのかからないようにゼネストをやるったって、そんなことはできないだろう。ゼネストってもんは、めいわくがかかる方が効果があるんじやアねえのかな』と反論した」(ibid., p.95)

2012-07-30 02:02:18
dabitur @dabitur

「私は今まで、あんちゃんとは無駄話はたくさんしたが、今夜のような真面目な話はしたことがなかった。あんちゃんを少し低く見積っていたことを恥じる気持になった。『それじゃア、あんちゃんのゼネスト論を今夜は聞かせてもらおう』」(ibid., p.95)

2012-07-30 02:02:47
dabitur @dabitur

「『安保ってものが通ると日本がまた、戦争にひっぱりこまれるようになるってことくらいは知ってらァ。俺は五十になっちまったからいいが、伜が戦争につれていかれたら、俺はなんのために太平洋戦争んとき、男手で苦労してあいつを育てたんだかわかられえじゃアねえかよ』」(ibid., p.95)

2012-07-30 02:04:06
dabitur @dabitur

「『だから安保ってのには反対してえんだが、仲間がいねえから、どこへもなんにもいいにいけねえや。それに、まだまだ俺が棒の先に板切くっつけていくには早すぎらア。世の中がのるかそるかってさわぎにならなけりやア、いくら心に思っていても俺はうごきやアしねえ』」(ibid., p.95)

2012-07-30 02:04:35
dabitur @dabitur

「『それは、俺ひとりじゃアねえ。この近所のやつら、みんなそうだろう。ゼネストやって電車や汽車やバスはおろか、電気がとまってみねえ、大さわぎだ。区役所のやつがストをやれば印鑑証明も移動申告もできねえから、あきんども間借入もこまつちまわァ』」(ibid., p.95)

2012-07-30 02:05:33
dabitur @dabitur

「『都のよ、清掃をやる人たちが三日もストをやれば東京中はゴミの山だ、便所はあふれて手がつけられねえ。そうなりやア、かみさん連中が赤ん坊しょって苦情いいにいくぜ。ゼネストってのは、そこまでやらなけりやアいけねえ』」(ibid., p.95)

2012-07-30 02:06:20
dabitur @dabitur

「『そういうふうに、いやでも多ぜいの人が動かなくちゃアならなくなってよ、その人たちが、*岸んとこへ押しかけりやア安保反対の組の勝ちよ。労働者んとこへいけば岸の勝よ。俺は、この勝負は一番、安保反対の方に張るね』あんちゃんは怪気炎をあげた」(ibid., p.95)

2012-07-30 02:07:28
dabitur @dabitur

「『いっとくがね、汽車が二時間くらいとまったって安保はとめられねえよ。向うにはアメリ力さんがついてらア。日本じゃアまいんち事故があって、二時間や三時間は汽車は止まるんだ。それっくらいのめいわくじゃア、なれっこになってらア』」(ibid., p.96)

2012-07-30 02:09:35
dabitur @dabitur

「私は整然とストをやり何万という人をデモに動員する労働者の力を話し、それは相 当、岸一派にはこたえるだろうといったが、彼ぱ自説をひるがえさなかった」(ibid., p.96)

2012-07-30 02:10:06
dabitur @dabitur

「『俺が日の丸の旗アかついで日本のために岸に文句いいにいく時がこなけりゃア、安 保もひつくり返らねえし世の中も良くならんねえな』あんちゃんのこの言葉をひと区切 りとして、時計が十一時を報じた」(ibid., p.96)

2012-07-30 02:10:31
dabitur @dabitur

「『電車がなくなるから帰るよ』と私が立ちかけると、彼は『十五分進んでるからまだ大丈夫だ。どうだ、さしでやるか』といって、鼻をこすった。花札のことである。『それどこじゃアないよ』と私が答えると、彼はそこまで送っていこうと私について玄関を出た」(ibid., p.96)

2012-07-30 02:11:22
dabitur @dabitur

「荒川放水路ぞいのこの低地帯の町は眠りにはいろうとしている。ここには、幾千の小商人と未組織労働者とその家族がいる。この人たちの多くは、あんちゃんのいう通り、東京中がゴミの山になる日まで安保などはほど遠いと思っているである」(ibid., p.96)

2012-07-30 02:11:45
dabitur @dabitur

「あんちゃんがしみじみといった。『俺だってよ、ときどきは、つまんねえことに一生のあらかたをすごしちまったと思うときもあるんだよ』/私は『まア、十五万の残りをうまく使って自前の運転手にでもなるといいね』と、ひとこと意見して駅前で別れた」(ibid., p.96)

2012-07-30 02:13:09
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[photo] 「国労スト 1960年6月4日」(毎日新聞社編(2001)『60年安保・三池闘争―1957-1960』, p.135) http://t.co/9AzYNX2e

2012-07-30 02:39:27
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